蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

怨と恨   (bon)

2013-03-26 | 日々雑感、散策、旅行

これはまた、何というタイトル・・?
このブログ記事として、“怨恨”は相応しくないんじゃない?

そうかもしれませんね。


韓国演歌を聴いているうちに、ふとu-tube動画のコメントを見ましたらこのような解説がありましたので、
一つの切り口?かも知れないと思って取り上げた次第です。


で、そのコメントとは、

『韓国演歌論② 「日本は怨(エン)、朝鮮は恨(ハン)」 金容権 別冊「宝島」39・1984/2/25 ・・・
恨の意味は、「うらみ・うら む」、「怨」も同じ意味で使われる。
しかし、朝鮮人はこの二つ を明らかに異なる意味で使って いる。
怨は他者に対するうらみだが、 恨は自分の内にこもっていく感 情である。 ・・・

日本の怨みを晴らす美学と、 朝鮮の恨を解く美学を対比して みると、恨を解くことは
怨みを晴らすことよりも派手でないだけに、ややもすると積極性に欠ける印象を受けるかもしれない。
だが、怨みを晴らす、一見男性的表現は、怨みを新たに買う行為にもなる。
そこには、真の意味での積極性はないといえはしまいか。

一方、朝鮮の恨は女性的で諦観に満ちた態度のようだが、その実、そこには辛棒と忍耐が潜んでおり、
愛を、新しい社会をつくり出す発条(バネ)を秘めている。

怨を晴らす日本の、幼児じみた美学は、島国という甘えのなかでしかできない行為であるかもしれない。
朝鮮では、そんな甘っちょろいことはやっていられない。 ・・・ 2011/6/15』


さらに、このコメントに対する返信として・・・

『 これは金容権氏の文章ですか?意味深い文章ですね。「恨」・・伝¬統芸能の実践家から、
この言葉を聞く事もありますが、難しいですね。何かへと昇華していく情感だと思うときもありますが。
周美さんのこの歌は、人と人との関係を飛び越えて行くほどの哀切感が¬滲み出ていますが、
その点で充実感があるのでしょうか・・。』


改めて、怨と恨を漢和辞典で調べてみました。

『怨』オン、エン  うらむ 人に押さえつけられて気が晴れない 残念で不快な気持ち
 うらめしい相手 うらみを抱く相手
文字は: 人が二人からだを曲げて小さく丸くかがんだ様 いじめられて発散できない残念な気持ち

『恨』コン  うらめしい うらむ 残念がる 心にいつまでも傷あとを残す 
心中に根を残す残念さ
文字の成り立ちは: 目のふちに入れ墨をし、いつまでも痕を残すこと じっと心中に傷あとを残し根に持つこと


なるほど微妙に違うのですね。

韓国演歌を聴いて、とくにJuHyunmi(チュ・ヒョンミ)の歌を聴いて感動するのは、
あの歌い方にあると思います。 絞り出すような高い声の感情が何とも言えない感じに受けとれるのです。 
さらに、意味が全く分からないのに、韓国語の発音が妙に、歌に、声にマッチしているのですね。

コメントにあるような、深い精神性を読み解いてみるとそうかな~とも思えるところがありますね。


演歌とはちょっと違うかもしれませんが、このシリーズで聴いていると、かなりアップテンポな明るい歌もありますが、
それなんかはパワーが全開?みたいな感じが出ていて、悲しい感じの歌とは対照的ではあるが、
それもまたいい感じなのですね。


きっかけになった、u-tubeの動画です。



















コメント (2)
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