コース:横浜~神戸~ダナン(ベトナム)~シンガポール~コロンボ~アカバ(ヨルダン)~ポートサイド(エジプト)~ピレウス(ギリシャ)~カタニア(イタリア)~トリポリ(リビア)~ビルバオ(スペイン)~ティルブリー(イギリス)~ベルゲン(ノルウェー)~ダブリン(アイルランド)~ニューヨーク(アメリカ)~モンテゴベイ(ジャマイカ)~クリストバル(パナマ)~アカフトラ(エルサルバドル)~アカプルコ(メキシコ)~バンクーバー(カナダ)~スワード(アメリカ)~横浜
日程: 102日間(4月5日~7月15日)
訪問国:18カ国
寄港地:19寄港地
航行距離:47000km
横浜から神戸へ
4月6日(木)
瀬戸内海に入ったせいか揺れはだいぶおさまる。朝食はヨットクラブでとる。パンとチーズ、ハム、ヨーグルト、ジュース、牛乳、オレンジ、コーンフレークが出る。ヨットクラブは後方にあって外が望め気持ちが良い場所である。
13時神戸港に到着、船から神戸の景色を堪能する。16時40分から神戸出航式、少し早めにデッキに行く。横浜では紙テープが天候が悪いため使えなかったがここでは歓声を上げながらテープを投げる姿が見られた。二人の司会が日本語と英語で式を進め横浜と同じように船から「行ってきます!」のコールに「行ってらっしゃい!」と見送る人たちが陸から応える。横浜と同じように感動的であった。
夕食後、図書室で見つけた「スロー・ライフ」を読む。
朝食は海風を受けていただく 若者達は自分達のスタイルで食べている
出港式を終え、トパーズ号は神戸港を出航する
ベトナム/フエに向け東シナ海を南下
4月7日(金)
朝6時15分に体操をするために甲板に出る。二人でラジオ体操をして軽くジョギングし、朝食をヨットクラブでとる。
午前中は読書で過ごす。午後2時30分から避難訓練がある。全員救命衣を着けて事前に指示されている集合場所に集まる。5階の乗客は3グループに分かれ点呼を受ける。皆真剣に取り組んでいる。救命衣を着けることがないことを祈る。
避難訓練のご褒美か、船長招待のウエルカム・パーティーが17時30分からあり、男はスーツにネクタイ、女性はドレスアップして参加、普段軽装なので見違える。和服のおばさんの姿も見える。入口では船長と記念撮影、会場には盛装したクルーが待ち受け、舞台ではバンド演奏、そしてシャンパンが振る舞われ華やかな雰囲気。船長の挨拶とクルーの紹介がある。その後はバンドの演奏と歌、舞台ではダンスが始まる。タンゴやワルツでは熟年が頑張っている。
19時30分から場所を移してフォーマル・ディナー、前半組と交代する。ワインがワングラス付く。ビール2本追加注文、これは別料金。
避難訓練の様子 ウエルカム・パーティーでクルーの紹介
4月8日(土)
6時過ぎに甲板に行くと既にラジオ体操が始まっており我々も加わった。続いて行われた太極拳にも加わることにした。リーダーは航海が終わるまでには一通りできるようにしたいとのこと。皆熱心に取り組んでいる。
久しぶりに天気が回復し日の出が見られた。朝食後妻は英会話説明会に参加、私は海が見えるソファーでゆっくり読書。
昼食後は昼食で一緒になった人から勧められて2時から3時30分まで「アイヌ民族を語る」に出る。講師の思い込みが強く内容が伝わって来ない。4時からはベトナム戦争を体験したベトナム女性の講演「私の生きたベトナム戦争」を聞く。場所が悪く、スライドが見えず聞き取りにくかったが体験の迫力が伝わって来た。「ベトコンの死体を見ることは日常的であったが、ベトコンに参加した自分の兄ではないかと思ってしまう」、「兄は村を守るために敷設した地雷で亡くなった」一市民として体験した戦争の悲惨さを伝えていた。
和食の夕食後は世界の民族楽器を使った演奏(8時45分から9時15分まで KOH -TAO LIVE)を聞く。不思議な音と容貌(インド人のような長い髪と服装)、普段はけっして聞きに行くことはない演奏会であった。
夕方から波が出て船は揺れる。
写真のデータを整理し、つけ忘れていた航海日記を1時過ぎまで書く。シャワーを浴びて1時30分就寝。
ゆったり本を読んで過ごす