日本学術会議を現行の「国の特別の機関」から「国から独立した法人」に移行する基本方針を政府が表明した。しかし、何のための法人化なのか。政府の意に沿わなくても、独立した「ご意見番」であることが会議の存在意義だ。安易な結論は見送るよう求める。
この問題の発端は、2020年に当時の菅義偉首相が会員候補6人の任命を拒否したこと。政府は理由を明らかにしないまま、自民党などが組織の見直しを巡る議論を一方的に進めてきた。
政府は22年末に「会員選考のプロセスが不透明」などとして、会員選考に第三者を関与させる方針を表明したが、学術会議側が猛反発したため、いったん断念。23年に法人化に方針転換し、有識者懇談会を設置した経緯がある。
同懇談会は昨年12月、「国とは別の法人格を有する組織になることが望ましい」との中間報告をまとめた。現行の「国の特別機関」の位置付けを、国から切り離して法人化するという考え方だ。
法人化後の会員選考過程に「政府が一切関わらないことが妥当」としつつも、外部の目による透明性の確保を求めている。
さらに、学術会議の財政基盤を多様化する必要性も示している。例えば対価を徴収して審議の依頼に応じることなどだ。
この考え方は、学術会議を「ナショナル・アカデミー」でなく、コンサルタント的な役目を負わせるに等しいではないか。民間のスポンサーに頼らず、独立して科学的な立場から発言することが学術会議の役割のはずである。
懇談会の認識が、そもそもずれているのではないか。法人化しなくても、現行の仕組みでも十分、組織の活動や運営の自由度は確保できると考える。
学術会議が独立かつ自由だったゆえに、過去に「軍事研究は行わない」との声明を出したり、防衛省による研究費の助成制度について「政府介入が著しい」と厳しく批判できたのだ。
政府の基本方針には、外部有識者による「選考助言委員会」「運営助言委員会」「評価委員会」など、学術会議ににらみを利かせるような組織の設置が並ぶ。
国から独立した法人化を掲げながら、学術会議を不自由で非独立の組織としたい政府の意向がにじみ出ている。学問を戦争に利用した歴史を忘れるべきではない。
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