黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

イタリア旅行記 #50 まとめ

2011-06-02 00:33:58 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記。
今回はシリーズでアップして来た旅行記の最終回です。

◆ ラヴェンナ ◆

サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂(画像はクリックで拡大します)

ラヴェンナは何と言ってもモザイクが印象的でした。
PCのバックライトの力を持ってしても、
まったく伝わらない無限の奥行きのある煌めき。
「永遠の輝き」とは、
こういうものの為にある言葉だと思いました。





◆ フィレンツェ ◆

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

フィレンツェはやはり大聖堂
滞在中の殆どの時間を費やして、まだ全然見切れていない大聖堂は、
足掛け600年の時を越えて造られた聖堂だったことも驚きですが、





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

いくら近寄ってみてもその密度が変わらない
全面を覆い尽くす装飾には、くらくらしました。





メディチ家の紋章
メディチ家の紋章

また、街のいたるところに、
薬丸を模したメディチの紋章がありました。
フィレンツェという街が、
いかにメディチ家の力で造り上げられた街だったのかも、
痛烈に感じました。





解剖されたヴィーナス@ラ・スペコラ博物館
解剖されたヴィーナス@ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

そして忘れられないのはラ・スペコラ博物館です。
解剖されたヴィーナスをはじめとした累々たる解剖蝋人形は、
まさに生と死が交錯するエロトスの響宴。





◆ ローマ ◆

噴水の廃墟@ローマ
噴水の廃墟@ローマ(画像はクリックで拡大します)

ローマの魅力はなんと言っても廃墟のミルフィーユです。
2,500年以上前からの遺構が、それ以降の各時代のものと折り重なって、
時には改造され、ときにはそのまま使われながら、
現代に息づいています。





トラヤヌスの市場
トラヤヌスの市場(画像はクリックで拡大します)

ローマの原点が眠るパラティーノの丘
カエサルをはじめ伝説の人々が集ったフォロ・ロマーノ
あまりにも完成した街並のフォーリ・インペリアーリ
日本にまだ文字があるかないか位の頃に、完全な都市国家が完成し、
しかも、最も幸福な時代とまで言われる時間が存在したこと。
それ自体も驚きですが、更に、
そらが街のド真ん中にかなり多く残っているのも驚きです。





コロッセオ
コロッセオ(画像はクリックで拡大します)

そして、その頂点といえるのがコロッセオ
宗教的場所に転用されたために、
今日まで壊されずに残ってくれたわけですが、
世界中の人に、知ってる廃墟を一つ挙げてくださいと尋ねたら、
おそらくこのコロッセオが一番多いのではないでしょうか。





サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

そして、ローマで、また今回のイタリアで、
最も印象に残っているのはサン・ピエトロ大聖堂です。
想像を絶する巨額の費用と、究極のアーティストを使って造られた、
宮殿と呼んでもおかしくないその聖堂の地下には、
キリスト第一の使途であり初代教皇のペトロをはじめ、
歴代の教皇が眠っています。
飽くなき欲望と無数の遺体が同居する空間、
それはまさにラ・スペコラ博物館やダイヤモンド・スカルと同じく、
究極のエロトスの形だと思います。



イタリアで受けた魂の振動が、
今でも体の中にあるのを強く感じます。
重たいボディブローを何発もくらった感じです。
この感覚はなんなんだと、
日本に帰って半年たった今でも思います。
全身を支配したイタリアが体から抜けるには、
まだまだ時間がかかりそうです。

最後にイタリアの印象です。


イタリア旅行記 #49 日本へ

2011-06-01 00:43:21 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。

イタリアの地下鉄
イタリアの地下鉄

落書きが激しいローマの地下鉄。
シリーズの記事で、何度か落書きに関して触れてきましたが、
特にローマの地下鉄の落書き度は、半端ないです。
無地のアルミボディだから書きたくなるのかも知れませんが、
画像の地下鉄等は、もともとこういった図柄かと思います。





イタリアの路面電車
イタリアの路面電車

ヨーロッパの他の多くの都市同様、
ローマの市内には路面電車が走っています。
これといって特別なものではありませんでした。





イタリアの水飲場
イタリアの水飲場

ローマ市内には、噴水とともに公共水飲場も沢山あります。
画像のものは大きな方ですが、
消火栓くらいの大きさのものは至る所にあり、
しかも年中水が出っぱなしなので、
街にはいつもどこからともなく水の音が聴こえています。





フィウミチーノ空港
フィウミチーノ空港

ローマの玄関口、フィウミチーノ空港、
通称「レオナルド・ダヴィンチ」空港。
空港にはスーツケースをぐるぐる巻きにするサービスがありました。
バッグをぞんざいに扱う、ヨーロッパらしいサービスですね。





ローマ・パス
ローマ・パス

今回ローマでは、
最初に駅でローマ・パスというのを購入しました。
約2,000円で3日間、
指定された観光地の最初の2カ所は無料、
その後は何カ所廻っても半額、
地下鉄は乗り放題というすぐれものです。





中国上空の夜明け
中国上空の夜明け

夕方飛び立った飛行機はすぐに夜に入り、
中国上空で夜明けを迎えました。





韓国上空
韓国上空

韓国上空を飛ぶ頃には陽もだいぶ昇り、
埋立工業地や団地がよく見えました。
まもなく成田です。

シリーズでアップして来たイタリア旅行記、
次回は最終回です。

イタリア旅行記 #48 夜のローマ 3

2011-05-31 00:58:41 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回は夜のローマの第三回です。

夜のローマの最後の回は、
紀元前後の後から現代までを見て行こうと思います。

サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂
サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂(画像はクリックで拡大します)

以前の記事でも真実の口の所で触れた、
サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂
6世紀頃、東ローマ帝国から逃れて、
この近辺に居たギリシャ人の為に建てられた聖堂。





カンピドーリオ広場
カンピドーリオ広場(画像はクリックで拡大します)

ミケランジェロ作『カンピドーリオ広場』
中世を飛ばして、いきなりルネサンス時代になります。
パラティーノの丘が紀元前ローマの原点だとすれば、
帝政以降のローマの発祥の地とでもいうべき広場。
以前アップしたフォロ・ロマーノの中でも、
古い建物の部類に入る公文書館の上に増設された、
現在ローマ市庁舎として使われている建物です。





トリトンの泉
トリトンの泉(画像はクリックで拡大します)

そて時代はバロックへ進み、ベルニーニ作『トリトンの泉』
ベルニーニに関しては既に何度も触れてきましたが、
とにかくローマ市内には至る所にベルニーニの彫刻があります。
彫刻天国のローマの市内を歩いていると、
確かにベルニーニの作品は、
その躍動感で他作品と一線を画しているのが感じられます。





