今マレイシアのIpohという町に来ております。
何故わざわざ遠路マレイシアに来るのか?私にとっては、心の洗濯といってもいいでしょうか。
何よりもマレシシアの人たちの柔和な笑顔に心が癒されるといってもいいでしょうか?道に迷ってて尋ねると寄ってたかって笑顔で親切に教えてくれる。どこに行っても、現地人の親切と笑顔に遭遇し、心が癒されるのです。
レンターカーであちこちと町を散策して、今回気が付いたことがある。今までの知識では、日本は戦前アジアを開放し、戦後はODCでその国の経済発展に寄与した思っていたが、この国にはその跡形もない。
残っているのは英国をはじめ西欧各国が残した美しい建物や昔の面影が残っているばかりである。
町で売っている日用雑貨品もフランス製の石鹸、アメリカ製のカミソリ、イタリヤ製のオリーブオイル、アメリカ製の薬などなど日本のものが見当たらない。CDショップにはアメリカのPop音楽があふれている。
日本の存在感が全く感じられない。さびしい限りである。
とにかく簡単に旅行記を紹介しましょう。
(Bukit Jawi Golf Resort) 昨日1泊2日で訪れたペナン近郊のBukit Jawiゴルフリゾート。
毎年恒例にしているマレイシアロングステイで今回はIpohの町の外れにあるMeru Valleyに3月5日から4月8日に滞在しております。今回の旅の友はゴルフ好きでは人後に落ちないMr.S氏。羽田23:30発Air Asiaの夜行便でKuala LumpurのLCCTターミナルに早朝到着、広々とした座席の高速バスで、ヤシが生い茂る大平原を貫くように走る高速道路を3時間突っ走り、昼前にIpohの町に到着した。
そこから、車で20分Meru Valleyの賃貸マンションに入居、約1か月のロングステイが始まった。
ここには、27ホールのゴルフコースがあり、ゴルフ周辺に瀟洒な一戸建て住宅や高層マンションが立ち並び、ゴルファーには夢の天国である。
我々は賃貸したアパートは8階建ての5階、2LDKの広々としたマンションで、窓から望む緑の山が美しい。
宿泊しているマンション
Ipoh Station:Kuara Lumpulから2時間30分で快適な特急列車でもIpohに行けます。
IpohはMalaysiaの首都Kuala Lumpulから200kmに位置する錫鉱山の町で、19世紀後半から20世紀の初頭に英国の錫工業の会社が相次いで進出し繁栄を謳歌した町で、今もその面影があちこちに残っております。1941年12月15日に日本軍に占領され、その後イギリス軍に解放され、1970年に錫価格が下落し錫工場が相次いで閉鎖された後は、人口流出が進み衰えたが、今は都市再開発努力の結果近代的な都市として急速に進んでおり、人口70万でMalaysia第3位の都市として開発が進んでいる。
この町の住民は70%が中国系マレイシア人で、その他マレイ系、印度系の住民がそれぞれの宗教、生活習慣、文化を維持して仲良く住んでいる3種混合移民国家である。
中国系は知的労働階級で、商売上手、金持ちで経済的上層階級を占めている。、印度系はタクシーの運転手やマレイ系はウェイトレス、ウェイター、店員として働いているのが多く見受けられる。
気候は亜熱帯気候で、温度湿度が高く、3時ごろからスコールが降ることが多い。
従い、ゴルフは午前7時ごろから涼しい間にプレイするのがおすすめである。
ジャスコのあるKinta City
外国で生活する時ぐらいは、日本料理はたべないことにしたので、日本の食事が入手出来ようができまいがどうでもよいことであるが、ここにはジャスコが大規模にスーパーマーケットを営んでおり、ほとんどの日本食材を容易に求めることができる。どうしても日本食を食べたければ、自炊で日本食を料理することが容易である。外食も破格に安い費用で、中国料理だけでなく世界中の料理が食べられる。現地人が日常的に楽しんでいる屋台に行けば、ローカルの生活にふれることも出来、それも楽しみの一つです。
今日はイタリヤ製スパゲッティーオリーブオイル、ガーリック、赤トンがらしをたっぷりつかtqたアリオオリオペペロンチーノとバルサミコのサラダソースのサラダで、
音楽を聴きながら、一杯飲むことにした。
この国の国民はまだまだ発展途上の国であるが、がつがつせずにのんびりとゆったりと人生を謳歌している。
世界一の国になろうとかもっと豊かになりたいとか考えている様相がない。あくせくと働き、いつも経済的な豊かさが人生の目標であると死ぬまで考えている日本人からはなかなか理解できないか
もしれない。
好きな パティ・ペイジの歌・・・
何故わざわざ遠路マレイシアに来るのか?私にとっては、心の洗濯といってもいいでしょうか。
