黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

シリア

2024-12-12 18:17:16 | 歴史

「ユダヤ人の歴史」を読んで中東に興味を持ったところにシリアの政変のニュース。独裁者と言われたアサド大統領がロシアに亡命したとのこと。ヨーロッパのニュースは連日これを報道している。これまでシリアからの難民がヨーロッパに押し寄せていたのが、これからは逆の流れ(帰国)になるかもしれないのだから感心が高いのは当然である。独裁者が去ってよかったね、という簡単な話ではないようである。

ところで、なぜ、中東の地中海に面した辺りに、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエルという小さな四つの国があるのか?イスラエルについては、ユダヤ人が古代に自分たちの国があった場所に戻って自国を再建した(シオニズム)と理解しているが、他の三国については、多数を占める民族はアラブ人であり、公用語はアラビア語であり、宗教は、レバノンこそはキリスト教徒が半数近くいるが最大宗教はそろってイスラム教である。なぜ分かれているのかがよく分からなかった。だが、「ユダヤ人の歴史」を読んだりして、すこーし分かった気がする。以下は、その理解したところの備忘録である。

「シリア」と言った場合、現在のシリア国を意味するほか、「シリア地方」「大シリア」といった広い地域を指すことがあり、それがあの辺り一帯を包含する地域なのである。そのシリア地方は、歴史上、いろいろの国が取って代わって支配してきたが(ペルシャ、アレクサンダー大王、東ローマ帝国、サラセン帝国等)、近代においてはオスマン・トルコの支配下だった。そのオスマン・トルコが第一次世界大戦で敗戦した後、この地方の北側(現在のシリア、レバノン)はフランスの、南側(現在のヨルダン、イスラエル)はイギリスの委任統治領となった。これにより、南北で分かれる下地ができてしまったようだ。そして、第二次世界大戦終結後、フランスが統治していた地域のうちキリスト教徒の多いレバノンが他の地域から分かれて独立し、残りの地域がシリアとして独立した。ところで、イギリスは、遡ること第一次大戦中、ユダヤ人とアラブ人双方の助けが欲しいものだから、どちらに対しても「自分たちの国をつくっていいよ」とおいしい約束をしていた。言われた方は、その地域の全部をもらえるものだと思う。イギリスはにっちもさっちもいかなくなって第二次世界大戦後に解決を国連に預け、国連はその地域の分割案を採択、イギリスの統治が終了し、イスラエルが建国を宣言、もともとヨルダンは第一次大戦後にイギリス統治下ではあるが地域の東側で建国を果たしていた(独立したのは第二次世界大戦後)。とこういうことなのだ。

この間、アラブ全体を統合しようという動きもあったようだが、実現に至らなかったという。

なるほど、フランスは自分があの辺りを統治していたから毎日ニュースでシリアの政変を報じているのだな。ドイツで関心が高いのは、シリアからの難民をたくさん抱えているからなのだろう。

因みに、「民族」というのもややこしい概念である。これを分ける基準が、人種、言語、宗教といろいろあるからだ。人種が別でも同じ宗教を信じていれば同一民族なのか?同じ言語を話せば同一民族なのか?という話である。

そう言えば、ゴーンさんが逃亡した先はレバノンだったっけ。レバノンの首都ベイルートは、「中東のパリ」言われた街だそうだ。レバノンに限らず、この地域の発展には目を見張るものがあったが、内戦等々で失速してるそうだ。映画「ベン・ハー」にはいろんな民族が普通に行き交いするシーンがあった。争いがなくなって、どの国も経済に打ち込んで発展すればいいのに、と真から願う東洋の一市民である。


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