トレヴィの泉
トレヴィの泉(画像はクリックで拡大します)

映像や画像では幾度となく目に触れる機会のあるトレヴィの泉。
これもまたローマ・バロック時代の傑作と言われています。
観光地色が強過ぎるんでは、と期待してなかったんですが、
実際に見るとすごく、
おもわず後ろ向きでコインを投げ込んでしまいました。





ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(画像はクリックで拡大します)

そして1870年に、今のイタリアを統一した
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の記念堂。
とにかくでかい!ただ、それだけ。
駆け足で、夜のローマで紀元前から現代までの時空旅行でした。





夜のローマ
夜のローマ

「すべての道はローマに通ず」という言葉は有名ですが、
それだけヨーロッパ社会にとってのローマとは、
ある意味原点の場所なんだと思います。
ローマは、エジプトやギリシャなどの、
それまでの古代社会のおいしいところをミックスして、
現在の社会の基本的な構造を造り上げた場所だと感じました。





夜のローマ
夜のローマ

ゲーテは「ローマには人類の歴史全てがある」と言ったそうです。
人類の歴史全ては言い過ぎかも知れませんが、
確かにローマには2,500年の歴史が、
廃墟のミルフィーユとしてしっかりと残っています。
そんなローマに居ると、
「現在」という時間が些細なもののように思えて来ます。





夜のローマ
夜のローマ

2,500年の歴史を毎日肌に触れながら生活していると、
自分がすごくちっポけに思えてくるんではないでしょうか。
その短い一生の中で、粛々と時代をつなぐ一こまになって、
そして生涯を次の時代へバトンタッチしていく。
そんな考えを、
いやおうでも感じさせられるんではないかと思います。
ヨーロッパのポピュラー音楽の底に流れるある種の諦め感は、
ここから来ているんだと思いました。

イタリア旅行記 #47 夜のローマ 2

2011-05-30 02:04:18 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回は夜のローマの第二回です。

前回アップした夜のローマは、
主に紀元前の王制ローマから共和制ローマ時代のものでしたが、
今回は紀元前後のものを中心にアップしようと思います。

オクタヴィアの柱廊
オクタヴィアの柱廊(画像はクリックで拡大します)

前回の記事でアップしたティヴェリーナ島から少し北へ行くと、
画像のように街のど真ん中に突然廃墟が現れれます。
帝政ローマの初代皇帝オクタヴィアヌスが前23年に造った、
姉のオクタヴィアを祀った柱廊の前門跡です。
ローマで最初に見た、街中に忽然と現れる廃墟だったので、
その印象は、今でも鮮烈に覚えています。





オクタヴィアの柱廊
オクタヴィアの柱廊(画像はクリックで拡大します)

オクタヴィアの柱廊の端部分の現存する柱。
奥に建つ家は、窓を開けると二千年前の柱が、
目の前に立っている、というわけですね。





マルチェッロ劇場
マルチェッロ劇場(画像はクリックで拡大します)

オクタヴィアの柱廊の裏(北)にはマルチェッロ劇場があります。
一見コロッセオの様にも見えますが、
オクタヴィアヌスが前11年に、
若くして死んだ甥のマルチェッロのために造った劇場跡です。
コロッセオよりも古く、
コロッセオがこの劇場を模して造られたと言われています。

右端に立つ柱は前5世紀のアポロ神殿の跡。
もともと神殿に捧げる演劇が行われていた場所だったため、
この地に建設されたそうですが、
姉の柱廊、そして甥の劇場と、やりたい放題ですね。





マルチェッロ劇場
マルチェッロ劇場(画像はクリックで拡大します)

劇場の裏側はこんな感じになっています。
中世にローマの封建貴族の要塞に改造され、
更に16世紀にはスカターニ家の居館に改築され、と、
この建物もまた、
何世紀もの歴史がコラボして出来上がった建物です。
ちなみにこの劇場は世界遺産ですが、
3、4階には現役で人が住んでします。





コロッセオ
コロッセオ(画像はクリックで拡大します)

そして以前の記事でもアップしたコロッセオの夜景です。
マルチェッロ劇場と違って、コロッセオは完全に観光地なので、
夜も様々なライティングが施されて奇麗です。





コンスタンティヌスの凱旋門
コンスタンティヌスの凱旋門(画像はクリックで拡大します)

イタリアシリーズで既に幾度となく触れて来た、
ローマで初めてキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が、
これもまたヴァチカン美術館の記事でふれた、
ミルヴィオの戦いで前皇帝のマクセンティウスを倒し、
ローマに凱旋した時の門です。





ヤヌスの凱旋門
ヤヌスの凱旋門(画像はクリックで拡大します)

こちらはローマに残る唯一の四前面のヤヌスの凱旋門。
真実の口広場に面して建っています。
コンスタンティウス2世によって建てられた凱旋門ですが、
ローマ皇帝の名前は紛らわしくてこまります。
特にコンスタンティヌス帝からの4代は、身内ということもあってか、
コンスタンティヌス1世、(ヌス)
コンスタンティヌス2世、(ヌス)
コンスタンティウス2世、(ウス)
コンスタンス1世と、紛らわし過ぎます。

くりぬかれた箇所には、嘗ては彫像が並んでいたのだと思いますが、
現在では全てなくっているので、壮麗な印象が薄く、
そのせいで、あまり知られないのかと思います。

イタリア旅行記 #46 夜のローマ 1

2011-05-29 01:31:30 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回は夜のローマです。

ローマは大都市なので、真夜中の散歩もとても充実します。
基本的には宿泊ホテル界隈の散策ですが、
ローマの中でも最も古い歴史が残るエリアで、
しかも外灯はすべて電球系で、数が少ないので、
真夜中の散歩は暗闇の中の二千年の時空散歩となります。
それでは時代をおって見て来たいと思います。

フォロ・オリトリオの柱廊
フォロ・オリトリオの柱廊(画像はクリックで拡大します)

前回の記事でも触れた、ローマ最古の市場フォルム・ボアリウムの隣には、
フォロ・オリトリオという、同じく王制ローマ時代の広場があり、
王制期の聖域サント・オモボノや画像の柱廊をはじめ、
2千年級の廃墟三昧です。





サン・ニコラ・イン・カルチェレ聖堂
サン・ニコラ・イン・カルチェレ聖堂(画像はクリックで拡大します)

