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「刺繍した花嫁のベール」栗色とばら色の壁、セゴビア

2011-01-29 00:40:49 | 街たち
真っ青な空を背景に、栗色とばら色の壁が映える街、スペイン・セゴビア。
ローマ水道橋が丘の高台にある旧市街に、まっすぐ伸びている。
2000年にわたって、人々の暮らしを見守ってきた。
その水道橋を、誇らしげに自慢する人々がいる。
実用目的で作られた水道橋なのに、何時しか人はそのものに思いを寄せる。
これは、古今東西、何時でも何処でも通じる、人の心の不思議な作用だ。

セゴビアの建物には、様々な模様の装飾がほどこされている。
壁の修復場面があったが、古来より受け継がれてきた方法(カルトンとタンポ)で壁に模様を写し、上塗りした漆喰を削り取って模様を浮き上がらせていた。
その装飾は、エスグラフィアドといい、イスラム文様の影響を直に受けてる。
華麗な模様が刻まれた壁を、セゴビアの人たちは、「刺繍した花嫁のベール」と愛情込めて呼ぶ。

日本においても、自分の街にある古くから親しまれている建物や古木、寺社仏閣・仏像等も、愛称をつけて親しみを込めて呼んだりする。
宗教の性質の違いを超えて、人は物に愛情を抱き、人格を与えてしまうのは、自然な行為なのかもしれない。

セゴビアは、イベリア半島中央付近の丘陵地にあり、街の高台のそばには川が流れ、トレドの街に似ている。
以前、マドリードからバスでトレドに行くのに、大きな森など見当たらない乾燥した土地を通った。
子供のときに観た、「荒野の用心棒」の舞台となった、荒涼とした風景を思い起こした。
そこからは、雨でしっとりと濡れる土や岩、街の姿が想像しにくい。
セゴビアの旧市街も、石はあっても緑の木々は見受けられなかった。
やはりトレドも、街路地には緑が無かったように記憶する。
だから、壁に綺麗な装飾をほどこし、荒涼とした街並みにならないように工夫したのだろうと、想像してしまう。

人は、ただ生きていくばかりではつまらない生き物なのだろう。
雨露をしのぐ家の造りに意匠を凝らし、実用で作ったものに愛着を持ち、果てには物に人格的な要素を見出す、感性豊かな生き物なのだ。
消費のためだけに生きているのではないと、今こそ確認しなくてはいけない。
自由資本主義が、大腕を振って世界を跋扈する世の中にあっては、真逆な行動だが、人間であって消費者でないと、大きな声を上げないと、人間の主人が違うものに取って代わられてしまうだろう。

セゴビアの人は、人生の主人公が、まだ人間であると思わせてくれる雰囲気を持っていた。

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