介護施設にお世話になって久しい高齢の義母が先日風邪で入院した。
入院はもはや恒例で今年何回目か忘れた。だんだん食べられなくなっていて不調になり入院すると点滴で元気になりまた施設に戻るというようなことを繰り返している。
今度もそれかと思っていたが、義兄が医者に「葬儀社の手配しておいて」と言われたそうだ。これまでの入院では言われなかったことで、あーちょっと覚悟しなければな。と思う。お別れになるかもと見舞いに行ったが眠りつづけたまに薄目を開ける程度でこちらのことをわかって・・・は、居ないんだろうな。
実は3年前の今頃も、「覚悟して」と、言われその時は持ち直した訳でそれからずっと、うつらうつらとした状態が続いていて、最後に話をしたのがいつだったか記憶にない。点滴と酸素チューブをつながれ、入れ歯を外し一段と頬がこけて見え、口を開けて眠り続けるのは何やら哀れ。本当に生きているだけ。という感じで、手を尽すことがある限り生かされ続けなければならないというのは残酷なこととだと思う。
それでも他人にはわからぬ本人の意識の中では生きている限り「死にたくない!」という強い思いがいつまでもあるのだろうか。
「あ~もう十分だ」と思いすっと逝く。のが自分の理想だが、そうはできないんだろうな。。。
文章読んだだけで、まざまざと情景が想像できてしまうアテクシです。点滴すると、一時的には元気になりますものね。
>「死にたくない!」
これはあるんだろうなと思います。意識があるうちは仕方がないんだろうなぁ。
>「あ~もう十分だ」と思いすっと逝く。のが自分の理想だが、そうはできないんだろうな。。。
なかなかね。そうもいかないのが現状ですよね。個人的には、なるべく早く安楽死法が合法化されるといいなと思っています。私は安楽死を選びたい派です。
お義母様、できるだけ穏やかに時を過ごせるとよろしいですね。
ご覧になってるかどうか、NHKで『破裂』って元気でぽっくり逝かせる国家Pjのドラマやってますが、誰もが思ってて誰も言い出せないテーマよくやってるなぁって感心してます。
安楽死も、そろそろ真面目に考えないといけないと思うんですが、一番の問題は安楽死させる人(医者なのかな?)のなり手があるかどうか?ですかね??
死に対して潔い事は、潔く生きてきた人のみできることかもしれません。「あ~もう十分だ」は、身近では大分前に癌で無くなった叔父がそうで、延命系器具全部外させ逝ったそうです。最後に会った時、北国に旅立つ朝に撮った桜の写真を見せたら「お蔭で今年も桜が見れた」と喜んでくれたのがうれしかった。この話、何度も書いてますね(笑)