黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

水戸逍遥 #01

2007-10-15 07:06:34 | 建築
出張で水戸へ行きました。
去年の出張の時はその帰りに、今はなき船のレストラン アリューシャンを見学。
今年の夏の出張の帰りには思い出の場所、関東鉄道鉾田線の鉾田駅を見学。
大洗、鉾田と、いつも水戸から離れていたので、今回は水戸市内を観る事にしました。
目的はとある給水塔。
バスで水戸駅から1km程離れたところで下車し給水塔を目指しましたが、
その道すがら続々と廃れモノが目につきます。
ある一角全部が廃れているわけではなく、ちゃんと街として機能していながら、
その部分部分に必ず廃れモノが点在していて、その様子はまさに<ほころんだ街>
給水塔の前にそんな水戸市内をアップしていこうと思います。



バス停を降りると目の前にあった木造の仕舞屋。
板張りの要塞のような作りは増築の結果でしょうか。







通りに面した部分の半分は看板建築で、半分は木造のままです。
飴色に焼けた板、ひしゃげた木枠、年期の入ったたたき。








窓の装飾も不思議なデザインです。
この後何軒も年期の入った木造家屋を見ますが、
同じような複雑な窓枠を沢山見かけました。
この時代水戸で流行っていた窓枠なんでしょうか。

◆ 水戸逍遥 ◆
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江東区佐賀町

2007-08-28 03:48:14 | 建築

前回アップした運河の終わりは、東京の下町~江東区の光景でしたが、
江東区という区は、中央区のすぐ隣にもかかわらず、
江戸川区や葛飾区などよりはるかに殺伐とした風景が随所に点在する、
魅惑的な区です。
以前アップした東京都港湾局の貨物専用線<晴海線>も、
この江東区をほぼ縦断して走っていました。
同様に以前アップした豊洲埠頭もまた江東区にあり、
その他台場埠頭もその殆どの敷地が、実は江東区に属します。

そんな江東区に、佐賀町という街があります。
前回アップした運河もこの佐賀町のすぐ近くですが、
今でこそ新しいオフィスビルが林立し、
都心のすぐ近くのエリアの雰囲気になってきたものの、
20年位前は、かなりぞんざいな印象の街だったのを思い出します。
今日の画像はそんな佐賀町の20年位前のフィルム写真です。



もう場所も全然思い出せない、なにかの研究所の施設。
画像からもわかるように敷地内に入っていますが、
廃墟ではなかったと思うんで、わざわざ侵入するわけもなく、
たぶん普通に敷地内を通行できたんだと思います。



しかし見れば見る程、
本当に廃墟ではなかったのかが疑わしくなるルックス。



植物の忍び寄り具合や、
窓ガラス越しに見える、何も置かれていないスチール棚。
やはり廃墟だったのかも、と思えて来ます。



これは別の場所のレトロビルの入口。
ビルとはアンバランスな程凝りに凝ったレリーフ。
以前探偵もののテレビドラマで、
この入口が使われていたのを見た事がありますが、
恐らくもうないんではないかと思います。

佐賀町には、食糧倉庫を改装してフリースペースにした、
佐賀町エキシビット・スペースというギャラリーもありました。
ここには随分お世話になりましたが、
そのビルも今ではもうありません。

また運河の終わりの近くには、佐賀町カフェブリュスという、
建物全体が総鉄板張り(完錆)のカフェもありましたが、
それも今はもうありません。

■ 追記 ■
ぼくの近代建築コレクション 村林ビル/佐賀1丁目に、
最後の画像のビルのことが記述されていますが、
それによると、このビルはまだなくなっていないそうです。
2年程前に用があってこの辺へ行った時に見当たらなかったので、
てっきり解体されたと思っていましたが、
たぶん見落としていたのでしょう。
また探偵モノのテレビドラマというのも記憶違いで、
正確には1999年の秋にオンエアされた『恋愛詐欺師』でした。


