昨日早朝のラグビーW杯は、なぜか目が覚めてずっとテレビ観戦できました。
イングランドに12-34で敗れはしましたが、決して力負けしていた感じはなく、
いい線を行っていた。後半、ビデオ判定でトライを許した後、流れが変わった。
ノートライは残念でしたが次に期待しましょう。
正岡子規は、1902年(明治35年)9月19日に脊椎カリエスにより、よわい
34歳にして他界し、今日はその命日にあたるのですね。
正岡子規についてはすでにご承知のところですので、ほんの少しだけネット
記事(ウイキペディア、松山市子規記念博物館、俳句の聖地など)内容から
彼の短い人生を振り返ってみました。
また、彼は野球好きで有名ですがそのあたりも少し触れてみたいと思いま
した。
正岡子規は、俳人、歌人で本名、正岡常規(つねのり)、幼名を升(のぼる)
とあり、1867年10月14日に現在の愛媛県松山市に松山藩士正岡常尚、八重の
長男として生まれます。5歳の頃に父を亡くし親戚の援助を受けながら少年時代
を漢詩や戯作、軍談、書画などに親しみながら過ごし、旧制松山中学に入学
するも中途退学し上京するのです。
1889年、東京では、東大予備門(のちの一高)から帝国大学(東大)哲学科
に進みますが、哲学は面白くないとして、1年後には国文科に転科したとあり
ます。この頃から「子規」と号して俳句を発表していたそうです。東大予備門
時代に夏目漱石と出会い、意気投合し、漱石に文学的、人間的な影響を及ぼ
したとあります。
正岡子規
(ウイキペディアより)
上京当時は政治家志望であったそうですが、その後文学者志望に転じて
1892年(明治25年)には、俳句論「獺祭書屋俳話」の連載を開始し、注目を
浴びています。その3年後に日清戦争に従軍しますが、帰国途中に喀血し以後、
永い病床生活に入ります。 しかし、文学上の仕事はいよいよ活発化し、当時
で三千以上の俳句を残しているそうです。短い生涯で20万句以上をのこして
いるとあります。従軍後、病気で松山に帰郷した折には、夏目漱石の下宿に
長い期間同宿していたそうです。
余命を意識するようになった子規は、1898年に「歌よみに与ふる書」を発表
するなど、新聞「日本」を主な媒体にして俳句革新に着手します。「俳諧大要」、
「松蘿玉液」、「墨汁一滴」、凄絶な闘病生活を描いた「病牀六尺」等を
次々に連載するほか、俳誌「ホトトギス」には俳論や俳話を数多く連載します。
子規は病床にありながら、新しいメディアを使って大いに健筆をふるって
いたのです。また、人との出会いを大切にし、関わりあうことで活動の場を
大きく飛躍させ、多彩な人々が集まる豊穣な場が醸成され、俳句だけでなく、
短歌、文章の革新にも大きな原動力となったとされています。
また、正岡子規は野球好きで知られていますが、上京して東大(予備門)に
進学すると、野球の面白さに取りつかれたように愛し、自身の幼名である
「升(のぼる)」に因んで、「野球(のぼーる)」という雅号を用いたことも
あるそうです。しかし、これはベースボールを野球(やきゅう)と翻訳した
のではなく、野球(やきゅう)と翻訳したのは、その4年後(1894年)中馬庚
によるのです。
それにしても読み方は違いますが「野球」という表記を最初に用いた人物
は正岡子規だったんですね。
子規の野球姿(1890年)
(ウイキペディアより)
日本の野球は、1872年にアメリカ人教師が生徒たちに伝えたのが始まりで、
東京大学発祥の地(東京都千代田区神田錦町=現、学士会館)にその記念碑
があります。
正岡子規が野球を楽しんでいたころ、すでに全国的に人気が高まっていた
のですね。早慶戦もはじまります。
プロ野球は、ずっと後、1934年にベーブ・ルースら米大リーグ選抜チーム
が来日し16試合を全勝した時に、この全日本チームを中心として大日本東京
野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)が誕生し、1936年には東京巨人、大阪
タイガース、名古屋、東京セネタース、阪急、大東京、名古屋金鯱の7球団に
よって日本職業野球連盟が創立し、プロ野球のリーグ戦がスタートしたのです。
話はそれましたが、先日、阪神タイガースは、18年ぶりに9月にリーグ優勝した
のですね。
松山市子規記念博物館
(同HPより)
話を戻して、正岡子規の残した多くの作品から、俳句、短歌それぞれ3句ずつ
載せてみました。私にはこれらの才能はありませんので、選んだ作品がどうと
いうことではなく、気に入ったもの、超有名なものを載せました。
『 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 』
『 枝豆や 三寸飛んで 口に入る 』
『 雪ふるよ 障子の穴を 見てあれば 』
『 くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる 』
『 藤なみの 花をし見れば 紫の 絵の具取り出で 写さんと思ふ 』
『 九つの 人九つの 場を占めて ベースボールの はじまらんとす 』
最後にもう一句・・。
『 病むわれを なぐさめがほに 開きたる 牡丹の花を 見れば悲しも 』
Andrea Bocelli, Katherine Jenkins - I Believe