黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

「もろ天」と「仮面の忍者赤影」

2024-12-12 11:14:26 | 言葉

シュッツやバッハが曲を付けた詩篇19「もろもろの天は神の栄光を語り」(縮めて「もろ天」)のことを11月23日、24日に書いた。「Die Himmel(もろもろの天)」と対になる「die Feste」について、当初、私は「fest」(固い)という言葉から地面のことだと思ったが、大間違いで、大空=天球のことだった、と書いたその続きである。

天球はドームのように我々が住む大地を被っていて、そのドームの内側に星々があり、太陽が昇って沈んでいく(同詩篇にも太陽の行路の描写がある)。こんな感じである。

これが、私が描いた、子供的な(しかし、抱いたのは大人になってから)、ファンタジックなイメージである。天球が「……だってよ」と言ったのに対して言葉を返す相手はいなさそう(単数だから)。だから「へー」は空耳である。

なぜ、突然にこのことを思い出したのかというと、昨日、NHKの歴史番組で忍者の特集をしていたからだ。忍者からなぜ「天球」の話になるか?それは、風が吹けば桶屋が儲かる程の複雑な因果関係ではない。すなわち、「忍者」と聴けば、番組MCと同様私も「仮面の忍者赤影」を連想する。その実写ドラマのストーリーの中に、海底深くにドームを作ってそこで暮らす人々が出てくる。人々が見上げる大空は実はドームの内壁面である。ある日、そのドームにひびが入った。人々が見上げる大空にひびが入って水が入ってくる様は視覚的に強烈で子供心にショックであった。その海底ドームと詩篇19の「おおぞら(天球)」が私の中で重なったのである。

この際である。「die Himmel」(もろもろの天(複数))と「die Feste」(おおぞら=天球(単数))の相互関係についての私のかつてのイメージも告白しよう。私は、一個の固い天球の内壁面に、複数の「天」が張り付いているイメージを持った。こんな感じである。

これだと、足立区のHimmelが「……だってよ」と言えば世田谷区のHimmelがなにか返してくるだろうから、「へー」は空耳ではない(世田谷Himmelが足立Himmelなど相手にするものかと「しかと」すれば別である)。だが、今では、ユダヤ教等における複数の天はこのように横に並んでいるのではなく、縦に階層を作っているのではないか、さらに、その階層は、ドームの外にあるのではないか、さらにさらに、その階層は多分に観念的なモノでドームの内壁面に張り付いて目に見えるようなモノではないのではないか、と考え直し、このイメージはボツにしたのである。

いずれにせよ、絵空事である。実際、空の絵を書いたのだから文字通りの「絵空事」である。


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