船橋生まれさんへ

2007-07-28 07:56:21 | 建築
先日実家へ戻り、以前の記事でお話させて頂いた、
懐かしの船橋界隈の写真を探したのですが、
もうどこにあるのか、また既にないのかすら分からない状態でしたので、
アップできないことをお詫びします。
私も懐かしい船橋をもう一度みてみたかったので、
とても残念です。

ご存知かもしれませんが、
東京ベイ船橋ビビット』というblogに、
船橋をメインにした千葉県中心部の情報が詳細にアップされています。
あのとき、船橋は」のカテゴリーには、
まだ丸井のマークが「○の中に井」だったころのビルが写っていたり、
あのとき、東京ベイららぽーと」のカテゴリーでは、
船橋ヘルスセンターの様子が古写真とともに、多数紹介されています。
船橋生まれさんだったら「そうそう」と思い出されることも多いかと思いますので、
是非ご覧になってみてください。


日比谷公園 3

2007-07-16 01:11:31 | 建築
最近アップしている、自分にとってはあまり馴染み深くない東東京の話。
今日は日比谷公園の最後。
日比谷公園といえば日比谷野音と日比谷公会堂が、
おそらく一番全国的に知られていると思いますが、
ロック&ポップスにあまり興味がないので、
どちらも一度も行った事がありません。



日比谷公会堂。
以前アップした三信ビルと同じ、昭和四年 (1929) 築。
三信ビルが解体の憂き目に会っている今、
同じ年に竣工した建物が残っている事は素晴らしいと思いますが、
三信ビルのように目を楽しませてくれる要素がなく、
いかにも官庁街のビルといったカチカチした感じで、
面白みを感じません。




コンサートホールへは一度もいったことがありませんが、
長崎市の東京出張所を訪ねて、この建物の中へ行った事はあります。
同じフロアにはコンサートホールの事務局とは別の、
いくつものオフィスが入居していた様子ですが、
日比谷公会堂の公式サイトを見ても、
オフィスビルとしての機能を説明した箇所がみあらないのは不思議です。




日比谷公会堂の隣には、
数少ない都立図書館の一つ、日比谷図書館があります。
建物の雰囲気からして使えそうな印象を受けますが、
その蔵書はかゆい所に手が届かない、
帯に短し襷に長し、的な図書館です。

都内の大規模公園の歴史にたがわず、
この日比谷公園もかつて佐賀鍋島家の上屋敷があり、
明治以降、陸軍近衛師団の練兵場だった場所です。
近衛師団の話が出たので、
明日からは皇居をはさんで日比谷公園と反対側、
北の丸公園の話をアップして行きたいと思います。


片倉工業ビル

2007-07-13 03:48:42 | 建築
昨日、一昨日と日比谷の三信ビルディングをアップしたので、
その流れで東東京のレトロビルを一発。
京橋の片倉工業本社ビル。



片倉工業。ご存知ない方が殆どかと思いますが、
サイトをご覧になれば誰もが知っている世界遺産が。
片倉工業株式会社
そう、あの富岡製糸工場を民間として払い下げた会社です。
三信ビルより遥かに重厚なエントランス。






1階には映画美学校が入居しています。
そもそもこのビルへ行くきっかけも、
仕事がらみの映画の試写会があって、
その会場がこの映画美学校内の試写室だったからですが、
重々しい外観とは裏腹に、優しい光が漂う館内は魅力的で、
こんなビルが学校だなんて、できすぎた環境だと思います。






1、2階吹き抜けの高い位置には、
凝ったレリーフが施され、
乳白色の光が注ぐ天井もいい感じです。






地下へ降りてみると「私設郵便函」と書かれた装置が壁面にあります。
三信ビルでも、各階の廊下に郵便物投函口があって、
全部が地下の郵便溜へ集まるしくみだったようですが、
おそらくこのビルも同じ造りなんではないかと思います。






1階にある、
まさに「This is the 床屋」というに相応しい理容室。
店名だけがプリントされたガラスの扉。
入口横に置かれた身だしなみ用姿見。
左右に設置されたくるくる。
完璧です。

