六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

亡命・難民・漂流『カフェ・シェヘラザード』の人びと

2021-02-15 11:41:54 | 書評

『カフェ・シェヘラザード』 アーノルド・ゼイブル 菅野賢治:訳  共和国

 シェヘラザードはいうまでもなく『千夜一夜物語』の語り手の王妃である。
 しかし、この小説では、語り手は複数であり、聞き手がマーティンという登場人物の中ではおそらく一番若い物書きである。

             

 カフェ・シェヘラザードは、オーストラリアのメルボルンに1958年から99年にかけて実在したカフェであり、しかも、この小説の最初と最後に登場するこのカフェの経営者、エイヴラムとマーシャ夫妻も実在し、その他の語り手であるザルマン、ヨセル、ライゼル(カフェ・シェヘラザードの常連客)なども基本的には実在するのだそうだ。
 「基本的には」というのは、この書はルポルタージュではなくあくまでも小説であり、したがって、それら登場人物は彼ら自身の経験と同時に、それを類型とする同時代人の経験をさまざまに重ね合わせたものだという。

 すでに述べたように、カフェ・シェヘラザードは、オーストラリアのメルボルンにある。したがって、その周辺の情景描写はでてくるものの、物語の主な舞台はポーランドやリトアニアの都市、ヴィルニュスやカウナス、それに、シベリア、舞鶴、神戸、上海と広範囲に及ぶ。

         
             リトアニアのヴィルニュス 旧市街

 なぜこんなことになるかというと、このカフェの経営者や常連には、地理的、歴史的共通点があるからだ。その共通点とは彼らが、ナチスドイツ成立後の混乱のなかで、ポーランドやリトアニアに暮らすユダヤ人だったこと、そのそれぞれが身の危険を感じて命からがらそこを脱出したり、あるいは、現地にとどまり、パルチザンとして地下闘争を展開した人たちだからである。

 カフェの経営者、エイヴラムはブンド(リトアニア・ポーランド・ロシア・ユダヤ人労働者総同盟)に属したパルチザンの闘士で、ナチスドイツと果敢に戦うのだが、解放後は、ボルシェビキとの路線の違いからソ連当局からの抑圧を受ける身になる。
 このあたりは、東ヨーロッパユダヤ人が「前門の虎、後門の狼」(あるいは、ヒトラーとスターリン)状態にあったことをよく表している。ナチスからの解放は、スターリニストによる粛清の始まりだったのだ。

         

 注目すべきは、混乱の東ヨーロッパ脱出してきた語り手の二人が、それぞれ、リトアニアのカウナスにいた日本領事館の杉原千畝の発行したビザによって、シベリア鉄道から船旅で舞鶴にいたり、その後、神戸でのしばらくの滞在を経験していることだ。
 そのうちの一人は、神戸で上演された日本人によるオペラ、ヴェルディの『椿姫』を観たと語る。いくぶん歌舞伎調に様式化されたその演出は、それはそれで魅惑的だったという。

 神戸組はその後、上海に渡り、1941年12月の日本の正式参戦後の混乱を生き抜かねばならなかった。

 様々な経路をたどり、彼らが辿り着いた先がメルボルンだった。そして、エイヴラムとマーシャ夫妻のカフェ、シェヘラザードがそのたまり場となる。激動の20世紀を生き抜いた東ヨーロッパのユダヤ人たちの終の棲家ともいうべき安らぎの場である。

 その語りは、悲惨を絵に書いたようなものも含め、その安らぎを保証するカフェ・シェヘラザードにおいてこそはじめて語りうるものだったろう。
 なぜそのカフェのネーミングが「シェヘラザード」だったのかは章を読みすすめるうちにわかるようになっている。

             

 私のように固定した島国でコソコソと生きている人間にとって、亡命者にして漂流者、難民を生き抜いてきた彼らの人生はまさに地球規模の壮大な物語をなしている。しかし、読み終わったいま、彼らの織りなす物語は、私が生きてきた一見凡庸な物語の裏面に確実にはりついていたものだと了解することができる。事態は、常に、既に、グローバルなのである。

 作者のアーノルド・ゼイブルはニュージランド生まれだが、その両親はポーランド系ユダヤ人で、やはり亡命者である。だからこの小説は、彼にとってもそのルーツを辿るような意義をもっていたことだろう。
 いまは、この小説の舞台、メルボルンで、作家として、また人権派の活動家として著名であるという。オーストリア国内では五指に余る文学賞を受賞しているということだが、その内容はわからない。

 なお、日本語訳はこれが最初だという。
 当時の歴史的背景が多少わかっていれば、波乱万丈で読んでいてとても面白いのだが、少々お勧めしにくいのは、その価格が3,500円と小説にしてはいくぶん高いのだ。
 私のように、図書館でのご利用をお勧めする。

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記録からアリバイ証明へ…写真を変えたスマホとSNSの時代

2021-02-06 14:12:20 | 書評
 大山顕『新写真論 スマホと顔(株式会社ゲンロン 2020年3月)を読了した。
 私は不勉強で意識して触れたことはないが、「写真論」というものがあって、写真とはなにか、それは私たちにとってどんな関わりを持っているのかということは結構論じられてきたようだ。例えばベンヤミンの『複製技術時代の芸術』との関連で論じられたりもしている。

                 

 かつてのそれらは、ほとんどフィルム写真を念頭に論じられてきた。しかし、今やフィルム写真は一部の好事家を除いてはほとんど姿を消したといっていい。私などはド素人のくせに結構フィルム写真で粘っていて、気づいたら回りはほとんどデジカメになっていた。
 デジタルカメラももちろん写真の大革命であったといえる。撮影は手っ取り早いし、しかもPC上の写真ソフトで誰もがトリミングから色調や鮮度の編集ができてしまう。

          
 
 しかし筆者は、デジカメはまだフィルムカメラを追いかけるものであり、ほんとうの写真の革命はスマホとSNSが普及した今世紀のものだという。
 スマホは今や圧倒的に多くの人が持ち、その多機能を駆使するのだが、電話機能と写真機能はほとんどの人が用いている。

 かつてのフィルムカメラの時代、そしてデジカメの時代も、基本的には一家に一台で、その使用権は概して家長である男性のものであった。
 しかし、今やスマホは小学生も含めて、ほぼ家族全員が所有するに至っていて、それらの各自が写真を撮る。一億総写真家の時代といっていい。