このサン・ニコラ・イン・カルチェレ聖堂は、
前回アップした記事のポルトゥヌス神殿の数件隣にあるのですが、
王制時代の神殿の柱をそのまま再利用してしまってます。
千年前が二千数百年前とコラボした聖堂が、
今でも現役で使われている、ということになります。
聖堂の地下には、現在も神殿の遺構が残っているそうなので、
次回ローマへ行ったら、是非見てみたいものです。





エミリオ橋(ポンテ・ロット)
エミリオ橋(ポンテ・ロット)(画像はクリックで拡大します)

聖堂の裏手にはテヴェレ川が流れています。
聖堂から一番近い橋を渡ると、橋の途中でエミリオ橋、
通称「ポンテ・ロット(壊れ橋)」を見ることができます。
建設はなんと紀元前3世紀の中頃の共和制ローマ時代に、
ローマで初めて造られた石橋の廃墟です。
アーチの一つ分しか残ってなく、両側は接岸していないので、
橋の上に立つ事はできませんが、
それにしても、このあまりにも美しい壊れた状態を、
よくぞ残してくれたものだと思います。





ティヴェリーナ島
ティヴェリーナ島(画像はクリックで拡大します)

エミリオ橋のすぐ近くには、
中州島であるティヴェリーナ島があります。
ローマ王制最期の王が失脚し共和制になった時に、
王の蓄えだった穀物等をテヴェレ川に投げ込んで出来た、
という伝説の島です。
当時は島の中心に神殿が建ち、船形の堤防が築かれていたそうですが、
現在では神殿はなく、かろうじて島の形が、
当時の面影を偲ばせています。
共和制ローマへ変わる時ということなので、
紀元前500年…ということは2,500年前に造られた人工島ですね。





ユリウスの広場
ユリウスの広場(画像はクリックで拡大します)

以前の記事で触れた様に、
手狭になったフォロ・ロマーノから逸脱して、
皇帝が自分の名前をつけて造ったフォーリ・インペリアーリの中で、
ユリウス・カエサルが最初に造ったユリウスの公共広場。
フォロ・ロマーノの北西辺に隣接し、
画像だと奥の方がフォロ・ロマーノにあたります。
現在ではウェヌスの神殿の柱の一部しか残っていませんが、
かつてはカエサルとクレオパトラの彫像などもあったということで、
殆ど夢物語としか思えない前世紀の伝説が、
このローマではリアルな形として残っています。

イタリア旅行記 #46 真実の口広場周辺

2011-05-28 02:29:35 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回は真実の口広場界隈です。

真実の口
真実の口

前回アップしたマルタ騎士団の館のすぐ近くには、
真実の口で有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂があります。
滞在ホテルの目と鼻の先でもあったので立ち寄ってみました。
マンホールの蓋だったと言われる'生'真実の口は、
もし映画『ローマの休日』がなかったら、
それほど知られる事もなかっただろうと思われるくらい、
人の顔が彫られたただの円形の石でした。





ポルトゥヌス神殿
ポルトゥヌス神殿

画像手前側の道が蛇行している部分が真実の口広場。
画像左の手前の建物は、紀元前建設のポルトゥヌス神殿。
ローマの最初の記事でアップしたヘラクレス・ウィクトール神殿は、
この画像の左隣にあります。





真実の口広場界隈
真実の口広場界隈

ポルトゥヌス神殿の隣には、壊しかけの状態のまま、
明らかに現在も使われている様子の建物もあります。





真実の口広場界隈
真実の口広場界隈

また、この付近は帝政ローマの前の共和制ローマの、
さらにそのまた前の王制ローマ時代の遺跡も散在するエリアで、
道ばたには彫刻を施した石柱が、無造作にころがっていたりします。
画像はその付近にあった何らかの地下施設への入口。
すぐ近くを流れるテヴェレ川の氾濫によって、
特に王制時代の遺構は地下深くに眠っているそうで、
道沿いには、地下深く発掘途中の足場も多々みうけました。





真実の口広場界隈
真実の口広場界隈

真実の口の南側には、前回アップした
マルタ騎士団の館があるアヴェンティーノの丘がありますが、
その界隈も古色蒼然とした遺構三昧です。
以前の記事で、
ローマ市街を囲むアウレリアヌス城壁のことには触れましたが、
更に時代を遡ると王制ローマ時代のセルウィウス王によって造られた、
アウレリアヌス城壁よりも狭い範囲の城壁もあったそうです。
フォロ・ロマーノを中心とした、
古代ローマの中心街だけを網羅したようなエリアですが、
その城壁の地図を見ると、
この画像の位置がセルウィウスの城壁の位置、
(地図の赤線の左下、紫の数字で10の付近)にあたります。
だたし現在の城壁状のものはセルウィウスの城壁とは構造が違うので、
そのものではないと思いますが、
おそらく城壁のあった場所を再利用した城壁ではないでしょうか。





真実の口広場界隈
真実の口広場界隈

城壁の下には、
無数のラテン文字が刻まれた石柱や石碑などが転がっていますが、
植物の生長や大理石の表面に繁茂するコケ等から、
放置されている歳月が伺えます。





真実の口広場界隈
真実の口広場界隈

道を歩いていると、こんな光景にも出会いました。
煉瓦製のアーチは、その煉瓦の形から、
明らかに古代ローマ時代のものだと思いますが、
それにしてもこの建物はどうやって建てたのでしょうか。



真実の口広場界隈は、
ローマ最古の広場、フォルム・ボアリウムがあった場所でもあり、
軽く一回りするだけで、2千年級の廃墟や遺跡がごろごろしているので、
こういった方面に興味のある方は、ローマへ行ったら是非、
真実の口広場界隈に宿泊される事をお勧めします。

イタリア旅行記 #45 マルタ騎士団の館

2011-05-27 02:01:34 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はマルタ騎士団の館@ローマです。

マルタ騎士団とかに、特に興味があったわけではありませんが、
ホテルが近かったので、とりあえず見に行ってみました。

マルタ騎士団の館
マルタ騎士団の館(画像はクリックで拡大します)

マルタ騎士団は、
十字軍時代、エルサレムへの巡礼者を守る為に結成された、
テンプル騎士団に端を発する騎士修道会ということなので、
さしずめカトリックの舞踏派といったところでしょうか。
このマルタ騎士団が面白いのは、
ナポレオンの侵略によって国土を失っているにもかかわらず、
現在でもイタリアからは治外法権を認められ、
国連への参加も認められている点です。





マルタ騎士団の館
マルタ騎士団の館

扉の鍵穴が有名ということなので、早速覗いてみました。





マルタ騎士団の館
マルタ騎士団の館(画像はクリックで拡大します)