東東京には、まだまだ明治大正を今に伝えるビルが、
けっこう残っています。

三信ビルディング 2

2007-07-12 03:36:09 | 建築
昨日アップした三信ビルディングの内部です。
既に廊下も寸断され、一軒だけ残して全てのテナントが板で閉鎖され、
唯一営業していたのが「スナックバー ニュー・ワールド・オーダー」でした。
右奥に見える看板がお店です。







せっかくなので店に入りコーヒーを1杯。
ついでに撮影もしておこうと思って店の人に尋ねましたが、
お客がいるからと断られ残念。
店内の様子はこちらをご覧下さい。→Roc写真箱 / もういけない
蝋燭電灯が店内に散りばめられた、正当派レトロ喫茶でした。

壁面のレリーフも凝っていています。





アーチ型の天井の梁にも手のこんだレリーフが施され、
各柱のふもとには、小さな鳥の彫像まであります。





一番不思議なのは、1階2階の吹き抜けの2階部分に設置された回廊を飾る欄干です。



李朝家具を思わせる、直線で構成された木製の欄干が、
磨き込まれた大理石の床と絶妙な相性です。
このときは2階へ上がる階段も既に板で封鎖されていましまが、
2階へも1度は上がってみたかったものです。
またweb上でよくみかける、
弧状に並ぶ5連のエレベーターホールや、
右書き文字で書かれた、郵便差入口も見てみたかったと思います。

ニューワールドオーダーが閉店した翌日、
すぐに解体工事が始まったそうです。
つまりこのビルには廃墟の時間が全くなく終わってしまったことになります。
場所柄当然かと思いますが、
この外観と内観だったら、廃墟になっても
これまた凄かったんではないかと想像しました。



三信ビルディング 1

2007-07-11 01:42:11 | 建築
そういえば、日比谷の三信ビルの解体工事が始まってました。
とても有名な建物なので、ここで説明するまでもありませんが、
時々コメントを頂く『都市徘徊blog』のasabataさんのサイト、
Site Y.M. 建築・都市徘徊 / Tokyo Lost Architecture / 三信ビル
をご覧になってください。
現役時代の館内も沢山アップされています。

何度となくその前を通りながら、かつて一度も入った事がなかったので、
解体の噂を聞いた今年の3月、初めて入ってみました。
そしてそれが最初で最後の三信ビル訪問になってしまいました。
とにかく美しいの一言に尽きるビル。



よくまあこんなデザインを思いついたもんだと思います。
最近の建築には絶対にない、
気品と格調の中に、遊び心と宇宙が詰まった建物だと思います。
ず~っと玄関前に大型トラックが停まっていたので、
1階部分はトリミングしてしまいましたが、
1階部分もとても重要な役割をはたすデザインになってます。

1929年(昭和四年)竣工。
1929年といえば、パリ万国装飾美術博覧会ー通称アール・デコ展が開かれた4年後。
そしてフリッツ・ラングの代表作『メトロポリス』公開の2年後。
目黒にある旧明日香宮邸(現東京都庭園美術館)をはじめ、
国内に残る殆どのアール・デコ建築が、クライスラービルの様な説得力がない中、
正面屋上にはデコ然とした尖りが施されています。
屋上の電波塔も、いかにもギザギザの電波を出しそうでいい感じです。






しかし館内も含めて建物全体を見てみると、所々に時代のデザインを取り入れながらも、
ハイブリッドで独創的な工夫がそこら中に散りばめられている印象です。

  

外壁灯は日比谷という土地柄にマッチしています。
中へ入ると錆金色の扉がびっくりさせてくれます。
真鍮製か木製塗装か、いずれにしても大理石の壁とともに、
ひたすらゴージャスな印象を与えてくれます。

明日は館内をアップしようと思います。

風変わりな味のあるアパート

2007-06-04 04:31:50 | 建築
先日アップした都営上目黒アパートの帰りに、
代官山から渋谷へ抜けた途中、気になったものをアップしています。

風変わりな味のあるアパート、ジュネス順心。



道に面して突然のようについている扉。
わざわざ階段をつけて高い位置に設置し、
豪邸の車寄せのような雰囲気もある玄関。
どこを見ても、あまりみかけない造りです。
特に手前の、道に張り出した部分は、なんのスペースかわかりませんが、
そこだけ丸窓がつけられています。