         

 しかもその写真は、かつてはファインダーを覗いて現実の風景から対象を選別し、ベストショットを狙ったのだが、スマホの写真はそうではない。液晶パネルに映し出されたそれをタッチすることによって固定化するいわばスクリーンショットなのである。しかもiPhoneの場合は、そのショットの前後何枚かが表示されるから、それら複数のうちから選択することができる。

 もうひとつの革命は自撮り機能にある。かつての写真は、撮すものと撮されるのも、撮影者と被撮影者が分離されていたが、今やそれは渾然一体となってしまった。撮される者の位置に撮す者が、撮す者の位置に撮される者がいる。

                        
 さらにそうして撮られた写真は、インスタグラムなどのSNSに投稿される。というより、投稿することが撮影の目的であり終着点なのだ。そこに掲載された写真は、「ばえる」・「ばえない」で不特定多数によって審査され、「いいね!」を多く付けられたものがいい写真ということになる。

 かつては観光地へ出かけた写真などは、思い出や記念の記録として冊子としてのアルバムに収録された。今や、アルバムに写真を貼るということ自体が廃れてしまった。写真は、思い出の記録というよりは、どこそこへ来て何々を食べたというアリバイ証明になってしまった。

         

 では、アルバムに貼られなくなった写真はどこへ行くのか。不出来な写真やすでにSNSなどに掲載し、用済みのものは削除され、ネット空間の闇のなかに姿を消す。これはと思うものはスマホやPCのなかに保存されるが、その容量の増加に従ってiCloudなどの共用のネット空間に蓄積される。そしてそれらは、不可視のAI の操作によって管理、整理され、私たちにはわからない次元で現実にフィードバックされ、私たちを方向づける作用をしているかも知れないのだ。

 これらを通読して考えさせられるのは、ふつう私たちは、私たちの欲望がテクノロジーを発展させるのだと思っている。しかし、実のところは、テクノロジーの発展が、そしてそのテクノロジーの欲望が私たちを駆り立てているのではないかということだ。
 これはまた、AI を駆使しての利便性の追求が、実のところ、AI による私たちの支配ヘ通じる可能性をも示唆している。

         
 
 作者は、建築物や構造物を専門に撮る写真家である。その写真についての考察は的確で面白いが、同時に、小分けされた一つ一つの文章は、専門家によるエッセイを読む面白さがある。
 例えば、2024年に発行予定の新五千円札の津田梅子の肖像は左右反転(フィルムカメラの時代にはこれは裏焼きといった。今は写真ソフトでそれが可能)していて、これは彼女の肖像がお札の右側にあるため、元のままだとお札の外側を向いてしまうといったことなど、なるほどと思わせる。
 私にとって衝撃だったのは、よく見慣れ、最近も同人誌でそれに触れた有名な「焼き場に立つ少年」(1945年長崎にてジョー・オダネル撮影)が、実は裏焼きで左右反転していることが2019年に判明したという事実である。もちろんそれによって写真の評価は変わらないのだが。

           
     見慣れた左の写真は実は裏焼きで右のものがオリジナルらしい

 ついでながら、鏡に写ったものを撮ると左右反転するが、自撮りの場合、液晶に表示されるものは鏡同様左右反転しているが、写真に撮るとそうではなくなる。

 著者の目の付け所はここでは書ききれないほどに多彩で広く、そのそれぞれに説得力がある。デジカメや、特にスマホで写真を撮りまくり、それをネットに載せている人たちへのお勧めの書である。

 写真は書や著者、「焼き場に立つ少年」以外は筆者による建築物や構造物の写真。

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【読書ノート】『ぼくは幽霊作家です』キム・ヨンス(金 衍洙)を読む

2021-01-26 14:30:33 | 書評

 『ぼくは幽霊作家です』 キム・ヨンス(金 衍洙) 橋本智保:訳 新泉社(韓国文学セレクション)

 例によって図書館の新着コーナーを覗いていた際、この書が目に止まり、目次などをペラペラみているうちに、よしっ、借りようと思ったのは昨年末に読んだキム・ヘジンの『中央駅』が面白かったからだ。

            
 
 小説などの文学作品にはもともと疎い私だから日本文学も西洋文学もろくすっぽわかりはしないのだが、キム・ヘジンを読み、その後、イラン系アメリカ人のアザリーン・ヴァンデアフリートオルーミの『私はゼブラ』に触れたりしているうちに、彼女たち(両者はともに女性)はその出自の国家や民族の特殊性をまといながらも、当然のことながらもある種の普遍性を備えていること、とりわけ、日本で、いまここにこうしているこの私を刺激するものをもつという同時代性のようなものを感じたのだった。
 それを、グローバリゼーションとかインターナショナルとか、あるいはトランスナショナルといってしまうとなんか違うような気がする。この世界の芯のところにある共同性のようなものが放つ質量感、強度が私に迫るといった感じだろうか。

 今回の著者、キム・ヨンスはとてつもなく博覧強記で古今東西、時空にまたがる知識をもっている。それを示すのが、この九つの短編を網羅した小説集なのだが、そのそれぞれが時空を異にするのみか、その主人公も男女、国籍、民族、社会的立場などなどがすべて異なっていて表面上の共通点はない。
 なかには、「彼が」で語られていた物語が、終盤に至ってそれを記している「私」に回収されるものや、男であると思っていた「闘士」が女性であったとかいったトリッキーな設定もあるのだが、それらも含めて、それぞれの主人公をして語らしめるという意味で、そのタイトルが『ぼくは幽霊作家です』となったと思える。

         

 彼の博覧強記ぶりは、こうした短編集であるにもかかわらず、巻末に十数頁の〈注〉が付されていることからもわかる。もっとも私の場合、いちいちその注を参照することはなかった。読書のリズムが崩れるからなのだが、それでも、どうしてもそれを抑えておかなければというものについては参照した。そのおかげで、スターリンの大粛清と並行するかのように起こった1930年代なかばの民生団事件について知ることが出来た。
 いずれにしても。その出典の多様さから、彼の博識ぶりが浮かび上がってくる。

 とりわけ、漢詩についての知識は並々ならぬようで、いずれの小説においても文章の中途で何気なく挿入される。それはあたかも、西洋の小説のなかで、聖書やギリシャ・ローマ神話が頻出するのに似ているかもしれない。

