100万人を超える大規模なデモが、未だ収束しないどころか、次第にエスカレートして
いる感じさえ受けます。 香港の「逃亡犯条例の改正」を巡る、学生など若者中心の条例
撤回要求を掲げた抗議デモなんです。
香港 は、映画などで見る高層ビル、人口密集、活発な経済などなど、そして、1977年
にイギリス領から中国に返還されたことも有名そのものですが、私にとっては、訪れた
ことは無く、恥ずかしながら実情についてしっかりと理解していないままでした。
ヴィクトリアピークから
(香港政府観光HPより)
公園や道路、街を埋め尽くす大規模なデモ、そして、警察との小競り合いを垣間見ます
と、その昔、いわゆる「60年安保」当時、私たちも 連日のごとく隊列を組んで、御堂筋
(大阪)の真ん中で、警察機動隊と正面衝突していた頃を思い出さずにはおれないのです。
政府方針に反対する正義軍団は、直接対峙する警察・機動隊などとの対立から来る感情
論もないまぜにした“怒り”も後押しとなり、ひたすら戦う意識に燃えていたようでした。
香港の学生さん達が、空港を占拠した行動を「利用者の皆さんには迷惑をかけ申し訳な
いが、政府機関への訴え圧力強化のためやむを得ない。ご理解を。」のような発言がテレ
ビを通じて流れていました。 そして昨日(8/19)の雨の中、デモは170万人に膨れ上
がったと言われています。
新聞報道や、ネット記事から勝手な解釈も含めて、改めて整理してみました。
香港は、正式には「中華人民共和国香港特別行政区」といい、『一国二制度』の特別
行政区で、対岸のマカオも同じなんですね。
香港
(ウイキペディアより)
香港は、アヘン戦争(1840~42年)後、大英帝国に割譲され、イギリスの植民地として
設立されて、155年後の1977年にイギリスから返還され、香港特別行政区として改編され
たのです。
ウイキペディアに、『イギリス時代の行政・官僚主導の政治から、一定の制限の下での
民主化および政党政治への移行期に当たり、社会主義国である中華人民共和国の中で2047
年まで資本主義システムが継続して採用されることになっている。』 とあります。
つまり、香港は、中国の中の省や直轄地と同等の地方行政区ですが、香港特別行政区
基本法等によって、返還後 50年間は一定の、自治権と中国本土とは異なる行政・法律・
経済制度の維持が認められているのです。
香港は、「高度な自治権」を享受しているけれども、「完全な自治権」が認められてい
るわけではないのです。
司法についても、 中国本土と異なり、「香港特別行政区基本法」に基づいて、英米法
(コモン・ロー)体系が施行されており、基本法の規定によって、中国本土の法律は「別
段の定め」がない限り香港では施行されないのです。 基本法の解釈問題以外の法体系は
イギリス領時代と全く同一で、従って死刑制度も存在しないそうです。
ざっと、このような体制の中で今回の『逃亡犯条例改正』問題が浮上したというのです。
犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを可能とする条例の改正検討が、今年 2月に香港政府
が表明したことがきっかけで、1万人規模の反対デモがあったそうですが、4月に香港政府
立法会(議会)に改正案が提出されてから、この反対が加速されて、6月9日には103万人
のデモとなり、警官隊との衝突や立法会の占拠など混乱が起き、改正案は、審議無期限
延期となったのでした。
しかし、学生など若者が中心の反対派は、法案の『撤回』を要求して、この 5日には、
大規模なストライキによる交通網がマヒしたり、香港・中国両政府に対する抗議運動は、
収束の兆しが見えていない状況にあるのです。
抗議運動は、中国と香港両政府に対する圧力を強めるよう、米英両政府等、国際社会
に訴えており、アメリカやオーストラリアなどでも、法案反対のデモが起き、アメリカ
政府(トランプ大統領)は、天安門事件のような武力介入が行われないようツイッターで
表明したり、折しも米中貿易摩擦に連動する様相も見えたりしています。
詳しいことは知りませんが、イギリスから返還された時の、香港の「基本法」で、
中国政府と、一線を画したイギリスの考え(思料)に通じるものが、今回の「逃亡犯条例
改正」問題にその根があるように思われるのです。
香港と境界を接する、中国広東省深せんの競技場に、数千人規模の中国武装警察が集結
し、香港デモ隊に対して武力介入の可能性を誇示しているという。
半年に亘る香港での混乱は、ひとり中国・香港の問題にとどまらず、EU問題、ホルムズ
海峡、イラン、北朝鮮など、今や世界が注目する大事件の一つとなり、ますます不安材料
が拡大しているのです。
香港が舞台になった1955年の映画