rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

これでもか!の5種類ベリージャム

2013-07-31 21:57:55 | 食べ物たち
ジャムを煮た。
なんと最多の5種類のベリーが入ったジャム。
ただ、割合はかなりバラつきがあるけれど、確実に5種類入っている。
一番多いものは、今が旬のブラックベリー、あとはほぼ変わらない割合にラズベリー、ブルーベリー、ストロベリー、ワイルドベリー。
かなり黒っぽい赤のジャムになる。
まだ冷め切らない出来立てを、プレーンヨーグルトにかけてみる。
さっと混ぜると、鮮烈な赤い色がヨーグルトに広がる。
とてもきれいだ。
食べると甘酸っぱい香りと味が、口の中に満ちて、季節の凝縮された恩恵を取り込んでいる気がした。

今年、ベリー類で作ったジャムの量は、どれくらいになっただろう。
350グラムくらい入る壜に、20個以上作っただろうか。
知人達にも配ったから、30は超えているかもしれない。
ベリーと砂糖、酸味付けのレモン汁だけで作る基本のジャムは、かなり好評だ。
まだ、ブラックベリーとストロベリーにワイルドベリーがなっているから、あと1回はジャムを作れるはず。
実が生り終ったなら、お礼肥えや剪定をして、来年の準備に精を出そうか。


5種類のベリーのジャム 31/7/2013




小さい人と作ったラタトゥイユのピザ 31/7/2013
次回はこのピザについて

蝉時雨・カブトムシ・忍者ねこ

2013-07-30 10:30:16 | 生き物たち

カブトムシ 30/7/2013


忍者ねこ 30/7/2013

太陽が、今は夏だと主張している。
セミたちも、そうだそうだと大合唱。
カブトムシだって、俺たちの季節なんだと軒下にしがみつく。
適度な風のそよぐ、理想的な夏の朝。
花たちも、陽の光にうれしそう。
小さい人とカブトムシ探しをしていたら、ねこがいつの間にかやってきた。
「ってどこにねこが!?」
ねこを知らない人にはわからないだろう、迷彩色なねこだから。

ともかく今は夏。
お昼は、やっぱりそうめんか。


ユーフォルビア「ダイヤモンドフロスト」 30/7/2013


メランポジウム 30/7/2013


ねこ怒る

2013-07-29 16:18:16 | ねこ

機嫌直って・・・ 29/7/2013


大好き、日々草 29/7/2013

ねこのカリカリ餌を切らした。
昨日の夕方に外へ出たら、いつも通りにねこが餌をねだってきた。
餌の置いてあるドアを開けると、「ややっ!、餌がない!!」
それで餌がなくなったことを知ったが、時すでに遅し、料理しながらワインを飲んでしまったのだ。
ねこを見ると、大きな目をこちらに向けて「ごあんちょうだい」と期待している。
やばい、やばすぎる。
「ごめんね、餌を買ってくるの忘れていたよ、茶碗に残っているので我慢してね、明日必ず買ってくるから。」
そういい残し、さっさと部屋に逃げ込んでしまった。
どうしよう、ねこは怒っているに違いない。
明日、10時に店は開いたなら、イの一番で買いに行かなくちゃ。

朝、階下に下りるとそこにはねこが待ち受けていた。
餌を期待している。
まだ店が開くには4時間ほども待たなくてはならない。
「ごあん、にゃおにゃお」といいながら、茶碗のところへ私を誘導する。
すると茶碗には、義母があげたシーチキンが食べかけてある。
「ねこ、これをきちんと食べようね、時間がきたら餌を買ってくるから、もう少し我慢してよ」
ねこは、私とドアを交互に見て、餌の催促を続行。
でも、仕方がない、また、私は逃げるように部屋に向かった。
9時ごろ、小さい人と義母がとうもろこしをねこにあげていた。
それでもやっぱり不満げだ。
私を目ざとく見つけると、ねこはスタタタやってきて、懇願するようなまなざしを投げかけてくる。
そして、どこまでもついてくる。