 内容をあえてまとめるなら、歴史のなかに翻弄される人びとといっていいだろうか。必然性の尻馬に乗って王道を走るというより、そこからはじき出され、あくまでも偶然に満ちた生をそれとして生きなければならない人たち、彼はそれを「不能説」という言葉で表しているようだ。

 短い彼自身の「あとがき」のなかで、彼は「私」を知るために万巻の書を読んだといい、それらの書を通じて、世の中は「私」とは比べものにならないほどの嘘つきに溢れていることを知った、という。以下、それに続く段落を彼の言葉で載せておく。

 一人称。「私」。私の目で見た世界・「私」だけで構成された小説集を一冊出したかった。やれるだけのことはやった。なぜなら「私」は本当に嘘つきになってしまったのだから。(あとがきより)

             
 
 この一見、歴史的現実とはニュートラルなもの言いとは裏腹に、彼のこの短編集には、朝鮮半島の歴史、日本の支配下におけるそれ、その解放後、そしてその後の内戦、その境界が現在のように落ち着く前の流動的な南北境界の移動、などなどの歴史的事実が重くのしかかっている。
 
 最後の短編、「こうして真昼のなかに立っている」は、そうした南北の支配地域が移動するなかで、その都度、自分の立ち位置を選択せざるを得なかった生き方、そして、その際の選択に関する事後的な査問、追求、人民裁判、処刑・・・・などが、その皮肉な逆転とともに語られている。
 「そして私は、ここでなんと叫んで死ねば良いのでしょうか」が残された主人公の言葉である。

 ここに至ってキム・ヨンス自身が、歴史から超越した存在でもなんでもなく、まさにその歴史と向かい合っていることに気づく。 ただし、単純な正邪、善悪の対比でそれを語るとき、彼はほんとうの大うそつきになってしまうだろう。だから、そうした出来事の周辺にあって、偶然としてそれに関わり合った人間のありようを、その現場を再構成することによってその人間に語らせるという方法をとっている。
 だから彼は自分のことを幽霊作家=ゴーストライターとしたのだった。

コメント (4)
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偶然触れた読書録『私はゼブラ』文学のみを愛せよ!

2021-01-12 15:26:42 | 書評

 『私はゼブラ』(原題「Call Me Zebra」)
     アザリーン・ヴァンデアフリートオルーミ 木原善彦:訳 白水社

 この著者名をみて、どこの国の人のどういう人か分かる人はよほど世界をよく知っているか、あるいは文学事情に詳しい人だ。私にはさっぱりわからなかった。

 図書館へ出かける際には、自分の抱えているテーマに即した書など、予め照準を定めて行く。しかし、それのみ借りて「ハイさようなら」ではなんとも味気ないので、新着図書の棚も覗いてみる。
 そこで目についたのはこの書だ。というよりこの著者名だ。アザリーンはともかくヴァンデアフリートオルーミという姓は・・・・? 横文字標記では Azareen Van der Vliet Oloomi とある。

           

 ん?と巻末の著者略歴をみてみる。1983年生まれ、イラン系アメリカ人女性とある。複数のアラブ諸国が、アメリカの仲介でイスラエルと国交を回復するなか、反米の旗を降ろすことなく抵抗し続けるイラン、そこをルーツとする作家、それだけでも面白そうなシチュエーションではないか。

 さらに経歴を読みすすめる。この書は、彼女にとって2作目の小説で、第1作は邦訳されていないが、新進作家を選んでサポートするホワイティング賞を受賞しているらしい。さらにこの『私はゼブラ』では、ウィリアム・フォークナー記念の文学賞、ペン/フォークナー賞を受賞したとある。
 
 ただし、アメリカの文学賞などの事情に暗い私にとっては、それがどれほどの権威があるものかはさっぱりわからない。だいたいにおいて、賞の権威がよくわからず、ノーベル文学賞もほとんどスルーなのだから当然のことだ。
 ただし、カズオ・イシグロは別で、どんなきっかけだったかこれは面白いと読みはじめ、邦訳があるものはほとんど読んだ後にノーベル賞が決まったのだった。

 話を戻そう。経歴はともかくとして、問題はその内容だ。本文をペラペラっとめくってみる。目に付く言葉たちを追って驚いた。
 そこには、古今東西の思想家や文学者たちの名前があるいは列挙され、あるいはほとんどのページごとに散見されるのだ。例えば以下のような人々が。

 プラトン ニーチェ ベンヤミン ブランショ エドワード・サイード ハンナ・アーレント
 ホメロス ダンテ ゲーテ セルバンテス スタンダール リルケ カフカ 清少納言 松尾芭蕉

 実はこれは、彼女が触れている名前の半分ほどに過ぎない。というのは残りの半分は私が全く知らない人々なのだ。それらの人々は、おそらく欧米文化の中では周知だったり、何よりも彼女のルーツ、中東、アラブ圏でよく知られた人々なのだろうが、浅学の私には馴染みがないものだ。

            

 で、借りてきて読むことにした。
 物語は、彼女の実人生と重なるような部分もあって、イランにあって、代々、「独学」「反権力」「無神論(あらゆる権威の否定)」の三つを掲げ、「文学以外の何ものを愛してはならない」を家訓とするホッセイニ一族の末裔としての主人公ゼブラが、その父母とともに独裁権力に追われ、イランをあとにしてトルコ経由でアメリカに亡命する過程を前置きとし、父母を失いながらも成人した彼女が、自分の亡命の行路を逆に辿り直す話である。

 その亡命の途次、彼女の父親(アッバス・アッバス・ホッセイニ アッバスの繰り返しは誤りではない)はまだ幼い彼女の耳許に、その家訓と、古今東西の思想家、表現者のありよう、その言葉を絶えず囁き続け、それらはしっかりと彼女のなかに内面化され、その立ち居振る舞いを形成するに至る。もちろん、その父親のガイドに従い、彼女自身がそれらを読破し、それを元にしたノートを持っている。

 こうして、その家訓を実践する限り、彼女はどこにあっても「亡命者」たらざるを得ない。なぜなら、この世を取り巻く「俗世」は、それぞれ恣意的な権威を疑うことなくその前提として成り立っているからで、常にそれを指差し、「それはなにか?」とソクラテス風に問うことをやめない彼女は疎まれることになるからだ。