すると、鍵穴の向こうには植え込みの庭園があり、
鬱蒼と茂った木をほう水型に奇麗に形作って、
その先にはなんと!サン・ピエトロ大聖堂が見ます。
マルタ騎士団の館から大聖堂までは距離にして約3kmですが、
鍵穴のレンズ効果で、けっこう近くにあるように見えます。





マルタ騎士団の館
マルタ騎士団の館

機関銃をしょった迷彩服の軍人さんが警護しているので、
ちょっと落ち着かない気分の、不思議な空間です。
日本ではマルタ騎士団を国として認めていないようですが、
そこにはキリスト教の巨大な歴史をしょって生きているかそうでないか、
が大きく反映されているような気がします。





アヴェンティーノの丘の松
アヴェンティーノの丘の松(画像はクリックで拡大します)

マルタ騎士団の館はアヴェンティーノの丘と呼ばれる、
以前アップしたチルコ・マッシモ競技場の南に位置する丘の上にあります。
チルコ・マッシモに向かって丘を降りる途中、
奇麗に整備された松並木がありました。
松って、日本っぽい樹木だと思ってましたが、
ヴァチカン美術館の記事でも触れた様に、
ローマには沢山の松の木があります。
そういえばイタリアの作曲家レスピーギの代表作にも、
『ローマの松』というのがあったのを思い出しました。

イタリア旅行記 #44 インマコラータ・コンチェツィオーネ教会堂

2011-05-26 01:05:13 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。今回は、
インマコラータ・コンチェツィオーネ教会堂@ローマです。

建物に挟まれたロケーションに建つ教会堂で、
さらに訪れたのが夜だったため、外観は殆どわかりませんでした。
また堂内は完全撮影禁止だったので、絵はがきをアップします。
外観画像もなく撮影禁止の教会堂をアップしたのは、
ご覧のようにインパクトがあったからです。

インマコラータ・コンチェツィオーネ教会堂
インマコラータ・コンチェツィオーネ教会堂(画像はクリックで拡大します)

教会堂の地下室です。
無数の骨で飾られた部屋がいくつも並ぶ地下室。
この教会堂は骸骨寺の名前で知られています。





インマコラータ・コンチェツィオーネ教会堂
インマコラータ・コンチェツィオーネ教会堂(画像はクリックで拡大します)

この地下礼拝堂は、カプチーニ修道院の納骨堂で、
1528~1870年の間に、
4,000人以上のカプチーニ修道士の骨で造られたそうです。
カプチーニと言えばコーヒーのカプチーノ。
カプチーノの色が修道士の来ている修道着の色に似ている事から、
カプチーノとなったそうです。





インマコラータ・コンチェツィオーネ教会堂
インマコラータ・コンチェツィオーネ教会堂(画像はクリックで拡大します)

何人かはそのままの形で設置されていますが、
それ以外の修道士の骨は完全にバラされ、
装飾の一部として使われています。

カタコンベはヨーロッパ各地にあり、
また骸骨で装飾した教会堂もいくつもありますが、
実際に見たのは初めてだったのでビックリです。
ローマ・カトリックの「死と共に生きる思想、ここに極まれり」
といった感じででした。



ところで、この教会堂の名前ですが、インマコラータは、
キリストの母マリアも処女懐胎で生まれたことを意味する「無原罪」、
コンチェツィオーネは「原理」のことで、
つまり「無原罪の原理の教会堂」という事だと思います。
ウェブ上では「サンタ・マリア・デッラ・コンチェツィオーネ」とか、
「サンタ・マリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ」
などと表記されているのを見かけますが、
オフィシャル・サイトを見ると、
「インマコラータ・コンチェツィオーネ教会堂」と書かれています。

ちなみに「サンタ・マリア・デッラ・コンチェツィオーネ」だと、
「原理の聖母マリアの教会」となってしまって、
意味が通じないんではないかと思いましたが、
英語版のwikiを見ると
「サンタ・マリア・デッラ・コンチェツィオーネ・ディ・カプチーニ」
と書いてあるので、この「ディ・カプチーニ」が略されて、
「サンタ・マリア・デッラ・コンチェツィオーネ」となったのでしょうか。
またイタリア版wikiには、
「サンタ・マリア・インマコラータ」とあり、
いろいろな呼び方がある教会堂なんだと思いました。

イタリア旅行記 #43 サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂

2011-05-25 02:17:11 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂@ローマです。

サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂(画像はクリックで拡大します)

勝利の聖母の教会と名付けられた、
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂。
これまでアップしてきた聖堂には全てイタリア語で
「バシリカ(basilica)」と着きましたが、
この聖堂は「キエーザ(chiesa)」と着いているので、
聖堂ではなく、教会堂と表記してみました。





サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂(画像はクリックで拡大します)

外見は、前回アップしたソプラ・ミネルヴァ程地味ではありませんが、
それほどインパクトのある外見ではありません。
しかし堂内は、バロックど真ん中の、
グニャグニャゴツゴツのゴテゴテです。
昼間は外光が差し込んで、堂内がよく見える様ですが、
訪れたのが夜だったため、殆ど真っ暗です。
しかし、壁面の彫像はお布施を入れると、
数分の間、天光にみたてた電気が点灯するので、
よく見る事ができたのは幸いです。





サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂(画像はクリックで拡大します)

ベルニーニ作『テレジアの法悦』
ここにもまたベルニーニです。
天使の矢に射貫かれて苦痛と恍惚の混在した表情のテレサが、
当時、不謹慎だと物議をかもしたそうです。





サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂(画像はクリックで拡大します)

現代から見ると不謹慎かどうかはわかりませんが、
首を後ろに落とした、半開きの口元と目元の表情は、
確かに「法悦」に至った表情だと思います。
この表情を見て思い出したのは、
ラ・スペコラ博物館の『解剖されたヴィーナス』です。





解剖されたヴィーナス@ラ・スペコラ博物館
解剖されたヴィーナス@ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

以前の記事では、表情がわかるショットをアップしませんでしたが、
これでおわかりになると思います。
首を後ろに落とし、半開きの口元と眼差し。
まさにテレジアと同じ表情ですが、
しかし解剖されたヴィーナスの眼差しは、
法悦ではなく、空虚かもしれませんね。





サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂(画像はクリックで拡大します)

『テレーザの法悦』反対側の壁面にある、
ドメニコ・グッディ作『ヨゼフの夢』
ヨゼフとはキリストの父親、というよりはマリアの旦那。
マリアの懐妊を処女懐胎と信じられず、
浮気をしたんではないかと悩む光景だそうです。

