幾山河―瀬島龍三回想録 | |
瀬島 龍三 | |
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9月4日は瀬島龍三(2007年9月4日逝去)の命日である。氏は,太平洋戦争中に大本営参謀を務め,戦後は伊藤忠商事会長,稲盛財団会長,中曽根康弘首相と全斗煥大統領とのパイプ役など経営者として,また政界ブレーンとして活躍し95歳で亡くなった。
瀬島氏は,終戦直前には関東軍参謀として満州(現在の中国東北部)に赴き,作戦主任,中佐で終戦を迎えた。その後56年までの11年間,シベリアに抑留され,帰国した翌57年,伊藤忠商事に入社している。
『瀬島龍三 回想録 幾山河』(1995年刊)から,氏の足跡をたどり,いまに通じる提言を抜き書きし,お伝えする。
◇ 瀬島龍三氏語録-1 「日韓関係」
photo:東京裁判で証言台に立つ『瀬島龍三回想録』より
日韓両国は,徴用工問題をはじめとする様々な問題で対立を深めてきた。この事態を受けて、安倍政権は韓国に対して半導体の輸出規制や「ホワイト国」(輸出管理優遇措置対象)除外に踏み切ったが、韓国の文在寅政権も同様の措置で対抗。日韓の対立は泥沼の報復合戦に陥り,関係改善の兆しは見えていない。
こうした現状を憂い,日本国内では「冷静になって,中長期的に考えたら,日韓共に得なことがひとつもない」といった声も上がっている。
『瀬島龍三 回想録 幾山河』によると,瀬島氏は鈴木善幸内閣,中曽根内閣に請われ日本政府のパイプ役として,政府間交渉のための地ならしに参画している。そんなこともあって1965年の日韓国交樹立以来,数十回訪韓していると記している。(p419~p444)
「日韓関係 私の考え方」の項は,今の時代も色あせず,示唆に富み傾聴に値する。原文そのままを書き写す。
日韓両国の関係は、歴史的にも地政学的にも、また文化的にも極めて深い。しかし、時に「近くて遠い国」と表現されるように、常にマイナスの面とプラスの面が入り乱れ、複雑な様相を織りなしてきた。東アジア安定のためにも小異を捨てて大同につき、日韓両国の関係を安定発展させていくことが絶対必要だと私は信じている。
第二次世界大戦後分割され、南北に分裂した半島は、将来いつの日か統一されて、朝鮮民族が一国を形成することが期待される。日本もその実現に協力していくことが必要である。
それに至る過程として、まず韓国 (自由と民主主義の国家) が成長発展し、国際的に信頼される国家となることが重要で、これによってこそ、自由と民主主義を柱とする半島の統一国家が創生されるだろう。
日本はこの観点に立って、韓国との経済交流、文化交流を進め、GNPの約六%を国防費に注入せざるを得ない国防国家韓国の経済安定に協力していくべきである。韓国もまた、日本との友好協力強化が自らの国益に合致することを深く認識すべきだ。
韓国国民は、過去の日本統治時代のさまざまな問題から、時に甘え、時に感情論が噴出することが少なくないが、日本はこれを反省しながらも包容し、イコールパートナーとして未来志向を目指すべきである。
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との関係については、日本は、日韓両国の関係、朝鮮半島に対するアメリカの政策などを視野に入れながら、南北朝鮮の友好関係を実現することに側面協力する立場を取り、将来日朝両国の国交を樹立し、北朝鮮の発展に協力していくべきだと思う。
願わくば、日本、アメリカが北朝鮮を承認し、国際的にも信任された南北の国際的枠組みがつくられていくことが望ましい。
(p419~p420)
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