何よりもマレシシアの人たちの柔和な笑顔に心が癒されるといってもいいでしょうか?道に迷ってて尋ねると寄ってたかって笑顔で親切に教えてくれる。どこに行っても、現地人の親切と笑顔に遭遇し、心が癒されるのです。
レンターカーであちこちと町を散策して、今回気が付いたことがある。今までの知識では、日本は戦前アジアを開放し、戦後はODCでその国の経済発展に寄与した思っていたが、この国にはその跡形もない。
残っているのは英国をはじめ西欧各国が残した美しい建物や昔の面影が残っているばかりである。
町で売っている日用雑貨品もフランス製の石鹸、アメリカ製のカミソリ、イタリヤ製のオリーブオイル、アメリカ製の薬などなど日本のものが見当たらない。CDショップにはアメリカのPop音楽があふれている。
日本の存在感が全く感じられない。さびしい限りである。
とにかく簡単に旅行記を紹介しましょう。
(Bukit Jawi Golf Resort) 昨日1泊2日で訪れたペナン近郊のBukit Jawiゴルフリゾート。
毎年恒例にしているマレイシアロングステイで今回はIpohの町の外れにあるMeru Valleyに3月5日から4月8日に滞在しております。今回の旅の友はゴルフ好きでは人後に落ちないMr.S氏。羽田23:30発Air Asiaの夜行便でKuala LumpurのLCCTターミナルに早朝到着、広々とした座席の高速バスで、ヤシが生い茂る大平原を貫くように走る高速道路を3時間突っ走り、昼前にIpohの町に到着した。
そこから、車で20分Meru Valleyの賃貸マンションに入居、約1か月のロングステイが始まった。
ここには、27ホールのゴルフコースがあり、ゴルフ周辺に瀟洒な一戸建て住宅や高層マンションが立ち並び、ゴルファーには夢の天国である。
我々は賃貸したアパートは8階建ての5階、2LDKの広々としたマンションで、窓から望む緑の山が美しい。
宿泊しているマンション
Ipoh Station:Kuara Lumpulから2時間30分で快適な特急列車でもIpohに行けます。
IpohはMalaysiaの首都Kuala Lumpulから200kmに位置する錫鉱山の町で、19世紀後半から20世紀の初頭に英国の錫工業の会社が相次いで進出し繁栄を謳歌した町で、今もその面影があちこちに残っております。1941年12月15日に日本軍に占領され、その後イギリス軍に解放され、1970年に錫価格が下落し錫工場が相次いで閉鎖された後は、人口流出が進み衰えたが、今は都市再開発努力の結果近代的な都市として急速に進んでおり、人口70万でMalaysia第3位の都市として開発が進んでいる。
この町の住民は70%が中国系マレイシア人で、その他マレイ系、印度系の住民がそれぞれの宗教、生活習慣、文化を維持して仲良く住んでいる3種混合移民国家である。
中国系は知的労働階級で、商売上手、金持ちで経済的上層階級を占めている。、印度系はタクシーの運転手やマレイ系はウェイトレス、ウェイター、店員として働いているのが多く見受けられる。
気候は亜熱帯気候で、温度湿度が高く、3時ごろからスコールが降ることが多い。
従い、ゴルフは午前7時ごろから涼しい間にプレイするのがおすすめである。
ジャスコのあるKinta City
外国で生活する時ぐらいは、日本料理はたべないことにしたので、日本の食事が入手出来ようができまいがどうでもよいことであるが、ここにはジャスコが大規模にスーパーマーケットを営んでおり、ほとんどの日本食材を容易に求めることができる。どうしても日本食を食べたければ、自炊で日本食を料理することが容易である。外食も破格に安い費用で、中国料理だけでなく世界中の料理が食べられる。現地人が日常的に楽しんでいる屋台に行けば、ローカルの生活にふれることも出来、それも楽しみの一つです。
今日はイタリヤ製スパゲッティーオリーブオイル、ガーリック、赤トンがらしをたっぷりつかtqたアリオオリオペペロンチーノとバルサミコのサラダソースのサラダで、
音楽を聴きながら、一杯飲むことにした。
この国の国民はまだまだ発展途上の国であるが、がつがつせずにのんびりとゆったりと人生を謳歌している。
世界一の国になろうとかもっと豊かになりたいとか考えている様相がない。あくせくと働き、いつも経済的な豊かさが人生の目標であると死ぬまで考えている日本人からはなかなか理解できないか
もしれない。
好きな パティ・ペイジの歌・・・
昨年は途中で帰国する羽目になりましたが、この報は、すべて落ち着いている・・ことを証明するもので何よりです。
せいぜいお楽しみされているうちに、浦島太郎?ように、すっかり忘れてしまわないよう・・など、野暮なことは言わない方がいい。
もう1曲、追加で上げておきます。