中島みゆきのカバー第一人者といえば研ナオコ。
彼女の名前を知ったのは1972年のシングル、京都の女の子。大ヒットにはならなかったけれど、当時小ヒットしたぐらいは売れたと記憶している。そして1975年の宇崎竜童が彼女のために書き下ろした愚図もよかった。
そしてその後彼女は中島みゆきの作品をカバーしていくことに。
本日は1978年に出た中島みゆきの作品のカバー集、Singer Naoko VS Writer & Composer Miyukiでも。
それにしても歌が上手いと思う。他のアイドル系歌手もカバーしていたけれどレベチだったね。
当時はテレビでコメディアンヌを演じお茶の間に笑いを振り撒いていたのをよく目にしていたのでこのアルバムを聴いて改めてそのギャップに驚く。
欲を言えば、このアルバムの後に出した中島みゆき作のシングル、ひとりぼっちで踊らせてが収録されていたら完璧だったのに。
「この空を飛べたら」って、歌っていた加藤登紀子さんの
作品だと思っていました。中島みゆきさんの作詞作曲だったんですね。
研ナオコさんって、バラエティの事ばかり印象に残っていますが、
「あばよ」とか「かもめはかもめ」とか、
聴いていると歌のうまさがよくわかりますね。
淡々と歌うのに印象に残ります。
そして「窓ガラス」とかは、まだ売れてない頃の
アルフィーをバックに歌う映像がいくつかありますね。
この時には、大ブレイクするとは思っていなかったでしょう。
守備範囲が広いって言っても、はっきり言ってザルです。さらっと表面をなぞるだけで、いつもながら深みに欠けるオイラであります。
そうですね。アルフィーをバックに歌ってましたね。彼女はデビューする前からスパイダースに目をかけてもらっていたらしく、その後堺正章らとTVのコメディーで絡む時は息もぴったりでした。