暗い堂内では、『テレーザの法悦』と同じ様な印象でしたが、
こうして画像で改めて見ると、
確かに表情の造り込みが甘かったり、体の動きが固かったりします。





サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂(画像はクリックで拡大します)

そして『聖ヨゼフの夢』に下に、
映画『天使と悪魔』で燃えてしまう、
首に傷跡にある像が横たわっています。





サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂(画像はクリックで拡大します)

アルフォンソ・バルジィッコ作『聖シモン・ストックに肩衣を渡す聖母』
上記の他にも堂内には沢山の彫像があります。
こちらの彫像は、そのストーリーなど全然わかりませんが、
聖母の顔立ちがとても印象的だったので1枚。
画像では伝わりませんが、実際に見ると、
ベルニーニに負けず劣らず<ありがたい>印象を受けます。





サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂(画像はクリックで拡大します)

出入口の上には大きなパイプオルガンが設置されていました。
この過剰にゴテゴテした装飾はまさにバロック。



聖ペトロの墓を祀ったサン・ピエトロ大聖堂、
フラ・アンジェリコ等の聖人が眠るソプラ・ミネルヴァ聖堂、
そしてこのデッラ・ヴィットーリアと、
どの聖堂にも濃密な死の匂いが漂っていました。

イタリア旅行記 #42 サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂

2011-05-24 02:36:48 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂@ローマです。

これからしばらくは、一回聞いただけでは覚えられそうにない、
長~い名前の聖堂を幾つかアップしようと思いますが、
これがまたどれもこれも強者ぞろいです。

サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

以前の記事でアップしたパンテオンのすぐ近く、
というよりは隣接した場所にある、
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂。
ソプラとは「上の」と言う意味で、もともとその場所にあった、
ミネルヴァの神殿の上に建てた聖堂という意味だそうですが、
実は勘違いで、当時周辺に建っていた3つの神殿のうちの、
実際にはイシスの神殿の上に建てられていたそうです。(wiki)

ここにもまたオベリスクがありました。
このオベリスクは、エジプトオリジナルのオベリスクで、
この付近に倒壊していたものを、17世紀に復活させたものだそうです。
そしてオベリスクの台になっている、ちょっと変わった象の彫刻が、
またまたベルニーニ作です。
この人はナヴォーナ広場でもオベリスクを彫刻の上に載せていました。





サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

全く普通の建物としか思えない地味な外観とは裏腹に、
内部は、ゴシック様式のkなり大きく壮麗な聖堂です。
中央に写る柱の麓に建つ十字架を持った彫像は、
ミケランジェロ作『あがないの主イエス・キリスト』
この聖堂もまた、ルネサンスの巨人達の作品が目白押しですが、
その辺はウェブ上にも沢山アップされているので、
あまり見かけないアイテムを幾つかアップしようと思います。





サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

中央祭壇の、妙にリアルなステンドグラス。
ゴシック建築と言えばステンドグラス。
フランスの幾つものノートルダム大聖堂のそれに比べると、
イタリアのものは極めて牧歌的で小規模のものばかりですが、
かと言って趣がないわけではなく、
これはこれで大げさなフランスとは違う味わいがあると思います。





サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

聖母マリアを中心に、百合の花と聖人で出来たステンドグラス。





サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

ステンドグラスをもう一枚。
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂は、
ガリレオ裁判で、ガリレオが地動説を放棄させられた場所として、
その名を知られる聖堂でもあります。





サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

堂内にはいくつもの礼拝堂があります。
礼拝堂とは聖堂の中央祭壇以外の場所に作られた空間。
この空間はフィレンツェのサン・マルコ修道院の記事で触れた、
聖ドメニコの礼拝堂です。
8世紀初頭からあた聖堂をゴシック様式に改築したのが、
このドメニコ会の運営になってからの事で、
同じくサン・マルコ修道院の記事で触れた、
フラ・アンジェリコの墓も堂内にあります。





サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

パイプオルガンを配した礼拝堂。

ちなみに、wikiをはじめウェブ上ではこの聖堂に関して、
「サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会」というように、
「教会」と付けているのを良く見かけますが、
これまでの記事でアップして来た聖堂も含めて、
全てイタリア語で「バシリカ~(聖堂の名称)」なので、
この聖堂も聖堂でいいんじゃないかと思いますが、
あえて教会と付けているのには何か理由があるんでしょうか。

それにしても、ローマの街を歩くと、
何らかの知っている事にまつわる物件が多い事に驚かされます。

イタリア旅行記 #41 サン・ピエトロ大聖堂

2011-05-23 00:18:39 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサン・ピエトロ大聖堂@ヴァチカンです。

ヴァチカン市国の中心であり、世界に10億人の信徒を抱える、
カトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂。
サン・ピエトロはキリストの第一の使徒、聖ペトロのことで、
古代ローマで初めてキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が、
ペトロの墓と言われる場所を巡礼するために作ったの始まりです。
その後ルネサンス期に大改修が行なわれ、現在の形になりますが、
その建築主任にはラファエロ、ミケランジェロ、ベルニーニといった、
イタリア史上有数の芸術家が何人もかかわり、同時に、
多くの芸術家がその改修途中で命を落としている大聖堂でもあります。

サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

以前アップしたサンタンジェロ城から大聖堂までは、
秘密の地下道で繋がっているそうですが、それはともかく、
地上にも約800mの一直線の道が造られているので、
高さ120mのクーポラを持つ大聖堂は遠くからも見え、
劇的な光景を生み出しています。





サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

ラテン十字型に作られた巨大な聖堂内の、
ちょうど十字がクロスする位置にある、
ペトロのバルダッキーノ(天蓋)。
高さ30mもある巨大な天蓋は、バロックの巨匠、
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの手によるものです。
四隅に立つ黒くねじれ上がった柱は、
一度見たら忘れることのできない、
強烈なインパクトがあります。





サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

天蓋頂上部の四隅に作られた天使像。





サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

そして天蓋の真下には、聖ペトロの墓への入口があります。
入口は蛇行する階段を降りた半地下にあるのですが、
周囲を囲む柵等ではっきりと見えない状態に作られています。
この、見えそうで良く見えない造りは、
ペトロの墓をより神格化するための演出なのでしょうか。
カトリックでは第一の使徒ペトロを初代教皇として考えているようです。
地下の墓地はかなり広大なもののようで、機会があったら見てみたいと思います。





サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

地下墓地への入口を囲む柵には、
沢山のランプが設置されて、小さな灯火がユラユラと燃えています。





サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

天蓋のすぐ横には、聖ペトロの銅像があります。
右足をさするとご利益があることから、
永年にわたって人がさすって来た右足は、
指がなく、丸くなっています。





サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

天蓋を越えて更に奥へ進むと、中央祭壇が見えます。
堂内はありえない程の装飾感に溢れかえり、
絢爛豪華という言葉はこの堂内のためにある言葉かと思う程ですが、
絢爛なだけではなく、極めて重厚な荘厳さも併せ持つところが不思議です。
あらゆる究極にまつわる形容詞を並べても伝え尽くせない聖堂は、
地上に忽然と出現した異世界空間とも言えます。
しかし、
装飾の限りを尽くした建築費は免罪符によってまかなわれ、
いわゆる宗教改革の発端となった大聖堂でもあります。





サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

ベルニーニ作『カテドラ・ペトリ』
ペトロのバルダッキーノ同様、祭壇もベルニーニの作品です。
下部にはペトロの椅子、中央には精霊の鳩のステンドグラス、
その周りに、ともすれば地獄絵図の阿鼻叫喚的でもある、
無数の天使が彫り込まれています。





サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

全体で見ても、いくら近ずいて見ても、視覚の情報量が変わらない印象を受けるのは、
以前アップしたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂と同じです。

「ローマは私の為にある」と豪語した天才ベルニーニは、
以前の記事でも触れた様に、ローマ市内に沢山の彫刻を残していますが、
ここサン・ピエトロ大聖堂でもその才能はいかん無く発揮されているようです。





サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

聖堂内で特に人だかりが出来ているところにあるミケランジェロの『ピエタ』
若干23歳で制作したこの彫刻によって、
ミケランジェロは一躍時の人となったと言われています。





サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂

勿論サン・ピエトロ大聖堂は現役の教会堂として使われています。
マリアの無原罪の誕生日である12/8が近いせいか、
堂内では厳かに礼拝が執り行われていました。



教皇は大聖年と呼ばれる千年区切りの年に、
カトリック全体の反省をするそうです。
2000年には前教皇のパウロ2世による大反省が行なわれたそうですが、
それにしても千年に一度の反省…

この千年と言えば、カトリックが腐敗を極めて、
宗教改革があり、プロテスタントが生まれ、と
とてつもなく沢山の出来事があったんではないかと思いますが、
そんな長いタームで反省していたら、
これからの千年もまたやりたい放題になっちゃうんじゃないか、
と心配になります。

サン・ピエトロ大聖堂は、
カトリックの素晴らしさと傲慢さをそのまま形にしたような、
そんな大聖堂でした。

イタリア旅行記 #40 ヴァチカン美術館 4

2011-05-19 01:33:39 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はヴァチカン美術館@ローマの最終回です。

古代ギリシャの彫刻からミケランジェロまで見て来たヴァチカン美術館も、
そろそろ終わりです。
というか、まだまだあるのですが、とても見切れないので、
最期に絵画館をさらっと見て終わりにしようと思います。

ヴァチカン美術館
ヴァチカン美術館(画像はクリックで拡大します)

ヴァチカン宮殿はとても細長い建物で、
その両側に以前の記事でもアップした、
大燭台のギャラリーや地図のギャラリーなどの、
回廊を転用した細長い美術館が延々と続き、
片面見終わったところでラファエロの間、
そしてシスティーナ礼拝堂があるので、
ここまで見て来て、もうお腹いっぱい過ぎて、
残り半分の回廊美術館を見る力が残っていません。
なので、さらさらと見飛ばしてしまいます。

途中、
タイトルに『オベリスクの転送』と描かれた絵があったので、
なるほどこうやって立てたのか、とか思いながら1枚。





ヴァチカン美術館
ヴァチカン美術館(画像はクリックで拡大します)

聖母子のステンドグラス。
少々ヤンママっぽい印象も受ける顔立ちですが、
構図とか色とかが完璧な気がして1枚。





そして宮殿美術館が終わると、次は隣接する絵画館です。

ヴァチカン美術館・絵画館
ヴァチカン美術館・絵画館(画像はクリックで拡大します)

ジョット ステファニスキの三連祭壇画
『王座のキリストとペテロとパウロの殉職』
絵画館の前半は、祭壇画と呼ばれる、
本来、聖堂の祭壇に建てられる板絵のことです。
受胎告知を始め、聖書の物語を書き表した祭壇画が、
累々と並びます。





ヴァチカン美術館・絵画館
ヴァチカン美術館・絵画館(画像はクリックで拡大します)

メロッツォ・ダ・フォルリ『楽器を奏でる天使たち』
何枚かの組絵になっていて、それぞれ違う楽器を奏でています。
基本的にはなんらかの緊張感を強いる宗教絵画の中で、
唯一ほっこりした印象をうける絵でした。





ヴァチカン美術館・絵画館
ヴァチカン美術館・絵画館(画像はクリックで拡大します)

レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖ヒエロニムス』
カトリックの4大聖人の一人聖ヒエロニムスを描いた作品。
長く行方不明だったこの作品は、
靴屋の椅子の背もたれになっていたところを発見され修復後、
ローマ法王へと寄贈された、未完の傑作です。
それにしても、背もたれにするか~





ヴァチカン美術館・絵画館
ヴァチカン美術館・絵画館(画像はクリックで拡大します)

ラファエロ『キリストの変容』
「変容」は、使途を連れて山へ行き、
予言者達との語らいの時に白く発光した伝説。
なので、キリストの両側に一緒に浮いてるのが、
予言者のモーセとエリヤ。
しの真下でおののいているのが、
使途のペテロとヨハネとヤコブ、ということになります。





ヴァチカン美術館・絵画館
ヴァチカン美術館・絵画館(画像はクリックで拡大します)

ピエトロ・ダ・コルトーナ『ライオンとダヴィデ』
海外サイトを含めて検索しても一件しか見つからなかった、
おそらくこの作家にとってはそれほど知られていない作品なのでしょう。
妙に惹き込まれてしまったので1枚。
たぶんミケランジェロやラファエロの、
ドギツい色の洪水に食あたりをおこして、
七草がゆが食べたくなったんだと思います。

まだまだこれでもかとばかりに絵は延々と続くのですが、
もう限界なので出ることにしました。



ヴァチカン美術館で見た作品は、古代ギリシャやローマのものを除いて、
すべてキリストにまつわるものばかりです。
カトリックの総本山に付属する美術館だから当然ですが、
何百年もの間、数えきれない人たちが、
よくもこれだけ描き続けたモノだと思います。
しかし、宗教絵画は、謎解き的な要素もふんだんにあり、
見て奇麗で、読んで面白い絵だと思います。