 客観的に観る限り、彼女の立ち居振る舞いは、風車に挑むドン・キホーテのように滑稽なものたらざるを得ない。彼女を取り巻く人々は割と彼女に寛容なのだが、にもかかわらず、そこにはさまざまな齟齬が生み出されることとなる。そしてそれらは、先に掲げた三つの家訓を守る限り、彼女にとって避けられない運命なのだ。

 もし彼女が私の周りにいたとしたら、バルセロナで彼女が出会った恋人以上恋人以下の文献学者、ルード・ベンポがそうであるように、いささか面倒で、その対処に困惑するだろうことは間違いない。
 しかし彼女は、私たちがもっている日常的な合理主義に屈しない文学的精神状況を、純粋に凝縮した存在だとしたらどうだろう。

         

 何がいいたいかというと、現実にこの世の中を支配している連中は、文学や芸術などなくったって一向に構わない、むしろ不合理ともいえるクレームを差し挟むそんなもののはない方がいいくらいに思っている効率一辺倒の輩である。たしかに、表層の歴史は彼らによって進められているようだ。

 しかし、一方では、それらとは断絶した、というか常にそうした効率世界の裏面に張り付いている精神世界も存在する。今様にいえば、「不要不急」をこそエネルギーにした詩的、芸術的世界の展開だ。
 それらは、古代から連綿として続く精神の歴史ではあるが、自らに意識的になったのは19世紀末ぐらいからかもしれない。
 それが、ニーチェ、ハイデガー(彼女の書には登場しない)、カフカ、ベンヤミン、ブランショ、サイード、アーレントなどの系列かもしれない。

 アーレントは、彼女の小説では、ベンヤミンに忠告する存在として2、3度登場する。彼女は、現実政治を追求したかのように思われがちだが、政治をこれまでの概念から解き放ち、人が「何」ではなく「誰」として立ち現れる場として思考する限り、分配の効率化を図る現実政治とは一線を画す。その意味では、しばしばその離反が語られるハイデガーとの関連においても、彼女はやはりその系列に属しているというべきだろう。
 
 今年はじめて読んだ長編小説はそんなことで、かなり「形而上的」なそれであった。 
 主人公ゼブラは、極端で常に危なっつかしい存在ではあるが、読みすすめるにつれ、なんとかこの現実のなかでそのありようが維持できないものかと思わせるに至る。たとえそれが周辺からは滑稽に見えようとも、そこにはしばしば崇高さの片鱗があるように思うからだ。

 https://english.nd.edu/people/faculty/vandervliet/


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『夜と霧』再読と村田諒太選手へのお詫び

2020-12-30 02:33:35 | 書評

 必要があって、60年ほど前に読んだヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を再読した。
 この書は、ナチス収容所が凄惨な死体生産工場であるとともに、生きている人間をも徹底して心身ともに破壊する場所であることを知らしめた初期の記録である。

             

 当時私が読んだのは、霜山徳爾訳の1956年版であったが、今回のものは2002年版の池田香代子訳のものである。この間、原著者による若干の訂正や語彙の変更などはあったようだが、基本的な内容は変わっていない。

 著者のヴィクトール・E・フランクル (1905~97)は、フロイトやアドラーに師事したオーストリアの精神医学者・心理学者であったが、ユダヤ人であったがために1942年、新婚の妻と母親とともにアウシュビッツ収容所へ搬送された。
 幸い、彼はしばらくして別の収容所へ移送され、そこでの重労働などに従っていたが、そこでもまた、その過酷さに耐え切れない死者が続出するなか、ドイツ敗戦まで耐え抜き、生還することができた。妻と母はそのまま還らぬ人となっていた。

           

 この書は、そうした精神医学者の眼差しをも交えながら、彼が実体験した事柄の記録であるが、かいつまんでいってしまえば、収容所がいかに人間が人間たることを徹底して否定し、そのかけらすら奪い取るものであるかということ、そして、にもかかわらず、その極限状況のなかで生き抜くこととは、しかも最低限の人間の尊厳を保持することとはいかにして可能か、あるいはいかに困難であるかということである。

 未読の方には一読をお勧めする。精神医学者が書いたからといって、特別に学問的な書ではないし、学術用語もほとんど出てこない。

 実はここからが私が書こうとしたことなのだが、この書に関する付帯事項などを検索していて、面白い人物に出会った。
 それは、2012年、ロンドンオリンピックのボクシングミドル級で金メダルを取り、その後、プロに転向し、現在もWBA世界ミドル級チャンピオンの村田諒太(1986年~)氏で、彼は、Facebookに、こんなコメントを残していた。

          

 『夜と霧』に出てくる、カポー(同じ収容者でありながら、見張り役など、特別な権利、立場を与えられた収容者)が時にナチス親衛隊より酷い仕打ちをしてきたという話、そのカポーを裁くことが出来るかどうか。
 フランクルの言う、石を投げるなら、同じ状況に置かれて自分が同じようなことを本当にしなかっただろうかどうかと自問してみること。人を糾弾する前に必要なことだと考えています。
 世の中にはこのカポーが溢れていることを忘れてはいけないなと、改めて思う今日この頃です。(カッコや句読点に三嶋の補充あり)

 へ~、村田選手がねぇ・・・・というのが率直な感想で、こんな書を読んでいて、しかもこの箇所に関してはとても適切なコメントだと感心した。しかし、その後、なんとなく、違和感や後ろめたさのようなものを感じてしまったのだったが、それには思い当たる節があった。

 私の評価は完全に上から目線だったのだ。率直に言って、「スポーツ選手のくせに」という既成観念、固定観念があったと思う。体育会系と文系という垣根ヘのこだわりである。これはまた、文系・理系という線引きへの硬直した反応にも関わるかも知れない。それらのボーダーを超えて思考したり、優れた業績を挙げている人を数多く知っているにもかかわらずだ。

         

 やはり私は自己批判すべきだと思う。村田氏は、「ボクサーでありながら・・・・」ではなく、あるときはリングで闘い、またあるときは『夜と霧』を読み、考え、発言する人なのだ。もちろん、書を読み、考えることを特権化することもまた、偏っているのだろうと思う。
 ただし、村田氏のように、一芸(?)に秀でながら、なおかつマルチに諸方面への関心を抱き続けることには羨望すら覚える。

 私が当初、彼の発言に上から目線で応じてしまったのも、いくぶんかのジェラシーを含んだものであったかもしれない。
 いずれにしても、自分の尊大さは恥ずべきものだろう。
 村田さん、ゴメンナサイ。

