吾桑をすぐさま後にして多ノ郷へ向かった。
事前にネットなどで様子を調べていたが、
ここ多ノ郷が一番変貌を遂げていると感じた。
須崎の街
に隣接しており、近年急速な宅地化が
進み、高速道路や大型ショッピングセンターが
出来ていた。
ここに斗賀野から運ばれてきた石灰石は
大阪住友セメント工場の専用線をとおり
じかに工場敷地内まで運ばれていた。
専用線は、多ノ郷駅手前から左に大きく
分かれていた。
斗賀野のような距離はなく土讃本線から
分離して1キロ強程度の短い線だった。
そしてここ多ノ郷でも大雨は一向に止まないままだった。
駅を跨ぐ歩道橋は当時はなかった。何故なら駅反対側が
広大な田んぼで駅の入り口は北側しかなかった。
下の写真と比較すると、建て直しされた感じだ。
1981年ごろの多ノ郷駅舎。駅員も配置されていた。
今の多ノ郷駅須崎方面を見る。
線路は2線に増えている。
1981年8月頃、上記と同じ方向を見る。
単線1面の駅であることがわかる。
写真の列車は乗車してきた、高松発中村行き731Dだ。まだ四国にも
夜行列車があった時代だ。朝5:35分頃のようだ。当時の時刻表からすると。
2014年8月3日 土讃線 多ノ郷駅
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