印象派の登場以来、
絵はただ感じるものといった通念が幅を利かせる様になりましたが、
宗教絵画は感じるのはもとより、
読み解き、更に考えることも出来る絵だと思います。

イタリア旅行記 #39 ヴァチカン美術館 3

2011-05-18 01:21:16 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はヴァチカン美術館・システィーナ礼拝堂@ローマです。

前回アップしたラファエロの間を見終わると、
ヴァチカン美術館で最も有名なシスティーナ礼拝堂です。
さて、やっとシスティーナ礼拝堂だと思い、
まずは入口から映像を回して、と思って構えていたら、
なんと礼拝堂は撮影禁止です。
しかし、セキュリティーにいくら怒られても誰もが撮りまくりなので、
便乗してなにげにコンデジで撮影。

システィーナ礼拝堂・最後の審判
システィーナ礼拝堂・最後の審判(画像はクリックで拡大します)

礼拝堂の正面を飾るのが、ミケランジェロの傑作『最後の審判』です。
確かに風呂屋の絵画と言われただけあって、
裸、裸、裸のオンパレードです。
当初ミケランジェロはあまり気乗りがしなかったそうですが、
それでも圧倒的な説得力のある絵に仕上がっているのは、
やはり天才のなせる技かと思います。





システィーナ礼拝堂・最後の審判
システィーナ礼拝堂・最後の審判(画像はクリックで拡大します)

『最後の審判』のキリスト付近。
キリストの左の聖母マリアは別として、本人や周囲を囲む使徒たちは、
以前の記事で触れたように、
ベルヴェデーレのトルソに感銘を受けたミケランジェロらしく、
誰もが限りなく太マッチョです。
こんな天国、やだなぁ~





システィーナ礼拝堂・ペトロ
システィーナ礼拝堂・ペトロ

キリストから少し右に離れた位置で、大きな鍵を手にするのが、
イエスの第一の使徒、ペトロ。
前回の記事のヘリオドロスの間で触れた『ペトロの解放』のペトロであり、
またヴァチカンの中心でもあり、カトリック教会の中心でもある、
サン・ピエトロ大聖堂のピエトロもまたペトロのことで、
つまりカトリックで、キリストの次くらいに重要な聖人ですね。





システィーナ礼拝堂・ミケランジェロ
システィーナ礼拝堂・ミケランジェロ

キリストのすぐ右下には、生皮を剥がされて殉教した、
十二使徒の一人、バルトロマイが描かれていますが、
その手に持つ生皮はミケランジェロ本人と言われています。
ダ・ヴィンチ、ラファエロとともに、
ルネサンス三大巨人と言われるミケランジェロですが、
実は相当偏屈な人だったんだと思います。





システィーナ礼拝堂・創世記
システィーナ礼拝堂・創世記(画像はクリックで拡大します)

天井もミケランジェロ作『創世記』です。
20世紀の終わりに修復が施されて、鮮やかに蘇ったそうですが、
色のコントラストが強すぎて、少々グラフィックっぽい印象を受けます。





システィーナ礼拝堂・アダムの創造
システィーナ礼拝堂・アダムの創造(画像はクリックで拡大します)

中央に描かれているのが、単独の絵としても有名な『アダムの創造』
映画『E.T.』の有名なシーンの元ネタですね。





システィーナ礼拝堂
システィーナ礼拝堂(画像はクリックで拡大します)

正面の『最後の審判』と天井の『創世記』以外は、
フィレンツェの画家たちに依頼したもので、
その完成はミケランジェロの画よりも早い時期になります。
ギルランダイオの『ペテロの召命』他、
モーゼやキリストの生涯が描かれているそうです。

ところでこれらの壁画の間にある装飾的な柱も絵で描かれていて、
またその下のカーテン状の部分も、これまた絵で描かれています。
よく見ると、窓枠や窓の周辺の、
本来立体的な装飾が施されるべきと思われる部分も全て絵で描かれていて、
一種のだまし絵的な印象を受けます。
ミケランジェロも天井画の人体を、
絵から飛び出した様に見える工夫を施しているそうで、
画像で見ると、少々陳腐な印象をうけるかもしれませんが、
これはかなり画像を明るく処理しているせいで、
実際には礼拝堂内はほの暗く、
だまし絵がちゃんと立体的に見えるように計算されています。

イタリア旅行記 #38 ヴァチカン美術館 2

2011-05-17 01:46:20 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はヴァチカン美術館@ローマです。

前回アップした地図のギャラリーを抜けると、
『ソビエスキの間』→『無原罪の御宿りの間』→『ラファエロの間』と、
幾分小規模の部屋が続きます。
ソビエスキの間はポーランド王にまつわる絵画が展示されているそうですが、
ポーランドまで網羅している能力もなく、
既に地図のギャラリーまでで相当体力も使い果たしているので、
とりあえず飛ばして、
『無原罪の御宿りの間』から見学する事に。

ヴァチカン美術館・無原罪のマリア
ヴァチカン美術館・無原罪のマリア(画像はクリックで拡大します)

無原罪の御宿り。つまりマリアも処女懐胎で生まれたということですね。
キリストを神とするのはいいとして、
ただの人間と認められていたマリアも、
無原罪から生まれた神の子供だとする考え方には、
当然のことながら反対派も多く、
カトリックが正式に無原罪の御宿りを認定したのは、
実は1854年と、つい最近の事だそうです。
その認定を記念して作られたのがこの『無原罪の御宿りの間』





ヴァチカン美術館・無原罪のマリア
ヴァチカン美術館・無原罪のマリア(画像はクリックで拡大します)

地図のギャラリー同様、部屋の壁面はフレスコ画で埋め尽くされ、
天井は金を基調にした絢爛豪華な天井画、
そして中央に作られた祭壇も、
隅から隅まで細かな装飾で埋め尽くされています。
そこには、カトリック教会の無原罪の御宿りに対する、
執拗なまでの拘りを感じずにはいられません。





ヴァチカン美術館・無原罪のマリア
ヴァチカン美術館・無原罪のマリア(画像はクリックで拡大します)

祭壇の中段に等間隔にいくつも埋め込まれた直径5cm程のセラミック。
これらも一つとして同じモチーフのものはなく、
しかも「手抜き感」が感じられません。
部屋の隅から隅まで恐ろしい程の、
神の慈悲への感謝で埋め尽くされています。