《言わずもがな》『夜と霧』の原題は、『それでも生にしかりという 心理学者、強制収容所を体験する』だが長すぎるせいか、上記になった。「それでも生にしかりという」は、ニーチェ的で、私の好きな言葉だ。フランス語では「セ・ラ・ヴィ」だろうか。

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そこにある世界での生 小説『中央駅』(キム・ヘジン 生田美保:訳 彩流社)を読んで

2020-12-08 01:15:54 | 書評

 なんでこんな本を読んでしまったのだろう。
 後悔しているわけではないが、そのもって行き場のないような読後感に打ち圧しがれている。

 必要があって論文調のものばかり読んでいるのだが、それが続くと自分の感受性のようなものが妙に偏って、概念先行型というか、感性の鈍麻というか、そんな状態に陥るのではないかとふと思ったりする。

            

 そんな微かな思いをもち、いつものように図書館の新着コーナーをチェックしてたとき、この書が目に留まった。韓国の女性作家だという。つい最近、どこかの書評コーナーで、近年の韓国女性作家の作品は見るべきものが多いとあったのを思い出した。
 それで借りてきたのだが、結果としては、一気に読ませる力がある作品ではあった。しかし、その内容はなかなか重く、消化しきれないものが残っている。

 意外なのは、著者は30代の女性なのだが、その主人公が男性だということで、しかも、性に関する微妙な表現もみられるし、読んでる途中でそれが女性の手になることをまったく感じさせないように話は進んでゆく。

 タイトルの「中央駅」は、おそらく再開発が進んでいるソウル駅周辺で、主人公の男性は、キャリーケースを引いてふらりとそこへ登場し、その界隈にたむろするホームレスたちに溶け込んでゆく。この一団の中で最も若いと思われるこの男の過去や、彼がどうしてここに現れたのかは一切述べられることはない。
 彼のみならず、登場人物は名前をもたず、ただその特徴においてのみ差別化されている。

             

 彼が地下道にねぐらを見つけて体を休めているとき、「女」が現れ、寒いといって彼に体を擦り寄せるようにして共に睡眠を貪る。が、目覚めたとき、彼の持ち物の全てと思われるキャリーケースは女とともに消えていた。
 彼の執拗な追求によって、やがて「女」は見つかるが、キャリーケースはもはやない。彼は女をぶちのめすのだが、彼女は詫びとして「一回あげる」といって自らの体を開く。

 しかし、これは序盤でしかない。それを契機とした「俺」と「女」の関わりが始まるが、彼女もまた、かつて結婚していて子供もいながらここへ流れ着いたということが示唆されるのみで、「俺」よりは年上ということを除いてその全貌はまったくわからない。 
 それのみか、彼女の挙動の端々、昼と夜とのその変貌ぶり、などなどは「俺」にとってもまったくの謎で、他なる者とさえいえる。

 その意味では、「俺」も謎に満ちている。若いし、それなりの能力もありそうだし、一歩踏み切ればここから抜け出せるのに、そして、実際にそうしたきっかけとなる援助の手も差し伸べられるのだが、それに従うことはなく、日銭の入る仕事は若干するにしても、結局はこの世界へと舞い戻ってくる。

         

 その他の登場人物もほぼ同じである。日銭が入れば、集まって酒盛りをし、宵越しの金は持たない。彼らにとっては、ここのみが世界であるかのようで、実際にこの小説の舞台自体が、一部の例外を除いて、この狭いエリアを離れることはない。
 そしてこのエリアで、虚飾を剥ぎ取られた人びとの、赤裸々ともいえる生が展開される。それはあたかも、J・アガンベンいうところの、ビオス(社会的・政治的生)を奪われ、ゾーエー(生物的な生)のみを生きるホモ・サケルのように、まさに「むき出しの生」が生きられている。

 しかし、この書を読み続けるうちに、不思議な逆転現象が生じる。この大都会の片隅で例外的に生きられているこの世界、そちらの世界の方がなんだかリアリティがあって、彼らを石ころでもみるように一瞥し足早に通り過ぎてゆく「通常世界」が、まるで単なる額縁の縁取りのようにその実態をあまり感じさせなくなってゆくのだ。

         
 そんな状況の中で、「女」と「俺」の饐えたような関係が続く。
 どう考えたって、その終焉は救われるはずがないのだが、それを生きている間は生き切らねばならないというように彼らは生きてゆく。やがて、それがプツンと切れることを予測できるのはそれを外部から覗き見している私たち読者のみだ。

 これを、新自由主義的価値観からこぼれ落ちた底辺を描いた社会小説と読むこともできよう。事実、駅周辺の再開発のため、地上げ屋の暴力をも伴った嫌がらせや妨害工作が途中にもでてくるし、それに雇われるのは「俺」たちなのであって、ここには、貧困者たちが対決させられる残酷な情景がある。
 「俺」と「女」がやっと見つけた屋根のある部屋も、再開発のため大家が手放すと決めたため、水も火も灯りもない廃墟と化してしまう始末だ。
 この小説のラストも、そうした地上げ屋に雇われた「俺」が、まだ行方もなく居座っている居住者を、暴力的に追い出すシーンで終わっている。 

 「果てしなく続く夜の中で朝を待つ。風が大きな音を立てて狭い路地を吹き抜けてゆく。冷たい空気が目にしみる。誰かが後ろのほうで凍てついた塀をドンドンと叩く。並んだ者たちが一斉に壁を叩きながら叫び声をあげる。壁は今にも崩れそうだ。俺はヘルメットのシールドを下げ、白み始めた空を見上げる。」

 しかし、そうした社会派的な告発小説としてのみこれを読んだのでは、先に見た、ホモ・サケルとして足掻きながら生きてゆくことの実像をかえって見失うだろう。
 彼らとは異なると思われる通常世界、つまり、私たちの「こちらがわ」で、私たちはゾーエー(生物的な生)を抜け出したビオス(社会的・政治的生)としての生を本当に生きているのだろうか。
 消費社会が次々と押し付けてくる虚飾の担い手として、その日々を過ごす私たちに、否、その虚飾を剥ぎ取ったところに、果たしてビオスとしての尊厳ある生き方があるといえるのだろうか。