窓枠は部屋の四角い窓も、この丸窓も、
全て白く塗られた木枠です。



丸窓を反対側からみると、赤く塗られた小さな煙突。
そしてその壁面にはたった一つだけの小さな窓。

玄関は玄関で、また細かい細工が随所に施されています。
モザイクはモザイクでも、これまた他ではあまり見かけない感じの並べ方で、
中央に色ガラスで作った花柄があしらわれた丸窓も目を惹きます。
梁柱も、ただの角柱ではなく、
角度をすこしづつ交互につけた三角形の削りをいれ、
さらにそこに斜めに幾筋かの線を彫り込む
(一番下の階段画像の右側の柱のような感じ)
といった懲りようです。



内部は内部で、狭いながら複雑な作りになっています。
特に玄関から見た時に、右も左も一番奥の部屋が見えず、
まだまだその先があるように感じさせ、
廊下に点灯する裸電球も、ケーブルの結び目とともにいい感じです。



特に目を惹く、中央に陣取った階段。
階段の上には靴箱が見えますが、二階は土禁のようです。



階段の左横に貼られた、レトロな感じのポスターは、
劇団俳小の『美しきも伝説』という公演のポスターですが、
去年の9月に上演されたもののようです。
建物内にその劇団の事務所があるのかと思いましたが、
そういうわけではなさそうで、
かわりに流星的演団という劇団の事務所が入っているようです。


崩れかけの新建築

2007-06-01 01:45:26 | 建築
先日アップした都営上目黒アパートの帰りに、
代官山経由で渋谷まで出た時にちょっと気になったものをアップしています。

代官山の駅の近くには、いつかはアップしようと思っていた、
鈴木エドワード氏によるオンワード代官山ビルがあります。



かつては
斬新かつソリッドなデザインで知られた、
ジャン・ポール・ゴルティエのブティックが入っていた事で、
その奇抜なビルのデザインと共に話題になりましたが、
今ではゴルティエは撤退して、
ソニア・リキエルの娘ナタリー・リキエルがプロデュースした、
リキエルワールドが展開するショップ RYKIER woman に生まれ変わっています。

鈴木エドワード氏といえば
渋谷センター街の斧をイメージした派出所や、
CMにも使われた軽井沢の SUPER VILLA II などで有名ですが、
今からみると日本でのポストモダンのお手軽版的な建物は、
懐かしくもありほほえましくもあります。

前出の3つほど有名ではありませんが、
恵比寿にも氏の作品があります。
恵比寿イーストギャラリー



このビルは山手線沿いに建っているので、
ご存知の方も多いかと思いますが、
代官山ビル同様、壊れかけの建物の中から、
別の建物が顔を出すようなデザインです。

さいたま新都心駅など、硬質でかっちりした最近の作品に比べて、
発想にウエイトがあり、隙のある仕上がりは、
初期の作品だからでしょうか、それとも意図したところでしょうか。

ちなみに記事のタイトル「崩れかけの新建築」は、
以前アップしたアインシュツルツェンデ・ノイバウテンから。
オンワード代官山ビルが建てられたのが1986。
かたやアインシュツルツェンデ・ノイバウテンが活動したのは、
80年代初頭から後半にかけて。
どちらも懐かしの80年代です。


中目黒の不思議な建物

2007-05-31 00:06:39 | 建築
一昨日まで東京の目黒区にある都営上目黒アパートをアップしてきたので、
ついでに代官山~渋谷界隈をアップしようと思います。



上目黒アパートのすぐ近くにあった不思議なデザインのビル。
ビルの壁面に、
ビルを斜め上から俯瞰した構図のレリーフが施されていて、
窓もその俯瞰構図の位置に、斜めについているんですが、
その斜めの窓が実際の窓も兼ねているという、
きわめて不思議な建物です。
当然内部のフロアーは水平に造られていて、
逆に室内に斜めの窓が設置されているんだと思いますが、
外から見る限り、その違和感をあまり感じないのも不思議です。
但し仕事をするには、
あまり落ち着かないのではないかと思いますが。


