婦人会というものが消えてだいぶ経つけれど
この旧ムラ組織では、「女性の会」という名のもと
むしろ中心的な役割をいまだはたしている。
社会的地位も得た私位の年齢の女は、ほぼ職業人で
全てにおいて立派だ。・・そんな人が多い土地だ。
婦人会で・・・いじめられて自殺した人も知っている。
3年前はまだ元気だった義母がしぶしぶ、受けた。
私は仕事柄、週末も仕事なのと・・
もちろん、この社交性薄さゆえと。
子どもも一人ということもあり、小学校のPTAが
終わってからは
すっかり、むらのことは分からなくなってしまった。
ムラの運動会に出ることが出来ない、
そのことで、ヒステリックに電話がかかってきたこともあった。
だから私は、あの子が高校を卒業するまでは
がんばりたい、とここにいた。
時のたつのは早い。
私たち夫婦は、色々乗り越えてきたけれど
揉め事も、殴られたことも
長い夫婦生活の中で(修羅場的に)あった。
けれど、もろいかもしれない絆・・はあるのかな???
私はとにかく、この場所を出たい。
アパートに住んで、あなた通ってきて、
ご飯するから、(酔っぱらってるときは)Hしよ。
・・・なんてことも、冗談で(本気で)何度も言った。
けれどあなたはいつも、その時黙り込み
オレはここを離れたくないということを、
伝えてくる。
ああ、私と幸せに生きることより、
それに固執するのが私には理解できなくて寂しい。
あなたは、ここで生まれてずっといたここの人。
実の親って、よくわかっているかもしれない。
私に折に触れて
「橋むこう(古くからそういわれている)で務まらんよ」
幼いころから、この土地の人間を〇〇もん、と呼んだ。
どうにかなるでは、どうにもならなかった。
だから私は、嘘も薬もお酒も自分に許して生きてきた。
どうにかなるんだろうか・・・・