                            著者 キム・ヘジン

 もちろん、これもひとつの視点にしか過ぎない。キャリーケースを失った代わりに得た「女」、それをも失った「俺」、身分証明を、自分の名を、詐欺グループらしい連中に売り、自分の未来をも売った「俺」、それでも生きる「俺」。
 もはや、絶望という言葉もそのリアルさを失ってしまうような境遇の「俺」。
 それでも生は、それを突き抜けてゆくのだろう。たぶん。

なお、作者のキム・ヘジンをネットで検索すると、フィギアスケートの選手、女優などがでてくるが、そのいずれもが別人。その略歴は以下。
 1983年、大邱生まれ。2012年に短編小説「チキンラン」で文壇入りし、2013年に本書『中央駅』で第5回中央長編文学賞受賞。2018年に『娘について』(古川綾子訳、亜紀書房、2019年)で第36回シン・ドンヨブ文学賞受賞

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世界が消費の対象になるという究極のニヒリズム(読書ノート)

2020-11-21 00:22:38 | 書評

 以下は、『世代問題の再燃 ハイデガー、アーレントとともに哲学する』森 一郎(明石書房)を読了した後、それに触発された考察である。

 著者は、ハイデガーが「死への先駆」から思考を展開したのに対し、アーレントの哲学を「生誕」をキーワードにして読み解く立場をとる(『死と誕生 ハイデガー・九鬼周造・アーレント』、『死を超えるもの 3・11以後の哲学の可能性』など)。
 同じような視点からアーレントを読み解いたものに、『<始まり>のアーレント――「出生」の思想の誕生』(岩波書店、2010年)があるが、こちらは森川輝一という政治学者の書である。両者ともに「森」がつくのでうっかりすると混同する。
 なお、森一郎の方は、長く読みつがれてきた志水速雄訳の『人間の条件』(当初の英語版を底本にした訳)を、アーレント自身の独訳版に即し、タイトルも『活動的生』として訳出し直したことでも知られる(2015年)。

            
 本書のタイトルの世代問題は、近年の年金問題などを含むといえば含むかもしれないが、もう少し広い視野から、世代間の継承問題を考察したものである。大雑把な目次は以下。

  第一部 死と誕生から、世代生産性へ
  第二部 子ども、世界、老い
  第三部 世代をつなぐもの
  第四部 メンテナンスの現象学 
 1~2部はアーレントに即した記述 3~4部はそれに即した著者の実践的経験と時事的問題などの記述。

 著者の展開はともかく、それに啓発されながら、世代間で継承されてゆくもの、アーレントの指摘による制作(仕事)の成果としての「世界」について少し考えてみた。この場合の世界は、ハイデガーが道具関連の連鎖としてそのうちに私たちが住まうとした「世界内存在」の世界に近い。

 アーレントの考えで理解されにくいのが、人間の行為を労働・制作(仕事)・活動に分けて考察する場合の、労働と制作(仕事)の分け方である。
 アーレントはその産物が消費によって消えてゆくものを労働の成果とし、それに反して、その産物がある程度繰り返して使用され、それらの累積によって広い意味での人間にとっての基本的なインフラ=世界を形成するのが制作(仕事)の成果だとする。
 ようするに、労働は消費に対応し、制作(仕事)は使用(繰り返しの)に対応するわけだ。

 そして、この書で、世代間に継承さるべきとして語られているのはもっぱらそうしたものの連鎖としての世界、ないしはその部分についてである。

          
 これがなぜわかりにくくなっているかというと、現代における人間と生産物との対応の仕方の変化による。結論を言ってしまえば、本来、耐久的な使用の対象であるものが、あたかも消耗品であるかのように使い捨てられるようになったからである。
 例えば、かつては繰り返し着られた衣服の使用回数は、いわゆる衣料品化することによって短いスパンで使い捨てにされるようになった。
 制作(仕事)の成果の最たるものの建造物においても、かつての木造よりも頑丈なはずのコンクリートの建物が、半世紀も経たない短いスパンで建て直されたりする。
 建造物たちはかつてのように耐久性をもったインフラの中心というより、壊すために建て、建てるために壊すという消費サイクルに取り込まれてしまったかのようである。
 これは、ハイデガーのいう「世界像の問題」に通じる。

 つまるところ、全てが消費の引力に抗うことができないまま、世界の持続性が慌ただしい交代劇にさらされているということである。
 そうした状況は新たな問題を生み出すこととなる。例えば、消費の最たるもの食は、食べることによって消滅するが(別途食品ロスの問題はある)、衣料の消耗品化は即ゴミの問題になる。
 かつての飲み物は、瓶に入っていて、そのビンは回収されて再利用されたが、いまやそれはペットボトル化され、有害ごみとして大きな問題となっていることは周知のとおりである。

          
 ようするに、制作(仕事)の産物であった耐久消費物の急速な消費物化により、環境問題に至るまでの状況を生み出しているということである。と同時に、この世界の確固としたモノ性が希薄になり不確かなものになりつつあるといえる。
 どうせすぐに消えるのだから・・・・というのはある種ニヒリズムの温床である。

 こうした世界のあり方は、人間の知性にも影響を与えている。先人が生み出した長いスパンの耐久物と対面しながら、私たちは歴史を継承し、自分たちの時空における位置づけを試み、次代に残すべきものを考えたりする。そして、そこに世界への親密性(愛)が生じる。

 しかし、すべてが急かされ、消費を強要されるなかでは、立ち止まって先人たちから受け継いだ世界を吟味する余裕などはない。本来、歴史的展望のなかで形成される知性は、次々と生み出される消耗品を消費するためのマニュアルへと矮小化される。
 それを立証するかのように、この国の教育やそのシステムは、古典や歴史をないがしろにし、「すぐに役立つインスタントな知識」の習得へと絞り込まれようとしている。

 普遍すれば、先ごろから問題になっている学術会議の問題も、蓋を開けてみれば、最も愚劣でおぞましい戦争という大量消費を支える生産体制に学知を従属させようとする陰謀だということが明らかになりつつある。

             
            アーレントの入門書として優れていると思う 
 
 かくして、私たちの世界への愛は奪われ、世界はただ通り過ぎる対象へと変質する。
 しかしこれこそ、アーレントが繰り返し述べた「人間は必ず死ぬ。しかし死ぬために生まれてきたのではない」とは真逆に、この世界を死ぬための通過点にしてしまっているのではないか。
 そしてそれこそが究極のニヒリズムではないだろうか。
 

