rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

紅白の曼珠沙華 

2020-09-27 22:42:00 | 植物たち






朝のうちは、まだ灰色の雲が空を覆っていた。
このところの台風10号とその余波による風雨にあいながらも、美しさを保った曼珠沙華を写した。
赤と白が同時に咲いて、豪華さのコントラストをあげている。
もう少し光が欲しかったところだが、いたし方あるまい。
そのうち、午後3時を回るあたりから雲が切れだして、久しぶりの青空がのぞいてきた。
さてはいい光の具合かと花を見れば、木々の陰となっていて、さほど朝のころと変わりなく撮り直すのはやめた。
そして5時ごろ、うっすらとピンクに染まる空の上には十日月がかかっている。
だいぶ秋を感じさせる役者がそろってきた。
ふむふむ、ちょっと濃いかんじの混ぜご飯でも作ろうと、月を写して満足した私は、夕餉の支度に取り掛かったのであった。

旅先の絵葉書

2020-09-26 23:04:25 | つぶやき&ぼやき
先日、家人とイタリアのアマルフィ海岸の動画を見ていた。
紺碧の海よりそそり立つ斜面に町が張り付くように出来ている。
景観としては面白く美しいが、ここに住むとなったなら移動が大変そうだ。
引きこもり体質の自分では、生きるに必要な物資がある限り家の窓から外を眺めて過ごすことが決定的といえよう。
海のきらめき、光の移ろい、渡る風、見渡せる色とりどりの家並み、これらを見て堪能しつくすには、時間がいくらあっても足りなそうだ。
その動画は、割と高い場所の住宅街を縫うように走る道路を下って港近くの旧市街へと進む。
旧市街に近づくにつれて、さまざまな店が軒を連ね、おみやげ物を売るところが増えていく。
すると、家人が疑問を口にした。
「おみやげ物屋の店先にある定番の絵葉書をディスプレイするくるくる回る金属製の什器が、ほとんど見えない」
確かにそうだ。
かつてのヨーロッパの観光地には、名所旧跡などの風景絵葉書が、どこにでも目立つように売られていた。
手軽で安く、旅先から送る絵葉書には、旅情を匂わせるロマンがあった。
けれど、この10年でスマートフォンが急速に普及し、誰でもたやすく写真を撮って送信できる環境が整ったことで、もはや絵葉書はお呼びではなくなったのだろう。
エアメールで届けられる異国の風景を手にする機会は、もうないかもしれない。
それを何かとても寂しく感じると言ったなら、懐古趣味と一蹴されそうだ。
世界の状況が変わってしまった今、簡単に海外へ旅をすることはかなわない。
しかし、かつて旅したアレッツォや、もちろんまだ行ったことのないアマルフィ海岸にドロミテ渓谷などへ行ってその場の空気を吸い、光を感じてみたいのだ。
もちろん、絵葉書を探すのを忘れはしないさ。

実の生るものは楽しいかな

2020-09-22 21:45:54 | ベリー類の栽培
家人と実の生る苗木を買ってきた。
西洋梨を2本、無花果を2本、ブルーベリーを6本、アーモンドを1本、そしてポポーを1本。
ほかに、ミカンやサクランボ、枇杷も欲しかったけれど、一度に注意を払いきれないかもしれないと、来年の楽しみに取っておく。
幸い、植える場所には事欠かないから。
そうね、どれにしても2~3年後に楽しめればいいかと、気長に育てるつもり。

さて、ポポーとは何ぞや?
北アメリカ原産で、明治あたりに日本に輸入され栽培されたらしいけれど、いつの間にか忘れられちゃった気の毒なやつ。
チョコレート色の花を5~6月ごろに咲かせ、10月あたりに実が生るという。
「アケビガキ」という名のとおり、アケビに似たぬるんとしたフォルムで、真ん中に大きな種が数個あり、味はマンゴーとバナナとパイナップルを均等に混ぜたようなものらしい。
調べると、どうやら2品種以上を混植して、2年ほど生育は緩慢、しかし3年目からはぐんぐん伸び始め、10mあたりまで高くなるともあり、先が楽しみな果樹のようだ。

生きるためのちょっとした楽しみに、果樹栽培はなかなかいい。
野菜類とは明らかに違う、余裕の産物のせいなのだろうか。
収穫に手間がかかるけれど、それすら楽しみながら、口に運びながらだが、細かくいろんなことを感じながら行う時間は、心を豊かにしてくれると感じている。

気温34度に阻まれる 筑波山

2020-09-04 22:56:19 | 山歩き




せっかくの4連休だもの予想気温が高くても行かねばと、筑波山へ向かった。
でも、出足からはっきり煮え切らないところで、今日の成り行きを暗示していたのだ。
そもそも、山へ登るならば、早い時間から行動するのが大切のはずが、目が覚めたのは朝の9時。
確かに、このところ暑さの疲れと心の疲れがかなり蓄積されていた。
けれども、山に登ることで心身のリフレッシュ効果にすがりたかった。
かたや家人はまったく気が進まなく、仕方なしに付き合ってドライブで、私の気持ちを収めようと考えたのだろう。
筑波山の麓の11時半近くの気温は、電光掲示板に34度とあった。
筑波神社付近には、これから山を登ろうかというような装備の人たちがぱらぱらと見られたが、自分たちはつつじヶ丘まで車で行く。
途中の道では、自転車で上る人の姿も見られたけれど、その強さにただただ感心するばかり。
さて、つつじヶ丘は、さすがに標高500mを超えるとちょっと涼しく感じるけれど、それは34度と比べてで、強い日差しを浴びながら30度の中を活動できるのかとなると、家人の判断が正しいのはよく理解できる。
筋肉オタクの元中くらいの人にも、この条件で山を登ろうなんて無謀だと、あとで諭されたけれども、自分の気持ちはやるせない不満でどうにも収まらず、この写真を撮っていたときには、実に情けない状態だった。
山は逃げない、いつだってでんと構えて迎え入れてくれる。
もう少し、気温が下がって活動しやすくなったら、また行けばいい。
自分の足で登って無事に降りてくるのが、山へ対しての礼儀であって、そうでなければ心身のデトックスなんて望めないのである。
そう遠くない日に、再チャレンジだ。