やっと10時になって、見送るねこを残し、車を発進させた。
いつものカリカリ餌を買って戻ると、ねこは首を長くして待っていた。
袋を開けて餌を茶碗に入れているのももどかしいと、ねこは茶碗に顔を突っ込む。
息せき切って食べるから、のどに詰まってむせ返る。
それでも、どんどん口に入れるのは、どこか身近で見ているような・・・家人だ、パスタを食べるときの家人そっくりなねこの行動に、呆れ返ってしまった。

結局のところ、ねこが認定している「ごあん」は、カリカリ餌を置いてほかはないということが決定的なものとなる。
ほかのシーチキンやとうもろこしなどは、おやつにすぎないらしい。
いつもの餌を食べ終わって、ねこはやっと落ち着いたとこれ見よがしに私のいるところへやってきて、毛づくろいをはじめた。
どうやら、もう怒ってはいないらしい。
私もこれで一安心だ。



故郷とは、スメタナ「わが祖国」より「モルダウ」

2013-07-28 10:31:23 | インポート

Bedřich Smetana: Má Vlast Moldau (Vltava) [City of Prague Philharmonic Orchestra]

19世紀のチェコの作曲家スメタナの作品、連作交響詩「わが祖国」第二曲モルダウは、郷愁を持って語るボヘミアの壮大な叙事詩の一節だ。
自分は、チェコに行ったこともなくモルダウ川を知ることがない。
しかし、幼い頃住んでいた札幌の豊平川の緩やかにうねる流れを思い出し、懐かしみを覚え、スメタナの気持ちを思いやれる気がする。
まさに、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」なのだ。

自分は、正しく故郷を持つものだとはいえない。
数年ごとに住むところが変わると、薄いなじみの土地が点在し、はてどこが故郷なのかと特定するのが難しい。
かといって、家人のように青年期の一時だけ生家を離れたほかは、ずっと生まれた家に住み続けていると故郷という感覚はありえない。
思うに、故郷とは、ある一定の場所に青年期までを過ごし、その後そこから遠く離れ長い時を過ごす場合において発生するものではないだろうか。
だから、故郷は日本ではなく、○○国○○県○○市○○町ぐらいまで絞り込まないと故郷とはいえない。
漠然としたイメージではいけないのだ。
街並み、細い道の具合、近所の人々や飼い犬や野良猫などにいたるまでの細部がしっかりとなければ、思い出にリアリティーがかけてしまうから。

スメタナは、「わが祖国」を書き上げているとき、水面の変わりゆくさま、木々の梢にそよぐ風、川に行くまでの道の具合、街の通りの両側にあるドアや店先からの匂い、住まいの玄関を押し開ける重さ、さまざまなものが脳裏を過ぎったに違いない。
過ぎ去った日々への哀愁が、この曲に深い色味を与えている。

もう少しでお盆時期、故郷に帰る人たちも多いだろう。
故郷に向かう間、住処に帰るとき、人々の胸に多くのものがこみ上げる。
もしかすると幾人かに、このスメタナの曲が脳内音楽として流れるのではないかと想像している。






雷日和

2013-07-27 23:47:33 | 空・雲・星・太陽たち

アーサー・ラッカム Donner calls upon the storm clouds.


今日は、朝から雷が鳴っていた。
乾いた大地に恵みの雨をもたらすのは結構なことだけれど、落雷は勘弁して欲しい。
しかも、一日中ひっきりなしにやってきてはゴロゴロピッカザアアアーとなり、家中のコンセントを抜いたりさしたりと落ち着かない。
この雷と雨は、関東全域で暴れていたらしく、ところによっては被害を蒙ったところもあるという。
自然の現象だから致し方ないにせよ、その大きな力の前に人は実に無力である。
そのために防災減災に努めるのは大切だが、自然の力を甘く見ずねじ伏せるのではなく受け流すように、自然の理に則って行うことが大切だ。

日本だけでなく、世界中で天災は情け容赦なく力を振るう。
人間の影響も多少なりともあるだろうが、地球も生きているのだ、共生できる道を模索すべきではないか。
今日は、神の怒りが雷となって空に鳴り響いたのではと、小心者で後ろめたい自分は肝を冷やしていた。