(2016/11/17 16:00 第2稿)
小学校の同級生 版画家の蓮尾力さんは,定年前に大学教授の職を辞し,宮崎県串間に移り住み,意欲的に創作に打ち込んでいる。
その「 版画展 」が,10月2日から16日まで宮崎市松橋1-2-18 "画廊喫茶シーベル”で開かれている。
日本版画協会「第84回版画展」(2016年10月)-出品 | 日本版画協会「第82回版画展」(2014年10月)-出品 |
20161013 ・ザイデンシュトラーセン 蓮尾力last one 版画展
▼蓮尾 力 (はすお つとむ)略歴
1943年静岡県生まれ。長野県出身。1973年日本版画協会展入選,以後毎年出品。1985年同協会展星襄一賞,会員となる。1986年第1回多摩秀作美術賞展佳作賞。1987年メキシコ美術賞展優秀賞。1991年ペルー美術賞展優秀賞。1994年ART BOX絵画大賞展優秀賞。2000年日本版画協会「現代の東京百景」展。2003年京橋界隈昭和画廊個展,他個展多数。
蓮尾力さんは,ローリングストーン(Rolling Stone)-【転がる石に苔むさず】
-"A rolling stone gathers no moss"-
>>>蓮尾さんの人を引きつける力
蓮尾さんの魅力,人を引きつける力は,”ローリングストーン(転石)”にある,と私は思う。
"A rolling stone gathers no moss"(転がる石に苔むさず)ということわざがある。イギリス流の解釈では,しばしば住まいや仕事,考え方などを変える人は何も身につかないとする。日本のことわざ「石の上にも3年」も,この解釈に相当する。
一方アメリカの解釈はこれと正反対である。「常に動いていないと,コケが生えてしまうぞ」,つまり「活発に動いている人は,いつまでも古くはならない,新鮮だ」とする,イギリス流の解釈とは逆のポジティブな意味あいである。
蓮尾さんの生き方は,アメリカ流のローリングストーンそのものである。彼は,人生八十年の時代とはいえ,多くの人が守りに入る60歳代を迎えても転石を止めず,かえってそのスピードを速めた。61歳の時,大学教授の職を辞して自由の身となり,南国の宮崎・串間で版画家生活をスタートさせた。この間の彼の心の動きが,『蓮尾力 ふるさと版画集 図録エッセイー集』(トミー企画刊 2004年10月発行 蓮尾力編)24~25ページで,次のように吐露されている。
●シングルライフ
子どもたちは地方大学へ出て,我が家も人並みにエンプティ・ネストになった。最低限,親父のお勤めを果してきたつもりだし,これといって家族に不満があるわけでもない。この先,長女のパーティーに呼び出され,長男の嫁さんと仲良くして,少しだけ孫の世話をする,そんな普通の親父もいいだろう。だがしかし,これまで台風のごとく制作に明け暮れ教室をはい回ってきたゴキブリ教師が,どう考えても平和な親父に納まっていられるわけがない。だいいち退屈で魅力がない。江藤 淳氏のように,夫唱婦随か愛の生涯契約か,二人三脚の結晶ゴールめざして…なんていうのは,性に合わない。
ここはひとつ我が儘になって,「親父の定年制」 を打ち出しますか,などと思案を巡らしていた。体のいい 「家出」 である。こうして,宮づかえ臨戦即応型ベースキャンプを設営することにして,私の独り暮らし,いわく親父の造反生活らしきシングルライフが始まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)
2年が経ち,私は大学を辞めることになった。セクハラでもなく嫌気がさしたからでもない。残りの5年を待たずに,自ら決断して申し出た依願退職である。悩まなかったといえば,嘘になる。研究室に出入りして,懸命についてきた指導学生のY子やU子,それに1,2年生の顔を思い浮かべると,気持ちが揺れた。胃潰瘍の治療とは別に,体内の細胞が田舎暮らしをせよと,命じているように思えた。幾つかの都会暮らしが,私の細胞を弱めてしまったとも考えた。きっと予感に近い,夢の続きをみるような憧れの気分で眺めた,田舎暮らしの情報誌のある紙面が,私の全てを決定づけたのだった。それが独り暮らしの総決算,宮崎の新居となった。
