rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

秀逸なリモコンのデザイン 東芝製

2024-08-31 09:56:27 | 雑記または覚書


昨年の7月19日の落雷の影響で新しくなった我が家のエアコンは、とても調子よく役に立ってくれている。
そのエアコンのリモコンのデザインが、とてもいい。
液晶ディスプレーの下にある機能ボタンの配置だけではない、冷暖除湿の区別を付けやすくする色分けだけでもなく、実は日本語とデザインのマッチングが見事なところだ。
硬すぎず柔らかすぎないゴシック調のフォントは、液晶のデジタル数字との相性もよい。
白の本体に操作ボタンのつや消しシリコンを使い操作性を確保しながら、微妙なトーンの違いで差別化を図って、全体的な統一感を醸しだしている。
色分けの青・黄・赤にしてもハーフトーンを選ぶところも憎らしいほどのセンスを感じる。
そこへ馴染みやすく明度差を抑えたグレーのフォントが、全体を引き締めかつ決定的操作指示を与えて完成の極みへと導くのだ。
消灯した時には、白い操作ボタンが控えめな蛍光グリーンにぼうっと浮かび上がるところも抜けがない。
なにより気遣いを感じるのは、「エアコン」とリモコンの下側に明記されているところだろう。
たくさんのリモコンが存在する生活スタイルでは、どれがどのリモコンなのか迷う時がある。
リモコンの主な色は白か黒、シルバーの3色だからなおのこと。
そこを思いやってなのだろう、「エアコン」と控えめながらきちんと宣言している潔さに、デザインをした人たちの気概を感じずにはいられない。
時折家人と二人で、このリモコンを見ながらデザインのよさを褒め称えている。
このように、機能とデザインがマッチした製品に出会うと、心が満たされる。
生活を豊かにする要素に、日常的に役立つものたちのデザインは大きく関わっていると思うのだ。
その分野は、プロダクトデザインと言われている。
プロダクトデザイナーの皆さん、私たちの生活を彩り豊かにしてくださってありがとうございます。
これからも、このような出会いがあることを心待ちにしています。

ちなみに、このリモコンの本体のエアコン情報
東芝製エアコン RAS-2812T(W)
そのリモコン  型式RG10J5(B3H)/BGJ

餅つき機

2024-01-03 22:57:01 | 雑記または覚書
今年も家族全員で、お正月を過ごすことができた。
違ったことは、お供え餅が自家製ではなかったこと。
昨年の終盤、自宅に住まう者たち皆、体調が優れなかった。
そこで、年末恒例の餅つきをあえなく見送ることにした。
もち米を大量に研ぐことと、半日以上にわたり寒い中外でもち米を蒸かしつく作業は、結構体力勝負だ。
また、半世紀以上にわたり稼動してきた餅つき機のご機嫌を伺いながら餅をつくのも骨が折れる。
餅が大のご馳走という世代の義母にとって、餅をつけないということは一大事であるが、家族の体調が復活したなら餅をつこうということで気持ちを収めたようだ。
今日は、生活の基盤を東京に持つ中くらいの人を最寄の駅まで送ったあと、ふらりとリサイクルショップに立ち寄った。
いつもは見ないカテゴリーのところを巡っていると、餅つき機が置いてある。
なんと半世紀の耐用年月を誇る我が家の餅つき機と同メーカー製で、しかも使用感が少ないではないか。
早速家人に相談し、これから餅をついても10年あるかないかだろうし、なにより安い。
義母にとって承服しかねるであろうことは想像に難くないが、背に腹は変えられないし、実際作業するのは我々夫婦なのだと家人も納得して購入した。
これで餅つき機が止まるかもしれないというストレスから開放されるだろう。
さて、今月から来月にかけての間に、一回は餅をつくことがほぼ決まりとなったな。

なんとそれは!!

