蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

神在祭 (bon)

2021-11-16 | 健康、医療

 俗説に、旧暦の10月は神無月と呼ばれ、全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲
の国に集まって他の地域では神様がお留守になるので神無月と呼ばれていますが、
出雲では、全国から神様が集まってくるので、「神在月」と呼ばれているのですね。
で、旧暦10月10日から1週間かけて行われる様々な祭典を総称して「神在祭」と呼
ばれています。 新暦で、ちょうど11月14日からの1週間がそれにあたります。

 今年、11月14日の夜、記紀神話において国譲りが行われたとされる稲佐浜で、全
国から参集する神々を迎える「神迎祭」が行われ、15日・19日・21日には出雲大社
で会議が行われるとして、その間「神在祭」が行われます。そして、21日・30日は
各地に帰る神々を見送る「神等去出祭」が出雲大社拝殿で執り行われるというのです。

      神迎祭
       (ネット画像より)

 

 私は6年前に三究会の皆さんと伯耆大山を目指した時に出雲大社、松江城と廻り
温泉三昧したことを思い出しました。その時は真夏の暑い日で出雲大社の広い境内
を歩き回るだけでも汗を拭きましたが、名にし負う出雲大社の佇まいは荘厳で、圧
倒される大しめ縄などなど歩くだけで心が洗われるような感じでした。
 そのようなところで伝統的な神事が繰り広げられるのはやはりすごいのでしょうね。

 話は飛びましたが、なぜ出雲に神々が集まって何をするのでしょうか? 出雲観
光ガイドからそのあたりの部分を抜き読みしてみました。

『神無月(旧暦10月)に全国の神々が出雲に集まるという伝承は、平安時代末の「奥
義抄」以来様々な資料に記されていて、神々は出雲大社や佐太神社などに集まり、
酒造りや、縁結びについて合議されると民間伝承されています。』

       神在祭
        (ネット画像より)

 そしてそれは、『大国主大神が天照大神に「国譲り」をなさったとき、「私の治
めていますこの現世(うつしよ)の政事(まつりごと)は、皇孫(すめみま)あなたがお
治めください。これからは、私は隠退して幽(かく)れたる神事を治めましょう」と
申された記録があります。この「幽れたる神事」とは、目には見えない縁を結ぶこ
とであり、それを治めるということはその「幽れたる神事」について全国から神々
をお迎えして会議をなさるのだという信仰がうまれたと考えられます。』と、ちょ
っとわかりにくいですがこのようにあります。

 古事記では、葦原中国(あしはらなかつのくに=出雲地方)は大国主命が治めて
いましたが、高天原の天照大神は自分の直系の神孫に治めさせるべく何度も神々を
送るのですが、大国主の家来になったりしてことごとく失敗していたのです。
 しかし、とうとう建御雷神(たけみいかづちの神)の時に、大国主は国譲りをする
のです。その時に隠退した宮殿が今の出雲大社だというのです。

        (ネット画像より) 

 中世以降、出雲の神は福の神とされ。特に縁結び信仰と重なって、出雲での縁結
びが定着したようだとありました。

 また、出雲では神在祭のとき、「神在餅(じんざいもち)」を振舞っていたそうで、
その「じんざい」が訛って「ずんざい」、さらには「ぜんざい」となって、京都に
伝わったといわれているとありました。 ぜんざい発祥の地が出雲であるというこ
とが、江戸初期の文献にも記載されているそうです。

 

 

 出雲大社のお話になりましたが・・

【出雲大社参拝方法】古事記の大国主命のお話し、神在月の神迎祭

 

 

 

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