母が病院に通ったのはペースメーカーを入れていたからである。ペースメーカーを入れた人は、毎日血をさらさらにする薬(ワーファリン)を飲まなければいけないから、定期的に病院に行って薬をもらう必要があるのである(血液が金属に触れると固まるという話をなんかで聞いた。ワーファリンはそのために飲むんだな、と独り合点した)。
ペースメーカーを入れたきっかけは、「めまい」である。母は「めまいがする、めまいがする」と愁訴しては病院を渡り歩いたが、どこでも「異常なし」で追い返されていた。そんななか、「めまい」とは関係なさそうな心臓の欠陥が見つかった。病院はペースメーカーを入れることを勧めた。入れないとぽっくり逝く可能性があるという。そう言われたら普通の人は断れないだろう。まして、母は、何事も他人任せの人だったから断るという選択肢はなかった。
認知症は薬が飲めなくなって発覚する、と言われるが、母の認知症が発覚したのも薬がきっかけである。ある日、母から電話があって薬がなくなったという。え?決まった量より余計に飲んじゃったの?と思って病院に連絡したら、薬をもらいに行くはずの予約日を母からキャンセルしたという(母はそのことを覚えてなかった)。で、その日のうちに私が同行して病院に行き、後で私だけ診察室に呼ばれて先生が言うには「認知症だ、間違いない、この後大変なことになる」とのことだった(その予言は正しかった)。
認知症が進行して、施設でケアプランをたててもらうようになったのは(Vol.1参照)、この後のことである。その際、診療も施設に往診に来ている先生にしてもらうことになった。足腰の弱った母をタクシーに乗せて病院に行くのは重労働になっていたから往診の先生に診てもらえることは何にも増してありがたいことだった。そのために、病院の先生に、施設の先生宛の所謂「紹介状」を書いてもらう必要があったので、そのことを病院の先生に言うと、先生は事情を察してこころよく紹介状を書いてくれ……なかった。かなりお怒りになり、嫌みを並べ立てた。それでも、一応、紹介状を書いてくれた。
その後も、ペースメーカーの作動チェック等を元の病院でしてもらっていたので縁が切れたわけではなかった。そのうち、ペースメーカーの電池が寿命なので取り替えることになり、そのための手術を要するから2泊入院することになった。手術は無事成功。そのとき先生から「これまでペースメーカーはあまり作動してなかったようなので(つまり、心臓が元気でペースメーカーのサポートが不要だったので)、このたびは消費電力を抑えて13年もつようにした」と言われた。じゃ、なんのためのペースメーカーか?そもそも入れる必要があったのか?と納得のいかない私であった。
その翌日のことである。病院から電話があった。母が徘徊して手がつけられないから引き取ってくれ、という内容だった。だからって追い出すの?じゃ最初から1泊で良かったんじゃん、とここも納得のいかない私。とにかく、母を施設に連れ帰った。
施設の往診の先生は大変良くしてくれて大いに助かった。ただし、ときたま、その先生が来れないときがあって、代わりの若ーーい先生が来るのだが、その先生は、ちょっとでも異常があるとすぐに私に電話をしてきて「大きな病院に行って診てもらってくれ」と言う。え?おたくで分からないの?そのための往診じゃないの?しかも、それがゴールデンウィークにあたったりすると大病院も開いてない。途方にくれてるうちにいつもの先生と連絡がついて「それ、ウチで診察できるから(大病院に行く必要はない)」とのこと。でしょー?きっと、あの若い先生は自信がなくて判断できないもんだから大病院に行けと言ったんだと私は思っている。
母が「老衰」でなくなったのは、ペースメーカーの電池を交換して「13年持つ」と言われたその半年後である。
そういう母をみてきて、私が心に決めたことがある。ペースメーカーはどんなに勧められても絶対に入れない、ということである。そもそも母がペースメーカーを入れたのは「めまいがする」と愁訴したせいである。それがなければ、(結果的に)役に立つことがなかったペースメーカーなど入れずに済んだだろう。「雉も鳴かずば打たれまい」である。
最近、私もめまいらしきものを体験した。ああ、母が言っていたのはコレか?と思った。だからと言って大騒ぎして「雉になって打たれる」=「ペースメーカーを入れられる」ようなことはしない。それよりも、最近はめまいの専門外来ができてきたからそっちに行く方が百倍ましだと思う。駅へのバスの車窓からも「めまい」を謳ったクリニックが見えるから、よっぽどひどくなったらそこへ行こうと思っている。
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