パナソニックなほど美しい本城の風景に囲まれた60歳のシングルライフは,私の夢をどう育ててくれるのだろうか,成り行きを楽しみにしている。
出典: 『蓮尾力 ふるさと版画集 図録エッセイー集』(トミー企画刊 2004年10月発行 蓮尾力編)24~25ページ
●恩師の思い
蓮尾さんの高校時代の恩師,依田恒雄先生は,彼をモデルとした小説『サイデンシュトラーセン』(まるみせもあ著)の序文で「蓮尾力君との出会い」と題して,次のように綴っておられる。
”彼(蓮尾)のクラス担当になり,本能的にこの生徒を「守り,育て,卒業させる」ことが私に課せられた使命であると,密かに自覚した。”・・・・・(中略)・・・・・・・・・さらに,”教師と生徒の出会いでは,必ずしも教師が生徒に影響を及ぼすことのみとは限らない。出会った生徒の生きざまから終生消えることのない感銘を受け,そのことが心の糧となって,一人の教師が成長していく場合もあり得る。
この依田恒雄先生の序文の独白が示すよう,蓮尾さんの”人を引きつける力,とりわけ影響力は強烈である。
◆かなわない●
小学校卒業以来,中学ではクラスも違ったことから蓮尾さんとのつきあいは途絶えていた。それが,十数年前の同級会での再会を契機に,交友を深めてきた。私が勤務していた大学が鹿児島市で,彼の住まいの宮崎県串間市に車で2時間と比較的近いことから,時折,おじゃました。
私は,教員と経営コンサルタントの二足のわらじを履いてきたが,実業界,官公庁,および学問の分野で,「この人にはかなわない」と,一目置く人が何人かいる。その理由は,頭がよい,頭の回転が速い,あるいはカリスマともたとえられるリーダーシップを持つ,俗に言うところの出来る人である。蓮尾さんも,「かなわない人」の一人であるが,その理由は,他の人とはいささか異なる。
私がとうていかなわないとするわけは,彼の現状に甘んじることなく,つねに新機軸を求めていくエネルギッシュなバイタリティ。さらに,時折,チッラと見せる神経の細やかさ,人を思う人情にある。それが人を引きつけてやまない源泉とも,私は見る。
--繰り返しになるが蓮尾さんの 「人を引きつける力」は,シャーマンや宗教家の醸し出すオーラとは異なる。彼の芸術家(クリエーター)という魅力もさることながら,転がる石のごとき生きざまと,垣間見せる繊細さが,出会う多くの人に感銘を与えているのではあるまいか。--
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9月はじめに蓮尾さんから電話で,「10月13日から上田で個展を開く。ついては,前泊するので貴君も一緒に温泉にでもどうだ」との誘いがあった。幸いなことに,私も上田・諏訪での仕事で出張を予定していたので,躊躇することなく同行を承諾した。
予定通り,開催前日の10月12日は,"武田信玄の隠し湯”といわれる大塩温泉の旭館に蓮尾さんと一泊。その夜は,宿のご主人の池内さんを交え痛飲。翌13日は,彼の後援会主催の「松茸を食らう会」,14日は小中学校の同級生である3人の女性が企画の「蓮尾さんを囲む会」に参加させてもらった。この3日間を通じて,蓮尾さんの版画の素晴らしさもあるが,それにもまして蓮尾さんの生きざまが”人を引きつけるている”と再確認した次第である。
◆蓮尾力 「せせらぎ・鳩ノ巣渓谷」
版画家 蓮尾力が制作した 『せせらぎ・鳩ノ巣渓谷』 (平成九年四月)は感動的な名作である。町の風景の本質を的確に捉え、それを深く挟るように活写した作品だからだ。それは単なる風景画ではない。制作者の心の内側に息づく故郷の空と山と川を、鋭角の直線となめらかな曲線の組み合わせで表現したものである。いわばそれは蓮尾芸術のたどり着いた高度の美学的な達成の提示であろう。同時にそれは蓮尾の心の葉に隠されてあるものの表現でもある。