カサベラジャパン創刊記念シンポジウム

2007-02-05 06:43:50 | 建築
昨日『軍艦島からマンション問題を考える』
という建築系のシンポジウムの話をアップしたので、
仕事がらみで参加した『カサベラ casabella』というイタリアの伝統ある建築雑誌の、
日本版創刊記念シンポジウムの話をついでに。

まずその前に会場となった新生イタリア文化会館



壁面の強烈な色を「皇居周辺の景観と調和しない」として、
地元住民から塗り替え運動がおきている、話題の建物。
この建物を設計したイタリアの建築家ガエ・アウレンティ女史の話では、
この赤い色は日本の漆の赤を表現したということですが、
ビルの四方を白壁で囲い、窓枠の中が全て緑色なので、
赤はどうしてもイタリアの赤にみえてしまいます。
もっとも、そういった問題とは別に、とても綺麗な建物だと思います。

シンポジウムの様子



パネリストは右から
東大建築学教授の鈴木博之さん、
カサベラ編集長のフランチェスコ・ダルコさん、
建築家の磯崎新さん、
そして進行役が建築家の隈研吾さん。

話題は隈研吾さんが最初に提起した、
『Casa BRUTUS』は建築雑誌としてどうか?という事への回答が中心のものでしたが、
ダルコさんの
「雑誌は一生の友達になるものである」という言葉は印象深く残っています。
カサベラは1928年創刊の雑誌。
ダルコさんはその長い歴史の中で、いかにカサベラが世界に対して発言してきたかを、
熱をもって語られていました。

また磯崎さんの
「Casa BRUTUSは建築雑誌ではない」発言には、
会場がどよめく一幕もありましたが、
昨今の若手建築家がCasa BRUTUSに掲載されることを目標にしていることを嘆きつつ、
20年30年のスパンで建築を考えるなら、カサベラを読みなさい。
という締めでシンポジウムは終わりました。

Casa BRUTUSによって、
コルビュジェや、ロイドや、安藤忠雄の名が広まったのは事実で、
とても貢献度の高い雑誌だと思いますが、
しかし情報雑誌には違いありません。

そしてこの肥大した情報誌を専門誌と取り違える問題は、
なにも建築雑誌に限った話ではなく、
あらゆる分野に浸透しつつある現象ではないかと思います。
テレビ報道にしても、相当詳しく報道しないと見てくれない。
で、見た人は、情報がかなり詳しいので、それが全てだと思ってしまう。
しかし情報量と哲学はまったく別物。
哲学がない所に時代を作る種はなし。
ということを、磯崎さんは言いたかったんだと思います。

1階のエントランススペースでは、
バックナッバーをそろえた展示が2/9まで一般公開されています。



お時間のある方は、行かれてみてはどうでしょうか。



昨日アップした「軍艦島からマンション問題を考える」シンポジウム。
そして今日の「カサベラジャパン創刊記念』シンポジウム。
共に建築関係のシンポジウムでしたが、
かたや人間性の回復を訴え、かたや物造りの哲学の話。
ともに興味深いシンポジウムだったと思います。

TDL:閉園後のメインエントランス

2007-01-26 09:32:47 | 建築
ここ最近アップしている、
ディズニーリゾートのシリーズです。

時々人工廃墟のカテゴリでアップしているTDRの記事とは違って、
特に廃墟には関係ありませんが、
お好きな方は思い出しながら楽しんでください。

いつも寂しい閉園後のメインエントランス





人も写っていなければキャラクターも写っていないディズニーリゾートを
ずっとアップしてきました。
ディズニーの一般的なイメージは、
TDRのサイトに鏤められた、あの感じなんでしょうが、
こうやって画像を並べてみると、
全然かけ離れた感じだなぁ~と思います。
そして、自分にとってディズニーリゾートは、
こういうところなんだと改めて知ります。

