rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

「忘却バッテリー」とJustin Bieber & benny blanco - Lonely

2024-07-08 16:50:26 | 漫画やアニメ
Justin Bieber & benny blanco - Lonely (Official Music Video)


「忘却バッテリー」と「ジャスティン・ビーバー Lonely」どうしてこの二つを併記するのか?
それは、共に深い孤独感がある。
何かを極めようとする者には、等価交換で大切な何かを差し出さなくてはならない宿命がありそうだ。
自分が望んでそこへ赴く者、他者の働きかけで考える暇もなく押されていく者の差こそあれ、どちらも容赦ない孤独を感じなければならない。
そうなれば、精神が崩壊、または分裂したり、鈍磨することを免れないだろう。
名声や栄光、富を得られたとしても、心の安寧を手放すことになる。
何をもって至高とするかは、価値基準によるけれど、常に何かを提供し続けねければならない名声や栄光と富は、提供が止まったり、提供するものが大衆のニーズに合わなければ消失してしまうものだ。
よって提供を迫られる者は、いつも焦燥感や不安に苛まれるだろう。
自らの意思によって行動したり、楽しみ、人と分かち合い心を通じ合わせることで、安心感と幸福感が得られることが多い。
「忘却バッテリー」の登場人物は、いろいろな自分の側面を受け止めることで、他者との関わりに安定感を持ち、精神的弾力性を備えて歩みを進めることができた。
ジャスティン・ビーバーは、彼の言うところによる配偶者を得て、安心感を持つことができた。
体中をまじないの文様で埋めてみても、自分を受けれて優しい気遣いをかけてくれる人の優しさには到底及ばなかったようだ。
辛いこと、嫌なことを忘れようとして忘れたと思っても、消去はできない。
過去は消えないが、現在の工夫で中和し、性質を凌駕することはできそうだ。
過去にもこのブログに書いたけれど、「人は人によって傷つき、またしかし人によってしか癒されない」なのだろうか。

日本の北端へGO その4 旅の終わり、想いかえして

2024-06-26 11:08:22 | 漫画やアニメ

風力発電の風車が立つ丘


アカシア

早朝の雨の礼文島を後にして、フェリーで稚内へ戻る。
辛うじて見えた利尻島も遠くになるころ、船体が起こす白波を見ていると、時折波しぶきとは違う飛沫が起こるのが見えた。
その飛沫が起こるのを注意してみていると、飛沫が上がってまもなく黒っぽい何かか海面を下からなぞる様子があった。
一回だけでは眼の錯覚もあるだろうと、しばらく海面を注視する。
それは、その後も幾度となく起こり、同時に何箇所で起こることもあった。
おそらく、イルカが船に併走していたのだろう。
曇天の船旅が、ちょっと楽しくなった時間だった。
到着した稚内も、やはり重く暗い雲が垂れ込めていて肌寒い。
これから札幌へ向かって、また道路をひた走っていく。
稚内市街地を抜けると、丘陵地帯の尾根沿いに、大きな風力発電の風車が連なり立つ風景が続く。
風が強く雪が降る地域では、太陽光パネルでの発電は不向きなためだろう。
白くて大きなプロペラがゆっくり回る姿は、私の性癖に刺さる。
水が流れて時々渦を作る渓流や、はたまた二層式洗濯機の回っているところ、独楽は当たり前だが、排水溝に流れ込む水をうっかりうっとり見とれてしまう癖があるから。
また、なんとなくエヴァンゲリオンに登場しそうな使徒たちの雰囲気もあって、不気味で素敵だ。
しかし、風力発電の巨大プロペラは、その姿の優美さとは相反するデメリットもある。
風という自然の現象を利用することで、風力が安定しなく、無風では稼動せず、弱ければ発電量がおぼつかず、強すぎれば破壊されかねないので稼動を中止する必要がある。
自然界への影響として、風車の騒音、鳥がぶつかってしまうこと、あとは超低周波がある。
この中で、超低周波は、個体差はあるものの悪影響が報告されている。
人で言えば、頭痛、心拍の向上、血圧上昇、場合によっては「幻覚」を見ることがあるようだ。
主に、人が聴覚で感知できない周波数を浴び続けることで、無自覚に肉体的にストレスを受けるためなのではないか。
そういえば、一昨日に宿泊したホテルから程遠くないところに、熊が出没したとニュースで見た。
人よりより地面に近く生きる動物は、よりこの超低周波の影響を強く受けていると想像できる。
再生可能エネルギー、聞こえはいいが、メリットばかりでもないのはこれからもわかる。
エネルギー利用の効率化を開発しながら、リスク分散と、使用できなくなった発電機材の安全な処分方法(特に太陽光パネル)を早急に整備しなくてはならない。
人が便利で快適な生活を営む上での、一番の基盤である地球を汚染してしまっては、取り返しのつかない愚行となる。
それとも、人は破滅に自ら進みたいマゾならば如何ともできないけれど。
さて、話題がいささか深刻になってしまった。
旅に戻ろう。
稚内より内陸の道国道40号を南に下り、幌延町を過ぎたあたりで国道232号に入り天塩町へ向かって、留萌市まで海岸沿いの道(日本海オロロンライン)を行く。
時折右手に日本海が見え、途中の初山別村に入ると街灯に星の形があしらわれ、岬のところに初山別天文台あるのが見えた。
晴れた日の夜は、星が手に届くように見えるのだろうか。
北海道には、温泉と天文台が多い印象を受けた。
留萌から内陸に進んでいくと、アカシアの木が多く見られるようになって来た。
白い花をたくさん咲かせ、風に揺れる姿は、清楚で美しい。
休憩したパーキングエリアで、アカシアを間近で見ることができた。
花の形は、まるで藤の花のようだ。
歩道の脇には、雑草のようにフキが生え、見慣れないオレンジ色の花が咲いていた。
コウリンタンポポという外来種で、黄色のキバナコウリンタンポポも名寄で見た。
自分が子供のころにはなかったものだ。
ちかごろ、綺麗で駆除しにくいような外来種の花が、至る所で勢力を強めていると思われる。
人の心の弱いところをつく、狡猾な生存戦略だ。
実際私も、道路わきに生い茂っているハルザキヤマガラシを、ヨーロッパ的と受け入れてしまいそうだから。
そうすると、物資や人、文化の交流が進むのは、一見よいようだけれど、もちろんマイナスな要素もちゃんとあるわけで、そこを考え合わせてやっていかないといけないらしい。
旅は、非日常。
いつもとは違う環境、時間の流れ、刺激に触れることで、心の中に変化が起こる。
どこに居ても考え方次第なのはわかっていても、物理的なスイッチで強制的に思考の視点を変えるのも必要だろう。
言い訳がましいけれど、旅は、人生を豊かにしてくれる装置なのだと思う。


