四半世紀前の私達は、退職組がいたり、子会社等に移ったりしていた頃ですがまだ
まだ元気で体力的には十分自信がありました。そんな頃に、高校同期の面々で始まった
蓼科高原の畑作業を中心としたグループが出来上がり、「蓼科浪漫倶楽部」と命名し
それが16年続いて、新型コロナの襲撃を受ける直前に蓼科での畑作業を解散しました。
その後は、なにくれと無い集まりだけを継続する「第2ステージ」に移行したのです。
コロナで集まることができないため、zoom方式によるオンライン談話会「ウエブサロン」
をはじめ、2021.10.26にその第1回が実施され、現在27回に至っています。
談話会でも、またしても当時の楽しい思い出話が出たりしています。少し長くなり
ますが、再び、5年前の拙ブログ記事を再掲しました。(一部加除しました。)
****2019.21.30の記事から****
仲間は 還暦を過ぎてしばらくして、企業人生も少し薄くなってきた頃、蓼科高原に
別荘を持つ、高校時代の同級のKさんの周りに同窓生が一人、また一人と集まってきま
した。 最初は K邸の広い庭を花壇とするべく、そのお手伝いを兼ねて高原の四季を
楽しもうと、2000年頃に仲間が形成されて来たのです。
K邸の花壇(2006年ころ) 花壇作り
そうした折に、“畑を借りて野菜作りをしよう!”という話が出て、地元の人の紹介で、
1反(1000㎡)の畑を借りて、これまでビジネスマンをやっていた連中がにわかに農
作業を始めることになったのです。 この頃、仲間は東京6名、大阪4名の常勤メンバー
が構成され、軽トラックや耕運機、草刈り機などの農機具も揃えて本格的な体制が出来
上がっていたのです。
軽トラ、耕運機、草刈り機などの農機具も揃う
自己流でジャガイモやイチゴなどを作ったりして2年近く経った頃、高台にある素晴ら
しい展望が開けた畑に移ることになりました。 360度の見晴らし、常に八ヶ岳に見守
られているような落ち着いた絶好の環境で、ほんのちょっと移動すれば、晴れた日には
北、中央、南アルプスを望むことができる そんな畑(1000㎡強)で15年も楽しんできた
のでした。
地形もよく、広々と開けた農地はもちろん無農薬、有機栽培に徹し、長い歳月を気の
合う仲間とともに過ごし農業の腕前も上がってきていました。
蓼科農園(畑) と 八ヶ岳の雄姿 (夕陽に染まる八ヶ岳)
春は、4月下旬に「畑開き」をして、耕運機で土を掘り返し肥料を入れ、マルチ掛け
などをして、ジャガイモ、サトイモ等の球根を植え付け、葉物やその他は5月の「大
合宿」で・・という具合に、年7~8回の定期的、本格的な農作業は、そのうち役割分担
でき、手慣れた “お百姓さん”らしくなっていました。
しかし、私たちの畑作業は、月1回のペースでしたから畑に来ると、朝からおにぎり
持参で夕方まで、一日中畑にいるというスタイルでした。時に、軽トラのほか、乗用車
が7~8台も並ぶことがあったりで、地元の人たちの注目の的であったかもしれません。
こんな時もありました。霧の畑開き(2012/4) 小雪ちらつく畑じまい(2010/11)
農作業あれこれ
収穫物は、ジャガイモ、ピーマン、サツマイモ、サトイモ、黒豆、タマネギ、ニン
ニク、カボチャ、ダイコン、ナス、ネギ、レタスなどなど30種類以上、興味と実益から
どんどん増えてゆくのでした。中でも、市販品に勝るとも劣らないと自負しているのが
あります。 ピーマン、サトイモ、黒豆、ジャガイモは質・量ともに満足でした。
収穫した野菜たち
ジャガイモや葉物などを、その都度収穫し、その時季時季の植え付けを繰り返しなが
ら、晩秋には一年の収穫の締めくくりとしてサトイモ、サツマイモ等の収穫をメイン
とした「大収穫祭」を、常勤メンバー以外に同期生が参加したり、あるいは、後輩グ
ループ等との交流や近隣の人たちも参加して大いに賑わい楽しみました。 お昼は畑で
芋煮なべ、夜はK邸でのBBQ、そして焚火を囲んで大声で歌う、高校時代の懐かしい
「ファイアーストーム」に、再び青春を味わう 楽しいイベントだったのです。収穫祭
では、畑行事の翌日には、ゴルフや近場の散策を楽しみ、蓼科高原を満喫してきたのでした。
毎年のお楽しみ、大収穫祭
収穫祭夜の部 BBQとファイアーストーム
収穫祭翌日のお楽しみ
2016年には、諏訪大社の「御柱祭」に、地元“氏子”として御柱曳きに参加しました。
このほか、夏には、霧ケ峰高原、八島湿原、ピラタスの丘さらには八ヶ岳の硫黄岳登山
などたくさんの想い出が残っています。
御柱祭など
あっという間に過ぎた気もしますが、このように振り返ってみると様々な時を過ごし
て来たと改めて、しみじみとその歳月を感じるのでした。 仲間は、高校時代の同級生
ですが、高校時代に“仲良し”だった人は少なく、どちらかといえば、話をしたことも
ない、ただその人の存在は記憶している‥といった程度で、あの青春時代に、わずか
3年の間、同窓であったというだけの縁ですが、畑作業や夜の語らい、だんらんを通じ
て、長期間に育まれた友情は、これを味わった者の特権として、いつまでも温かく深く
胸に残るのでしょう。
数々の想い出
蓼科浪漫倶楽部は、2019年、11月14~17日の「畑じまい」をもって、16年の蓼科
農園での畑作業に幕を下ろしましたが、蓼科浪漫倶楽部は、これからも折に触れ、集
まったり旅行したりしながら語らいを深め、その活動を継続することを誓いあったの
でした。
蓼科農園の活動を終えて、いくばくかの寂しさは残りましたが、元気なうちに無事
キレイに終わることができた喜びをかみしめています。 感謝!
この後、新型コロナの襲来で中断した形となりましたが、その後は、オンライン談話
会「ウエブサロン」で、今なお楽しさを持続しているのです。
私は、この11月で満85歳となりました。足腰に支障が出るようになりましたが、まだ
もう少し、こんな想い出に浸りながら仲間との交流が続けられたらと思っています。
はるかな友に