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差別と欲望の黙示録 『フライデー・ブラック』を読む

2020-11-19 00:29:15 | 書評

 以下は、『フライデー・ブラック』(ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー 押野素子:訳 駒草出版)を読んだメモ。

             

 この書を手にとったのはまったくの偶然だった。図書館へ行って新着図書の棚を見ていたときだった。ここのところ、論文調のものやルポ風のものばかり読んでいたので、良質なエンタメも含めて、もう少し散文調のものが読みたいなとふと思った。
 それで、文学・小説の棚で出会ったのがこの書だった。背表紙はまさにブッラクで陰気臭かったが、目次を見てパラパラと拾い読みをするうちに、BLM(Black Lives Matter)と関わるような短編集だと検討をつけ、借り入れ図書に加えた。

 ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤーという作者も、出版元の駒草出版というのも馴染みがなかったが、作者については、その名前からして有色人種だと当たりをつけた。これは後で調べた作家の略歴。

 【ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー】 1991年、アメリカ。ガーナからの移民である両親のもとに生まれ育つ。ニューヨーク州立大学オールバニー校を卒業後、名門シラキュース大学大学院創作科で修士号を取得。2018年秋にアメリカ本国で刊行された『フライデー・ブラック』は、新人作家のデビュー作ながら大きな注目を集め、『ニューヨーク・タイムズ』などのメディアでも高評価を得る。『フライデー・ブラック』の表題作は映画化も決定しているようだ。

           

 また、タイトルの『フライデー・ブラック』との関連で「ブラックフライデー( Black Friday)」について調べた。これは、11月の第4木曜日の翌日にあたる日のことである。小売店などで大規模な安売りが実施される。
アメリカでは感謝祭(11月の第4木曜日)の翌日は正式の休暇日ではないが休暇になることが多く、ブラックフライデー当日は感謝祭プレゼントの売れ残り一掃セール日にもなっている。買い物客が殺到して小売店が繁盛することで知られ、特にアメリカの小売業界では1年で最も売り上げを見込める日とされている。この売上で黒字に転じるという意味で、日本語では黒字の金曜日とも訳されたりするらしい。

 無知な私は、こうした背景を理解しないと小説すら読めない。
 この書は、表題作を含む12の短編からなる。
 それぞれの背景になる時空は、いずれも現在とは少しずれていて、一見、SF風に見えるが、優れたSFが常にリアルな問題を語るように、まさにこの小説たちもそれぞれアップトゥーデートな問題に触れている。
 テーマは大きく分ければ、一つは、差別、選別に属するもので、いまひとつは、人間の欲望とそれを対象として操る販売という行為、その行為そのものの陰湿な冷酷さに属すると言えようか。

 こう書くと固っくるしくて重々しく感じられるかもしれないが、本文そのものはどこかヒップホップを思わせる文体の素早い展開で飽きさせない。
 冒頭の作品では、黒人の主人公が、そのTPOに応じて、10段階の自分のブラックネス=黒人度を調整しながら生きてゆく。電話など、人に容姿を見られない場合はブラックネスを1.5にまで下げることができる。ただし、姿を晒す場合には、ネクタイを締め、ちゃんとした靴を履き、笑顔を絶やさず、よそ行きの声で優しく話す。姿勢は正しく、両手は膝に揃えて置き、決して大きくは動かさない。これでもってやっと4.0まで下げることができるといった具合だ。
 主人公がこんな生活を離れ、自分を生きようとするとき悲劇が襲う。

             

 「The Era」という作品は、人の遺伝子の人工操作(作中では「最適化」と表現される)が普及し始めた頃の話で、それに成功し、高い能力と外観を獲得した層と、遺伝子操作をしなかった天然の層、そして、操作に失敗してその能力が低く外観が醜い層(彼らは俯いて生きるという意味で、「シュールッカー=靴を見つめる者」と呼ばれる)に分かれている。
 主人公は天然なのだが、この層が安定しているわけではない。何かのヘマやちょっとした契機で、常に、シュールッカーへと蹴落とされる。

 「Zimmer Land」は、罰せられることなく黒人を傷つけたり殺したりしたいレイシストのための偽造殺人ゲームの話である。黒人である主人公は、安全なコスチュームに身を包み、顧客の白人のために、殺され役を演じている。彼がこれに加わる理由は、実際に黒人たちが殺されるよりは、その欲望をゲームで発散させたほうがいいからという論理なのだが、そうした論理がゆらぎ始めた日、彼がとった行動とその結末は・・・・。

 「Friday black」は、先に少し解説した特売日の一日を描いたものである。日本で言うならさしずめ「ユニクロ」といった衣料販売コーナーに押しかける客たちの欲望の嵐は半端なものではない。人波に押し倒された者はその上を通過する者たちによって踏み殺され、その屍を乗り越えて突進する者たちの間でまた死を賭けたバトルが展開され、死屍累々のなか勝者のみが狙った獲物を獲得することができる。死んだ者たちはたとえ家族であれ、自己責任の弱者とみなされる。
 そんななか、販売員たちも決して安全ではない。もたつくと理性をかなぐり捨てた顧客たちによって殺されることもある。主人公の有能な販売員は、押し寄せる客の、もはや言葉となならない呻きや叫びを聞き分けそのお目当ての商品を渡す能力に長けている。
 このシリーズは、ほかに2つほどの話が収められている。

         

 最後の「Through the Flash 閃光を超えて」は、殺し殺されるおぞましい世界の物語である。ただし、核兵器と目される巨大な轟音と閃光が煌めくたびに、死者たちは生き返り、再び殺し合いが始まる。前に殺された者が、今度はその相手を殺す。それがどうやら永遠に繰り返されるかのようだ。
 これは、ニーチェの永遠回帰の悪魔バージョンともいえる。
 ただし、この作品では、殺し殺される「通常の輪回」から逸脱しそうな「異常現象」が主人公に起こり、それを抱えて新しい閃光に身を晒すラストシーンは、そこからの脱却を暗示しているようでもある。

 小説を語るにしては長く書きすぎた。ただし、それぞれの結末にはほとんど触れてはいない。
 まだ20代後半のこの作者の、今後の作品もチェックしてみようかと思っている。

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生殺しの「戦後」&その亡霊 ジョン・ダワーを読む

2020-11-16 11:35:23 | 書評

         