アカシアの花


フキとコウリンタンポポ

描きこみして時透無一郎

2023-05-22 22:13:11 | 漫画やアニメ

「鬼滅の刃」時透無一郎

バレンタインに手作りのガトーショコラとマドレーヌを贈ってくれた、ある女の子への感謝をこめて、彼女の好きなキャラクターを描いた。
12色の色鉛筆で、元絵に近づけるために色を塗り重ねる。
少しずつ色合いの調整をしながら行なう作業は、楽しい。
重ねる色の順番、強さ、必要な色を予測して、欲しい色に近づいたり、効果が得られた時には、単純に嬉しいものだ。
愉しんで描いたその気持ちもこの絵にのって、彼女へ届いたらなによりいいと思っている。

「ぼっち・ざ・ろっく」に思う、何か一つのセールスポイント

2023-01-22 18:42:42 | 漫画やアニメ


昨年のヒットアニメ「ぼっち・ざ・ろっく」は、極度コミュ障な女子高校生が、得意のギターを生かして仲間と居場所を作るストーリー。
幼少期から引っ込み思案で人とのコミュニケーションに困り感を抱いていた主人公が、ある日突然テレビに映ったロックバンドのインタビューを見て思い立った。
人前で演奏する華やかなロッカーの思いがけない本音、実のところ激しい人見知りであるという自分との共通点と、ギターができることによって社会に参加できているその成功例が、彼女に天啓をもたらした。
もともと彼女の父親がギター好きで家に楽器があったことも踏み切りやすかったのだろう、それから中学高校と、ギター演奏に打ち込みネット配信で高評価を得るまで努力した。
けれど、人と関係を築くのは早々甘くはなく、彼女なりに自己アピールをしてみるものの周囲の反応は得られなかった。
そう、自分でできる準備はしたものの、自分から一歩人に近づくことが難しかったのだ。
心の中では声をかけて欲しいと大きく叫んでいても、人には伝わらない。
いつも人から差し伸べられる手を待つばかりで、最後の一歩を歩み寄ることができないでいた。
けれども、ほぼ事故のような成り行きで、人と関わる流れができてからは、今までに築き上げたギタースキルの資源が一気に作用して、居場所と仲間、そして未来への希望を掴んでいった。

自分に自信が持てる何かがあれば、現状打破の決め手となる、つまり自己セールスポイントの有無の必要性を問うている。
そのためには、自分で打ち込めるもの、自分を知ること、そしてそれを昇華させるための努力が大切だとしている。
誰しもが納得しやすい論法だ。
本人自身や支える人たちにとって、それがあると心強い。
そのセールスポイントは、運動が得意、勉強ができる、演奏がうまい、絵が上手、ITに明るい、やさしい、素直など、所謂長所といわれるものだ。
「誰もが長所を持っている」というのは、はたしてそうであろうか。
気がつかないだけ、まだそれを伸ばしていないだけ、とするのは簡単だ。
人は皆、スタートが同じ条件ではなく、個人の資質、環境、どれもが違う。
努力が足りないからだ、甘えているからだと、勝手に評価して非難していいものだろうか。
人は、ひとりで生きられるほど強靭な生き物ではない。
人にはそれぞれ背景があり、その人の歴史がある。
お互いにそれを思いやって、個人を取り巻くそれぞれが、ちょっとだけ助け合ったり心を砕くだけで、人が生きたいと思える世界になるだろう。
虚構の物語ではあるけれど、ぼっちちゃんは、ギターのテクニックで人と関わる資源は得たものの、人から差し伸べられた手を受け取る勇気と、自分から働きかける覚悟と、それぞれを思いやれる心の柔軟性があったから、世界が開けたのだ。
いつだって人々は生き辛さのなかにあるが、ここ数年加速度を増しているように思えてならない。

うはははは!いいものできたよ”ネコだるま”

2022-07-26 22:46:33 | 漫画やアニメ


結構いい線いっているんではないかと、ワクワク楽しみながら作った”ネコだるま”。
ちょっと商品化してもいけそうな気がしてならない。
とにかくとっても気に入ったものが出来てしまった。
もちろん「だるま」なので、目を入れられるように白抜きにしてあるし、ぶら下げて飾れるように紐もつけてある。
何気に落書きをしていたところから、はたと閃き形にしてみた。
アホくさいかもしれないけれど、「フッ」と笑みがこぼれてくれたらそれでいい。
これより先に描いた8月の課題は、後ほど公開しよう。
多分、きっとこれも自信作といえるだろう。
どうぞ、お待ちあれ。