- 『ザイデンシュトラーセン―私のもとめた絹の道』 まるみせもあ(鈴木大輔)-まえがき より
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◆蓮尾力 作品の紹介 「依田村落陽」
「依田村落陽」 水彩 2003
※ 『ザイデンシュトラーセン―私のもとめた絹の道 』 表紙絵
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┃☆┃ 蓮尾力さん,経歴 ・・・ (版画家・日本版画家協会会員 JIAS日本国際美術家協会会員 ・宮崎県串間市在住)
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1943年 静岡県清水市生まれ 2歳の頃,長野県丸子町へ疎開移住
1964年 東京学芸大学美術専攻入学
1971年 東京学芸大学大学院修了 東京都小学校図工科専任教諭就任
1973年 日本版画協会初入選 以後、毎年出品 独立美術展入選(洋画)
1974年 日本版画家協会展優秀作にて準会員となる。
1975年 北大西洋美術工芸展て版画賞 京王デパート新人推薦展
1984年 東京都図工研究会西多摩大会研究局長 イタリア在住の高橋秀氏に師事
1985年 日本版画協会 星襄一賞、会員推挙、青梅市芸術文化奨励賞
1986年 第一回多摩秀作美術展佳作賞
1987年 第二回多摩秀作美術展 佳作賞、メキシコ美術賞展優秀賞
1988年 東京学芸大学美術教育・助教授就任
1989年 スペイン、フランス、ニュージーランド国際展出品
1991年 ペルー美術賞展優秀賞、日本美術パリサロン展出品、銀座オカベ画廊個展
1993年 スペイン美術賞展出品、大学版画学会事務局長
1994年 ARTBOX絵画大賞展 優秀賞、受賞記念個展
1997年 東京学芸大学美術教育・教授昇任
1999年 大学美術教育学会事務局長
2000年 日本版画家協会「現代の東京百景」第7集「せせらぎ」発表(伊勢丹美術)
2004年 東京学芸大学を退職。宮崎県串間市本城にアトリエ工房を造る。
2005年 蓮尾工房の木版画教室を始める。
2007年 フラクタス展参加出品
2008年~2011年 環太平洋国際美術展・カナダ芸術文化奨励賞 アメリカ美術賞展出品 メキシコ美術賞展出品(洋画)
宮崎県串間市都井岬にて「版画セミナー」開催 宮崎県美術協会展に蓮尾版画工房の招待作品展示 ,ほか国際展・個展多数
「串間市情報ガイドブック」編集に携わる。
⇒⇒ 版画家 蓮尾力さんは,ローリングストーンだ!!-2 (2016/11/19)
◆蓮尾力さんがモデルの小説
ザイデンシュトラーセン―私のもとめた絹の道 | |
信州のいなか町で極貧の生活に堪えながらたくましく絵の才能をのばしていく少年と、その姿を暖く見守る遊び友達の若き著者。二人は心の中のサイデンシュト ラーセン(絹の道)をのびやかに歩む。そして精細な風土の描写と質朴な人情の展開。これは魂の核が見失われがちなポスト・モダンなる現代の文学世界に見る こと稀な、郷土愛の表現、青春文学、すがすがしい教養小説である。 |
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近代文芸社刊 まるみ せもあ著 2000円 |
( 装幀 蓮尾力)
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串間の酒 ・松露
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宮崎県串間市 松露酒造 宮崎県最南端の串間市で昭和3年姥ヶ迫焼酎㈱として設立。昭和46年に現在の松露酒造株式会社に変更。 |