 『敗北を抱きしめて』上・下 著者:ジョン・ダワー(岩波書店)について

 上・下巻合わせて1,000ページほどある書を、1ヶ月かけて読了した。遅いと思われるかもしれないが、ほかの読書と並行してであるし、時には、ほかの資料にあたって事実を確認しながらの読書であった。ノート(PC上)をとりながらの読書で、とったノートは、A4、12ポイントで20ページにのぼった。
 もちろんこれは、言い訳に過ぎない。時間をとった主たる要因は、私の読書能力、そのスピードと読解力の衰えに他ならない。

         
 実は、これは2回目のチャレンジで、前回は上巻の中途で、一身上の都合で断念せざるを得なかったものである。今回、やっとそのリベンジが果たせた次第。

 著者のアメリカ人ジョン・W・ダワーは歴史学者で、現在はマサチューセッツ工科大学名誉教授。この書は全米で大きな反響を呼び、ピュリッツアー賞ほか多くの賞を受賞している。日本では、大佛次郎論壇賞特別賞を受賞している。
 日本への滞在歴があり、その連れ合いは日本人だというから、その折に知り合ったのかもしれない。

         
 内容に関しては、1945(昭和20)年8月15日の日本の敗北を起点に、連合国(実質はアメリカ軍)の占領が終わるまでの間を「総合的、俯瞰的に」明らかにしたものである。
 とはいえ、単純な8月15日転換点論ではないし、戦勝国側からの一方的観察でもない。また単なる実証主義的データの羅列でもなく、彼自身の時には模索し、反芻し直す史実の解釈が縷々展開されるし、その眼差しは批判者のそれである。

         
 その視野は極めて広い。政治、経済、文化、その裏話やサブカルの分野に至るまで、全てが彼の展開領域で、それらを通じて戦後の全容があぶり出されてくる。
 とりわけ私が興味を覚えたのは、加藤典洋がその『敗戦後論』で展開した「戦後のねじれ」、戦後民主主義が内包する脆弱さの問題、戦後が抱えたダブルスタンダードなどなどが、論理としてではなく、膨大にして豊富な多領域にわたる実例として、終始一貫、見て取れることである。

            

            米よこせデモ(1946年)のプラカードから
 

 この、米日合作の「戦後」という歴史は、当然のこととして今の私達を規定しているし、その呪縛から抜け出す道も見えていない。そんなものは、古~い過去の物語だとして現今の課題にのめり込む人たちも、お釈迦様の手のひらから抜け出せなかった孫悟空のように、「戦後の手のひら」の上でもがいているだけかもしれない。

 それほど広くて長いスパーンをもった物語であると思う。
 口惜しく思うのは、なぜこれらが日本人によって語られることがなかったのか、どうして自らの戦後をこれほど鮮明に対象化できなかったかである。いささか堂々巡りになるが、それが不可能であったことのうちに、私たちの「戦後」受容の問題点があったともいえる。

            
 私はこの書を読みながら、そのそれぞれの事例に対し、幾度も経験の共通項のような懐かしさを感じたのだったが、読み終わった後、彼の経歴を知ってその謎が解けた。
 彼は、私と同じ1938年生まれであり、戦勝国民と敗戦国民という違いはあれ、同じ時代を生きてきて、同じ時代をそれぞれのベクトルで見たり、感じたり、思考の対象としてきたのであったであった。

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待っていただけではない『オルガ』 ベルンハルト・シュリンクの最新作を読む

2020-10-24 14:26:37 | 書評

 『朗読者』のベルンハルト・シュリンクの最新作『オルガ』を図書館で見つけて読んだ。彼の翻訳されたものはほとんど読んでいると思う。
 ストーリー展開の面白さと、そのストーリーの歴史的背景がしっかり掌握されているのが彼の先品の特徴だと思う。

 今回のものも期待を裏切らない。
 作品は三部構成で、全体を通じると、19世紀末に誕生した一人の聡明な女性、オルガ・リンケが1970年代初頭に亡くなるまでの一代記をなしているのだが、その各部ごとに叙述の主体といおうかスタイルが異なっている。

            
 まず第一部では、彼女の後半生に至るまでの過程が、とりわけ生涯の恋人・探検家のヘルベルトとの関係を中心に三人称で語られる。
 そのヘルベルトは、常に冒険や拡大を求める性格で、しょっちゅう世界中をめぐる探検に出かける。そして最後には、北極圏に新しい航路を見つける旅にでかけたまま行方不明となる。
 それを待つ彼女。まるでペールギュントを待ち続けるソルヴェイのようだが、ペールギュントと違ってヘルベルトは戻らない。
 そうしたオルガの、その後の生涯についても描写される。

 第二部では、彼女がその晩年、1950年代から世話になった裕福な家庭の息子、フェルディナントの視点からの展開で、オルガとの心温まる交流と、彼女がある爆破事件に巻き込まれて死亡するまでの経由、さらにはさまざまなきっかけから彼女の語られざる部分へと迫る過程が描かれる。そしてフェルディナントは、オルガの恋人で行方不明になったヘルベルトの北極探検の最終基地の街トロムソ(ノルウェー)で、その郵便局留めで書かれたオルガの手紙の束を入手する。

         
 第三部は、その30通の手紙をそのまま並べてものだが、彼女が語らなかったすべてが、ジグソーパズルの各ピースのように、収まるところへと収まり、秘められた意外な事実が明らかとなり、かくて彼女の生涯の真相が示されることになる。
 それらの意外な事実は、じつは、これまでの叙述の中に断片として散りばめられていたもので、思わず、なるほどそうであったかと納得させられる。

 この辺りは推理ドラマの要素を多分に含むのでネタバレは避けるが、ただ一言、彼女が愛する「男たち」を失う羽目になり、その「男たち」を奪っていった「拡大」志向のようなものに対し、批判的な立場を失うことなく、それを貫いたことをいっておくべきだろう。
 そしてそれは、ビスマルク以降、第一次、第二次(ヒトラーの時代だ!)世界大戦と続くドイツの歴史への彼女なりの総括であるともいえる。

            
 まあ、そうした時代背景などの固い話はともかく、そんななか、ひたすら自己を保ち生きてきたこの女性・オルガの生涯に、そっと抱きしめてやりたいようないとおしさを感じるのは私の感傷だろうか。

 いすれにしても、ベルンハルト・シュリンクのストーリーテラーとしての能力が遺憾なく発揮された作品といえる。

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