2020-06-18 22:53:14 | 雑記または覚書


昨日から話題に登っている白い球体、そんな感じのものを一昨年見たことがあり、それをこのブログの中に記している。
「今年のキーワード UFO」
それとほぼ同じものが、画像となって目に飛び込んできたから驚いた。
自動車を運転していたから、球体の下にぶら下がっているような十字の物は見ていないけれど、青空にほっかりと浮かび、朝の光に照らされてひときわ白が目立っていた。
そして、今月の初め、職場に来ている人が、そのような写真を車の中から撮ったと見せてくれていた。
もちろん、その場に居合わせた人たちが、何かがたまたまそんな風に写ったのだと思ったのは仕方のないこと。
自分は未知のロマンとして、シンプルにうれしく受け止めていた。
はてさて、まだ何ともわかっていないその物体、中二的にはエヴァンゲリオンの使徒だと妄想にわくわくしている。

歴史に刻み込まれる、この災厄

2020-03-31 23:26:01 | 雑記または覚書
このブログには、あまり不安や憤りを綴りたくはないのだけれど、あえて危惧を記したい。
この新型コロナウイルスが、これほど世界中に蔓延してしまったのは、人間の驕りのためだろう。
過剰に怯えずとも、十分に警戒を持ってあたらなくてはならなかった。
またさらに、不穏な様相を呈したきたときに、まずは予防を入念に行う手立てを講ずべきだった。
どこかの国に生産の依存をせず、自国でまかなわなくては、世界規模で感染爆発したときに流通が細くなり途絶える予想はたやすい。
予防は第一、次に医療関係品、食品、エネルギー、あらゆるものが国外に依存している。
おっと、労働力もだ。
確かにいまさら感が拭えないけれど、民間頼りではなく、政府がこれらを効率よく生産確保するための采配を振るわなくて、どうして国民の生命の安全を守れようか。
日本の国民性は、他国の国民性よりはるかに御しやすく、忍耐強く従順だ。
安全が守られ、そこそこ美味しい物にありつけているならば、暴動を起こしたりしないのは実証済み。
そろそろグローバル化とは対極の鎖国状態になってきた。
はてさて、この状態が1年以上、いや半年以上長期化したときに、この日本はどうなっているのだろう。
不安を煽っているのではない。
どう善処していくかが大切で、目先の儲けではなく、そもそもの存続をかけた大鉈を振るわなくてはならない、政治家も企業も。
もし、自分だけが生き残ればいいなどと考えていては、基も子も失うということを忘れてはならない。
そして、遍く国民は、この今をしっかりと目に焼き付け、自らの在り方を問い、これからの生き方を考える機転にたたされているのだ。
いくつかの犠牲を払いながら乗り越えた先に、この地球でよりよく生きていける未来が開けることを願っている。

こう書きながら、一刻も早く予防のため、せめて消毒溶液とマスクが多くの人にいき渡ることを望む。

2019年9月9日 台風15号

2019-09-10 23:25:02 | 雑記または覚書
夏の災害は、想像以上の過酷さだった。
台風15号の影響で、我が家において21時間の停電となった。
9日午前5時あたりから10日の午前2時まで、とにかく暑さとの戦いだ。
井戸水を使用しているためくみ上げポンプが稼動せず、水が出ない。
市の上水道を引き込んである外の蛇口で水を汲めるのは、東日本大震災ではできなかったので、大変助かった。
けれども、いまどきながらスマホが1台しか所有していない我が家では、電気がないと情報を得にくく、被害の全体状況がつかめない。
また、気温の異常な上昇に、エアコンとはいかなくとも扇風機、無闇に冷蔵庫を開閉できないため保冷剤が使えないのは、非常に辛かった。
防災無線放送で停電状況の放送があるのは、情報難民にとってありがたい。
しかし、復旧の目処が立たないと流れてきたときには、張っていた気持ちが萎えてしまい、気分を落ち着かせるためにお風呂と夕食の手助けを実家に求めたりして、先の見えない復旧に耐性をつけたのだ。
助けを求められるところがあるということが、どんなに心強いかも学べたし、どれだけ電気に依存をする生活をしているか、あらためて実感した。
自分は、時々万が一の場合を想定してシミュレーションすることをしている。
電気が使えないときはもちろんのこと、食料が得にくくなったときのこと、感染症が爆発的に巻き起こった場合、石油が輸入できないまたは枯渇した場合、とにかく何でもかんでもだ。
今回の場合も想像していたが、体と心に与えるダメージは、頭で思い描いたものと実際のギャップは応えるものがある。
だから、西日本豪雨、東日本豪雨など、被災した方々の辛さを思いやる。
今まだ停電に遭われている方々のつらさを思う。
どうか一刻も早い日常を取り戻せるよう、心からお見舞いしたい。