そしてTDRから受ける印象は、
廃墟とそれほどかわらないことにも気がつきます。

廃墟をテーマパークの様にファンタジーの世界だと思っているのか、
TDRを廃墟の様に浮き世離れした場所だと思っているのか、
どちらが先かはわかりませんが、
共に現実的ではない建物が並び、
冒険や発見があって、好奇心を満たしてくれて、
細かなディテールやテクスチャーの楽しみがあって、
色の愉しみがあって・・・

以前アップした記事に、
廃墟そのものを撮影すると、そこには廃墟がなく、
廃墟以外のものを撮影して、始めて廃墟的なものを表現できる、
といった話をアップしましたが、
今回アップしてきたTDRの画像もまた、
廃墟そのものより廃墟の印象のある側面を、
あらわしてくれていると思います。

◆ 東京ディズニーリゾート ◆
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TDS:アラビアンコースト

2007-01-25 01:47:47 | 建築
ここ最近アップしている、
ディズニーリゾートのシリーズです。

時々人工廃墟のカテゴリでアップしているTDRの記事とは違って、
特に廃墟には関係ありませんが、
お好きな方は思い出しながら楽しんでください。

アラビアンコースト



だいぶ夜も深まってきました。
アラビアンコーストはその名の通り、
ミドルアジアの街並を再現したエリアです。

20世紀後半、
燃える水がこの地域の人たちを人でなくし、
21世紀に入った今もまだその名残は根深いものがありますが、
かたやドバイのパームツリーアイランドのように、
資源からリゾートへの大きな方向転換に成功している地域もあります。

<一面の真っ白な砂漠、ところによりオアシス>の光景は、
移動手段さえ確保出来れば、
この上ない癒しのチルアウトヴューだと思います。

22世紀のミドルアジア圏は、
きっと今の印象とは全然違う、
世界No.1のリゾート地になっているんではないでしょうか。

◆ 東京ディズニーリゾート ◆
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TDR:レストラン

2007-01-24 01:46:54 | 建築
ここ最近アップしている、
ディズニーリゾートのシリーズです。

時々人工廃墟のカテゴリでアップしているTDRの記事とは違って、
特に廃墟には関係ありませんが、
お好きな方は思い出しながら楽しんでください。

S.S.コロンビア・ダイニングルーム



TDRにはランドとシーあわせて、屋台系も含めて78箇所のレストランがあります。
すごい数ですね!
さすがに全部入った事はありませんが、
どの店もTDRの味がするのが不思議です。
そんな中でシーのマゼランズは、
あまりTDRの味がしなかったような気がします。

ランドしか無かった頃は、
カリブの海賊から見える「ブルーバイユー・レストラン」とかは、
お酒が飲めたと思いますが、
シーができた今は、ランドのレストランでは、
お酒をださなくなりました。

ただランドにお酒を出すレストランが一軒だけ、今でもあります。
78軒の店には名前の出ていなレストラン。
CLUB 33です。
TDR内のアトラクション等を提供している会社の関係者などだけが利用出来る、
会員制のレストランで、さすがにTDRの味はしませんでした。

◆ 東京ディズニーリゾート ◆
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TDS:アメリカンウォーターフロント

2007-01-23 01:48:42 | 建築
ここ最近アップしている、
ディズニーリゾートのシリーズです。

時々人工廃墟のカテゴリでアップしているTDRの記事とは違って、
特に廃墟には関係ありませんが、
お好きな方は思い出しながら楽しんでください。

アメリカンウォーターフロント



20世紀初頭のニューヨークを再現したアメリカンウォーターフロントは、
TDR発祥の国の街並みを再現しているだけあって、
他のエリアに比べて、細部まで念入りに作り込まれていますね。

80年代の終わり頃、マイケル・ジャクソンが来日したとき、
公演後ディズニーランドを借り切って一人で遊んだそうですが、
ちょうどこんな感じの、誰もいないパークだたんじゃないでしょうか。

ちなみに23時まではパークにいたことがありますが、
その時はまだゲストがパーク内にいました。
いつも不思議に思いますが、
TDRからは何時にゲストがいなくなるんでしょうか?
満面の笑顔で手を振る追い出しキャストがいると聞いたことがありますが、
みたことがありません。

◆ 東京ディズニーリゾート ◆
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