rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

A Street Cat Named Bob 愛し、愛されることの幸せ

2019-07-22 23:08:26 | 映画


愛し、愛されることは、人が安定して生きていくうえで、必要不可欠といっても過言ではない。
それが損なわれることによって起こる愛着障害は、二次障害を引き起こし、ひいてははその人の人生、さらにはほかの人の人生をも狂わせてしまう。
この映画は、実話を元にできていて、登場する猫のボブが当の本猫というところに、説得力が増している。
主人公のジェームズは、確かに幸運の持ち主だった。
本人の良くなりたいという意思はもちろんのこと、彼を親身になって忍耐強くサポートしてくれる素晴らしい人にめぐり合えたこと、且つそれに答えようと差し伸べられた手をつかめた彼のタイミングがぴったりと合う幸運に恵まれたことがある。
なによりも、猫のボブとの出会いが、彼の傷ついた心を、彼のペースで癒せたことだろう。
アニマルテラピー、無駄に複雑な感情や思考を持たないシンプルな動物とのふれあい、世話をするという能動的な関わりが自己有用感を持たせ、変な駆け引きなどない真っ直ぐな関係が信頼を生み、共生関係となって心の安住の地を確保するのだ。
そうすると、余裕がもたらされ、今までギクシャクとしていた人間関係もよい方向へと向かうことが可能になる。
ジェームズとボブはハッピーエンドになるけれど、同じ路上生活をしていたバルに幸運の女神が微笑まなかったことが、現実味を突きつけて悲しくなった。
しかし、このボブ、なんとも素晴らしく高貴な癒しのオーラを身にまとっているではないか。
姿かたちは猫だけれども、それは仮の姿と思わずにはいられない。



ファンタジーの世界に埋没する

2018-02-18 22:36:45 | 映画
Dou kyu sei OST [同級生——押尾コータロー]


相変わらずアンデッドな私。
だから虚無の底で、ファンタジーの灯りだけを頼りに生きている。
このところずっとBL(ボーイズラブ)に耽溺し、とくに中村明日美子作「同級生」シリーズに執心だ。
この映画もまたよろしく、音楽がそれを一層引き立てている。
押尾コータローのギターが、青春の儚さと甘酸っぱさを盛り立てて、不毛地帯と化した私のぱっさぱさな心に束の間のオアシスを出現させた。
そのオアシスが、日一日の活力を提供して、どうにかこうにか今に至る。
BLという世界、これもまた”美”なり。
いや、それに限定しなくとも、純粋に成立する恋だの愛だのは、人々の憧れであってやはり”美”であろう。
そこにリアルな諸々を絡めるのは無粋というもの、真髄だけを抽出して創るファンタジーがいいのだ。
この冬を乗り切れば、また絵を描けるだけの養分が私の中に蓄積されると信じて、ただひたすらじっと耐え抜く。
さてもさて、これからまたドプンとファンタジーの海に潜ろうか。

映画版 魔法少女まどかマギカ

2017-09-17 23:30:22 | 映画
「映画版 魔法少女まどかマギカ」の後編を観た。
仏教・密教のカルマをモチーフにしつつ、虚無や無常が支配する絶対的な宇宙観に抗う、人が持つ希望は、なすすべを持たないというなんとも絶望的な、いわゆるダークファンタジーであった。
そのやるせなさは、「輪るピング・ドラム」にも通じるところがある。
これらは、ほぼ同じようなときに作られたこのアニメたちは、必然的に時代の生んだものともいえなくもない。
未来に希望を持てない、持ちようのない悲痛な叫びが、世界中を覆っているのだろう。
無垢な少女が、救世主となってすべての悪の因果を断ち切ろうとその命を賭したとしても、またもとのループの中に組み入れられてしまう。
業は、断ち切って浄化できるものではないのか。
ささやかな幸せ、それで満ち足りたとしても、その影には同等の不幸がどこかで起こっているとすれば、それはもう絶望的な抜け出せない輪なのだろう。
そうなれば、人々は刹那的になるしか道はないと諦め、一層希望の光は薄れてしまう。
どうやら世界は、虚無に飲み込まれようとしているようで、なんとも不安で仕方がないのである。



純エンターテイメント”RED”&”RED2”

2015-07-04 23:38:01 | 映画
”RED2”のDVDを観た。
前作”RED"を観たのは半年くらい前だっただろうか、おおよそ次回作は期待できないものだけれど、これはそれを見事裏切ってくれた。
どちらもエンターテイメント性にあふれ、小気味よいテンポでストーリーが展開する。
元凄腕エージェントたちが主人公だから、世界をまたにかけては派手なアクションを繰り広げ、絵面的にも飽きさせない。
そして何よりもキャストがはまっている。
どちらにも登場するマーヴィン・ボッグス役のジョン・マルコヴィッチ、ヴィクトリア役のヘレン・ミレンは、胸のすくようなかっこよさでこの映画をビシッと締めていい味を醸し出す。
小さい人(もうそんな感じではないけれど・・・)も、ずいぶんと面白がって観ていた。
久々によい意味でのハリウッド映画を観たと言えようか。


「ホビット 決戦のゆくえ」

2014-12-22 23:45:39 | 映画
念願叶い、やっと劇場で「ホビット 決戦のゆくえ」を観ることができた。
しかも初3D。
前作はDVDを借りて観たのだが、これはホビットシリーズの中で最も完成度が高い。
展開早く、ストーリーの回収をしつつ「ロード・オブ・ザ・リング」へともきちんとつながりを持たせ、2つの物語がさながら指輪のように円環状に廻り続くのだ。

しかし、無敵の竜スマウグがもっとも命の短く弱い人によって倒されたり、野望から程遠いホビットに力の象徴が渡り世界の命運が託されるとは、なんとも皮肉といえよう。
それはトルーキンが理想とする世界のバランスなのか、あるいは警鐘なのだろうか。
好戦的で排他的な森のエルフの王スランドゥイルの鎧の中には、永遠にも等しいその命の中で経てきた悲しみが蓄積され、愛の残酷さを身に沁みたがための無常観、いや虚無が詰まっていた。
これも戦いによって失われる命が引き起こす負の遺産だ。
あと、金銀財宝が持つ強力な魔力についても、ドワーフの王スラインとその息子トーリン・オーケンシールドの心が蝕まれていくさまを描き、権力の魔力、恐怖による変節や盲従などは、2つの物語を通して語られている。
この、誰にも思い当たる事柄が縦糸となって織られていく物語に、魅了されないではいられない。

「指輪物語」の本があるにもかかわらず、未だに手が出せないのは、そのボリュームと話の重厚さに怖気づいているから。
映画をすべて観終わった今、挑戦してみるべきだろう。
さて、読みきれるか。
来年の課題である。