蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

秩父夜祭  (bon)

2024-12-03 | 日々雑感、散策、旅行

      昨日は、少し長い時間国会中継(代表質問)を見ていましたが、首相答弁は、いつもと違った、
     早や口で喧騒の中を突っ走るような感じで、答弁の中身は今一つ残っていないのです。

 

 毎年、12月2~3日は、埼玉県の秩父夜祭が、寒い時季のお祭りながら大勢の人で
わいます。  秩父夜祭は秩父神社の例大祭で、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本
三大曳山祭の1つに数えられているそうです。

 江戸時代の寛文年間(1661~72)には祭りが存在していたという記録があり、350年
余りの歴史があるのですね。その頃には、祭りと共に「秩父絹」の市が立ち秩父の
経済を大いに潤したといわれ、「お蚕(かいこ)祭り」とも呼ばれていたそうです。
現代では絹市は立ちませんが地元では1年の総決算として賑わっているのです。

         (秩父まつり会館より)

 6つの町内から、笠鉾が2基、屋台4基の「動く陽明門」などと呼ばれる豪華絢爛の
山車(ともに国重要有形民俗文化財)6基が、勇壮な屋台囃子を打ち鳴らし街中を曳き
回され、秩父神社に集結するのです。 山車の側面には、舞台仕立てがあり名物
「秩父歌舞伎」が演じられます。今では、持ち回りで、どれか1つの山車で行われる
とあります。

 3日夜は神幸祭となり、秩父神社での神事が終わり、夕方6時半ともなれば、先導
大麻、大榊、猿田彦や錦旗、御手箱、太刀箱の列に続いて、氏子町会の供物・高張
提灯の長い列が続いて出発するのです。そして、その後ろに、御神饌、大幣、御霊が
遷された神輿、宮司、大総代、2頭の神馬が続いて、これらの御神幸行列の後に、6基
の笠鉾・屋台行列が続くのです。

         (秩父神社より)

 山車は提灯の灯りに一層華やぎ、秩父駅傍の「お旅所」(広場)に集結するのです。
もうすぐ「お旅所」という手前に急坂があり、この坂を「団子坂」と呼び一気に大き
な20トンもある山車を引き上げ、花火も打ち上げられるなど祭りの最高潮を迎える
のです。

 少し離れた羊山公園では、4500発もの花火が打ち上げられ、こちらも素晴らしく
ひと時寒さを忘れてしまうのです。

 もう20年以上前のことになりますが、職場の同僚の実家が秩父駅近くにあり、この
お祭りにお招きいただいて、堪能したことを覚えています。 明るいうちの山車の
見学は勿論、夜の勇壮な夜祭をじっくりと楽しんだのでした。夜祭ですから戸外は
それこそ寒いですが、時折家に帰っては暖かい物をいただいたり、身体を温めては
見物に出るのでした。

 平成28年(2016年)には、「秩父夜祭」を含む「山・鉾・屋台行事」33件が、ユネ
スコ無形文化遺産に登録されました。

          (秩父観光ナビより)

 秩父といえば、この夜祭以外にも、春の羊山公園の一面シバザクラの見事な彩の中
を散策したりしたことがあり、また夏にはさらに奥地の「鈴鹿園」という観光農園で
野趣に富んだ「石板焼き」やアユのつかみ取り、シイタケがりなど楽しんだことも
ありました。

 「夜祭」は、今夜(12/3)が一層盛り上がるのでしょうね。

                

 2021.12.2の拙ブログ「師走」にも、秩父夜祭の記事を挙げていますが、記事末尾に
ベランダで咲いていた「ピンクのさざんか」の写真が載っていました。ここに再掲
しました。今年夏、20年以上経つのになぜか原因不明で枯れてしまったのです。

     ベランダの ピンクのさざんか(2021年12月2日撮影)
     
  
         (今年はもうありません。)

 

 

 

秩父夜祭2024(宵宮)"宮地屋台"曳き廻し会所帰還2024年12月2日

 

 

 

 


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