去年の年末あたりから、『小鉄』の放浪の旅は始まった。
その頃から川沿いで出会う人達ともすれ違いで
煙草を吸いに来るおばあちゃんとも、犬の散歩のおじさんとも
猫缶のおばさんとも会えなかった。
いつも通る道から前に住んでいた団地の窓が見えるのだが
今年に入ってから、
私の次の住人であるおばさんの家に
ハトロン紙のカーテンが退出の旨を伝えていた。
名古屋の御子息の家に引越されたのだろう。
『小鉄』とは、別れの挨拶は出来たのだろうか。
そんな事をぼんやり考えながら窓を見上げていると、
ベランダにハトが二羽、止まっていた。
もしや、「鳩山さん」?
仲睦まじく並んで止まっているが、親子か夫婦か解からない。
少子化問題に貢献出来たのだろうか。
おばさんは名古屋でご家族と上手く生活出来ているのだろうか。
お節介かもしれないが、ただ祈る事で
その人が幸せになれるのならば
遠くからでも、祈りたいと思う。
「幸せであるように」
そして小さな命達が運んだ、
不思議な出会いに感謝を捧げたい。
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私は“鳩山さん”が気になりました(^^;
過去にさかのぼって、少しですが読ませていただきました。
こちらは、素敵な出会いがある路地のような場所なのかな??と思いました(*^^*)
素敵な出会いもあれば、置き引きにあった事も。。
猫と遊んでいると、
他の人に猫が死角に入っていると
本当に不信な人に見られてしまったり…。
おかしな出会いもあれば、不思議な出会い、
嬉しい出会いもありですね。
目に見える効果や確証は何もないのに
どうして祈ってしまうんだろう。
でも、誰かのために祈ることは
きっと知らないところで何かしら
作用してるんだと思う。
自分も誰かに祈ってもらえることがあるのかな。
思いがけずツイてた、とかラッキーだってときは
誰かが祈ってくれてるのかも。
おばさん、きっと幸せだよ。
誰かが蔭で祈ってくれたり、
力になってくれている…
そんな風に考えると
自分ひとりでは何も出来ていないんだなぁと
思ってしまいます。
ついつい
「俺様」になりがちな自分にも
ちゃんと
「お蔭様」がついているのかもしれませんね。