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【夏休み特別企画】沖縄地上戦の悲劇「ひめゆり平和祈念資料館」を家族で訪問して、恒久平和を心に誓う、17歳のタッキーは惨状に絶句!

2017-07-29 | FAMILY関係

50歳を過ぎて、初めて生のひめゆりの塔を訪問。

17歳のタッキーも初訪問、カミさんも初訪問。

テレビで、メディアを通してしか知らなかった「ひめゆりの塔」

ひめゆりの由来

ひめゆりは植物のひめゆりではないそうです。

沖縄師範学校女子部と、沖縄県立第一高等女学校は、それぞれに校友会誌がありました。

一高女は「おとひめ」、師範は「白百合」。

両校が併置されることになり、校友会誌も一つになり、「姫百合」となったそうです。

「ひめゆり」になったのは戦後だそうです。

戦後72年が経ちますが、今も慰霊が続いていますね。

2004年4月にリニューアルした「ひめゆり平和祈念資料館」へ。

館内は撮影禁止。

今も大切に飾られている千羽鶴。

鎮魂。

恒久平和を願う。

恒久平和を誓う。

米軍の沖縄上陸作戦が始まった1945年3月23日深夜、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒222人、教師18人は、

那覇市の南東5キロにある南風原の沖縄陸軍病院に配属されました、

3月26日、米軍は慶良間諸島に侵攻、4月1日には沖縄本島中部西海岸に上陸。

米軍の南下に従い、日本軍の死傷者が激増し、学徒たちは後送されてくる負傷兵の看護や水汲み、飯上げ、死体埋葬に追われ、仮眠を取る間もなくなってきます。

5月下旬、米軍が迫る中、学徒たちは日本軍とともに陸軍病院を出て、本島南端部に向かいました。

激しい砲爆撃が続く中で、6月18日、突然の「解散命令」に絶望し、米軍が包囲する戦場を逃げ惑い、

あるものは砲弾で、

あるものはガス弾で、

そしてまたあるものは自らの手榴弾で、

命を失いました。

陸軍病院に動員された教師・学徒240人中136人、在地部隊その他で91人が亡くなりました。

日本軍は米軍の日本本土上陸を1日でも遅らせるために、

持久作戦を取りました。

沖縄県民の根こそぎ動員は、12万人に上る沖縄住民の犠牲を生みました。

戦争を知らない私たちにできること、

それは、

慰霊と、

恒久平和を誓うことではないでしょうか?

今、

私たちが美味しい、何不自由ない生活をしている、

その礎(いしじ)には、

戦争で血を流して死んでいった先人の犠牲者の方々がいたからではないでしょうか?

もう二度と戦争はしません!

WAR KILLS EVERYTHING.

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