(写真は『長老』…イメージです)
『小鉄』の所へ通う様になって八ヶ月が過ぎる。
雨だろうと台風だろうと毎日通った。
犬の散歩の人達ともいつの間にか顔見知りになってしまった。
川沿いの納骨堂の裏にはベンチがあり、散歩の途中に喫煙や休憩出来るスペースがある。
そこへいつも淋しそうなおばあちゃんが一人、煙草を吸いにやって来る。
「猫の名前は、何て言うと?」
「小鉄です。」
「そーね。小鉄ね。」
…こんなやりとりを何度か繰り返した。余り会話をするでもなく、猫と私の姿をずっと見ていた。
どうやら耳が遠いらしく、会話より同じ時間を共有するコミュニケーションを選ぶ事にした。
ある日、私がいつもの時間に行ってみると、
おばあちゃんが先に来ていて『小鉄』に猫缶をあげていた。
すっかりお腹一杯の『小鉄』は、その日を境に私の膝の上で寝るだけになった。
『小鉄』と私に出会ってから、以前より元気になったと、
おばあちゃんの御子息がわざわざ私にお礼を言いに来られた。
ひたむきに食べ、ひたむきに眠り、ひたむきに愛す。
三つの欲しか持たない小さな命だからこそ、
つかの間の触れ合いでも淋しさが癒されるのかもしれない。
「生きる意味」を問う必要はない。
食べ、眠り、愛する事が生きる力を与えてくれる事を、猫は知っている。
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『小鉄』の所へ通う様になって八ヶ月が過ぎる。
雨だろうと台風だろうと毎日通った。
犬の散歩の人達ともいつの間にか顔見知りになってしまった。
川沿いの納骨堂の裏にはベンチがあり、散歩の途中に喫煙や休憩出来るスペースがある。
そこへいつも淋しそうなおばあちゃんが一人、煙草を吸いにやって来る。
「猫の名前は、何て言うと?」
「小鉄です。」
「そーね。小鉄ね。」
…こんなやりとりを何度か繰り返した。余り会話をするでもなく、猫と私の姿をずっと見ていた。
どうやら耳が遠いらしく、会話より同じ時間を共有するコミュニケーションを選ぶ事にした。
ある日、私がいつもの時間に行ってみると、
おばあちゃんが先に来ていて『小鉄』に猫缶をあげていた。
すっかりお腹一杯の『小鉄』は、その日を境に私の膝の上で寝るだけになった。
『小鉄』と私に出会ってから、以前より元気になったと、
おばあちゃんの御子息がわざわざ私にお礼を言いに来られた。
ひたむきに食べ、ひたむきに眠り、ひたむきに愛す。
三つの欲しか持たない小さな命だからこそ、
つかの間の触れ合いでも淋しさが癒されるのかもしれない。
「生きる意味」を問う必要はない。
食べ、眠り、愛する事が生きる力を与えてくれる事を、猫は知っている。
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食べる
眠る
どちらも生理的欲求で
生きていく上に置いて欠かせないもの
そして愛されることを感ずる
猫も人間も同じ
自分を可愛がってくれる(愛してくれる)
そう感じるときが幸せ
猫は、昔から人間にとって親しみのある動物ですが
犬とも鳥とも違ったスタンスの異種交流の持ち主です。根強く残る野性味と、猫の持つ絶大なる寛容さに惹かれるのは所謂、ギャップ効果なのかもしれません。