人命を考えず独裁者の力によって他国への侵攻や国内でのクーデター等で戦争があれば世界ではなく地球の運命を変えてしまうだろう。
君達も僕は歴史上の中で産まれ生きてきた。
沈黙の聖書いう一冊の書物によって解き明かされていくのだ。
天使の世界は「ピクロス」と呼ばれ、宗教の世界は「スパロス」と呼ばれる。
悪魔の世界は「ゼブロス」と呼ばれ、現実の世界は「ヒューマニス」と呼ばれる。
時は歴史を刻みながら人類は創生されていくが、現実の世界には別の世界が存在し、人類の宿命とも思える出来事が起きていた。
全ては「サイレントバイブル」という現象による沈黙の聖書から始まった。
僕は人類の伝えるべき相手を見つけだす必要があると思った。
その為には、この命、この魂、運命というものを神に捧げなければならなかった。
「さて、僕達は、どうすべきか」
僕の命と魂を受け継いでくれる相手を見つけなければ、地球も滅亡してしまう。
僕が産まれた地球という星を守るためには、いったい誰を選べば良いのだろうか?
地球という現実の世界に伝えられる相手はいるのだろうか?
僕は、あらゆる次元の世界で生きる者達に声を掛け伝えていこうと思うが・・・
現世界で起こる災害や戦争は、非現実の世界によって引き起こされていると言ってもいいだろう。
人類は、突然変異者を「ミュータント」または「ヒューマニティブレイク」と呼ばれるが、地球に存在する人類こそ破壊者となっていることに気づくことはない。
星々の中には、ある種族が創られ、種族の進化と共に星は滅亡し、単なる滅亡した星となり小惑星のようになっていく。
多くの新次元という永久的な空間を創りあげ、その中には種族によって「神」という存在が創造されるのだ。
神の存在は、四次元の中で「天使の世界と悪魔の世界」宗教の世界と現実の世界を作り上げたことを人類は誰も気づくことも知ることもなかった。
まず、眼に映らない世界を創り、眼に見えない種族を創りだすのだ。
「光と影と運命」
この世に生かされていることに君達は幸福を感じているのだろか?
ささやかな夢が一つでも叶うことができれば「幸福」は現実なものになるだろう。
夢は人類から新たな人類へと伝えられ、決して一人歩きはしないものだと思う。
大自然からの「富の力」を与えられる中で「絆」として人類と新たな人類が結びつくことは、とても素晴らしいことだと信じていたい。
心を閉ざさなければ、きっと何処かで誰かが君達のことを思いながら君達の姿を想像していることだろう。
心を閉ざさず前に、君達自らの世界を観てみないか?
現実の世界から重なり合う君達の別の世界へと立ち向かい、時間など気にせずに「夢」を持って冒険に出港してみないか。
朝陽(あさひ)が昇れば光と影が創られ、また夜には月光によって光と影が創られ、君たち自身の光と影は、他人によって観られている。
人類は「ノアの方舟」に乗らない限り、光と影は常に付きまとうものでもある。
光は心を温かく開けるが、影は冷たく心を閉じ込める。
人類は他人に「鏡(かがみ)」を創り、君達自身を映し出し、自ら見つめ直し信じられるものに気づき、君達自らの居場所に辿り着くこともある。
そして全ての人類は大切なものを見つけることになるだろう。
何かに代わり結びつき「絆」の中で全ての人類は自由に生きられる。
絆を求めるのであれば、心を閉ざすのではなく、開いておかねばならないのだ。
現実の世界から重なり合う君達の世界があることに目覚め、心を閉ざす前に「夢」を持って「運命」をかけて歩いてみないか?
夢を持たなければ、眼は曇り「太陽」「月」「星」の3つの光は輝くことはないだろう。
生きていることに諦めてしまったとしても、君達は心の中では「夢」を思い描いていると信じていたい。
叶わぬ夢ではなくとも、小さな夢でも一つの夢が叶うことができれば、次の夢を観ることもできると思う。
思い描く夢が叶う時、その先には「希望」があり、生きていこうとする「勇気」が湧いて来るのかもしれない。
君達は一人で生きるのではなく、現実の世界で多くの人類と共に生きているのである。
心にバリアを張り巡らし、心に障害を持ってしまったとしても、それは君達の人生の中で休息を与えるだけに過ぎないのかもしれない。
現実の世界で生きる人類の誰もが心に傷を負い生きているのだと思う。
心に抱いてしまった障害を乗り越えていく能力は「絆」の中で全ての人類が導かれると思う。
運命を生きるということは、悪意から善意を学び、心の貧しさから富を得て「幸福」になるのかもしれない。
君達も僕も弱い人類なのだと思う。
弱いからこそ「強さ」を求め「夢」を叶えようと「勇気」「希望」を持って生きているのではないか?
たとえ「反発」「悲哀」「混乱」「滅亡」があったとしても「共鳴」「歓喜」「秩序」「興隆」によって君達を進化させる最大な「転機」が訪れるはずだと思うが君達は、どう考えるのか?