そしてラファエロの間と呼ばれる4つの部屋へ進みます。
その名前の通り、イタリア・ルネサンスの大画家、
ラファエロとその弟子達によって書かれたフレスコ画が、
壁面を埋め尽くす部屋が続きます。

ヴァチカン美術館・十字架の出現
ヴァチカン美術館・十字架の出現(画像はクリックで拡大します)

最初はコンスタンティヌスの間。
『十字架の出現』とタイトルが付くこの壁画は、
これまでの記事で幾度となく触れて来た、
ローマ帝国で初めてキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が、
マクセンティウス帝を打ち破ったミルウィスの戦いで進軍中、
十字架が現れて勝利へ導いた、というエピソードです。
この戦いで、コンスタンティヌス帝はキリスト教へ改宗します。





ヴァチカン美術館・キリストの勝利
ヴァチカン美術館・キリストの勝利(画像はクリックで拡大します)

天井にはトマーゾ・ラウレティの『キリストの勝利』
という絵を中心に、これまたゴテゴテの天井画が描かれています。
十字架の前で壊れているのは異教の象徴だと思いますが、
ともすると荒廃した印象を受けるこの絵画を天井の中心に置いているあたり、
キリスト教の総本山らしくもあり、
またカトリック教会の持つ残酷性も現れた天井画だと思います。
この部屋はラファエロの死後作られたものだそうで、
フレスコ画はラファエロの弟子の手によるものだそうです。





ヴァチカン美術館・聖ペテロの解放
ヴァチカン美術館・聖ペテロの解放(画像はクリックで拡大します)

コンスタンティヌスの間の次はヘリオドロスの間。
アメリカン・コミックを彷彿とさせるタッチの、
ラファエロ作『聖ペテロの解放』が印象的です。





ヘリオドロスの間の次は署名の間へ進みます。

ヴァチカン美術館・アテネの学堂
ヴァチカン美術館・アテネの学堂(画像はクリックで拡大します)

有名な『アテネの学堂』って、ここにあったんですね。
この絵だけ単独で描かれたフレスコ画だと思ってましたが、
画像の様に周囲に様々なモチーフが描かれた中の一つです。
天井の円に囲まれた箇所の女性のモチーフは、
それぞれ神学、哲学、法律、詩を象徴しているそうです。





ヴァチカン美術館・アテネの学堂
ヴァチカン美術館・アテネの学堂(画像はクリックで拡大します)

『アテネの学堂』
中央のアーチの天井が、以前アップしたマクセンティウスのバシリカと、
同じ形状の装飾が施されているように見えます。





ヴァチカン美術館・アテネの学堂
ヴァチカン美術館・アテネの学堂

中央の二人は、
ダ・ヴィンチをモデルにしたプラトン(左)とアリストテレス。





ヴァチカン美術館・アテネの学堂
ヴァチカン美術館・アテネの学堂

テーブルに肘を付いて何か書いているのが、
ミケランジェロをモデルにした彫刻家ヘラクリトス。





ヴァチカン美術館・アテネの学堂
ヴァチカン美術館・アテネの学堂

絵の右下隅の拡大。
背中を向けて地球儀を持っているのが、
古代ローマの天文学者プトレマイオス。
右奥で黒いベレー帽を被っているのがラファエロ本人、
だそうです。





ヴァチカン美術館・ボルゴの火災
ヴァチカン美術館・ボルゴの火災(画像はクリックで拡大します)

ラファレロの間、最期はボルゴの火災の間です。
バチカンにほど近いボルゴで9世紀中頃に発生した大規模な火事を、
教皇レオ4世が十字を切って静めたという奇跡がテーマだそうです。
左寄りの塀に飛びつく裸の男性は、
当初もっと痩せた体型で描いたものの、
ミケランジェロに感化されてマッチョに変更したそうです。

イタリア旅行記 #37 ヴァチカン美術館 1

2011-05-16 12:29:43 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はヴァチカン美術館@ローマです。

ヴァチカン美術館
ヴァチカン美術館

ヴァチカン美術館は、
カトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂に隣接する、
ヴァチカン宮殿の大半と幾つかの別棟を使用した巨大な美術館。
古代美術からルネサンス、そして現代まで、
歴代教皇が収集した全時代の美術作品の大展示場です。





ヴァチカン美術館・ピーニャ
ヴァチカン美術館・ピーニャ(画像はクリックで拡大します)

ヴァチカン美術館のピーニャ(松)の中庭。
最初に(と言ってもここまでにも見るものはあるのですが)通るのが、
ピーニャの中庭と呼ばれる、松をモニュメントにした中庭。
巨大な松ぼっくりは、かつてパンテオン付近にあったものを
移築したものだそうです。
松といえばレスピーギの『ローマの松』を思い出します。
ローマを知らない時は、なんでローマの松なんてタイトルを?
と思いましたが、確かに市内には松が沢山あり、
ローマ市のシンボル的な樹木のようです。





ヴァチカン美術館・ポモドーロ
ヴァチカン美術館・ポモドーロ(画像はクリックで拡大します)

中庭の中央には、箱根彫刻の森美術館にもある、
アルナルド・ポモドーロの球体作品がドーンと展示されています。
ポモドーロはイタリアの現代美術作家なので、
やはりアピールしているのでしょうか。
球体に大小の亀裂が入ったイメージは、
当然環境破壊等のメッセージだと思いますが、
カトリックも地球環境を考えてます、
といった意思表示なのかもしれませんね。





ヴァチカン美術館・動物の間
ヴァチカン美術館・動物の間(画像はクリックで拡大します)

ピーニャの中庭からコースに沿って進むと、
怒濤の古代彫刻が並ぶピオ・クレメンティーノ美術館です。
最初は「動物の間」と題された、
夥しい数の動物関連の彫刻が並ぶ部屋です。
中には画像の様に空想の動物の彫刻もいくつもありました。





美術館・ラオコーン
ヴァチカン美術館・ラオコーン(画像はクリックで拡大します)

八角形の中庭に展示されたラオコーン像。
紀元前に制作されたとされるギリシャ神話のラオコーンと息子達の彫像。
発見された当時、ラオコーンの右手はなく、
公募で腕の修復を募集した結果、
天高く延ばした腕が採用されて、その通りに修復されたそうです。
しかしその後腕が発見され、実は曲がっていた事が判明。
再度修復して現在のオリジナルに近い形になったそうです。
美術館内には沢山のガイドツアーが来ていて、
日本人のガイドツアーに紛れ込んで回っていると、
いろいろと聞く事ができます。





ヴァチカン美術館・ベルヴェデーレのトルソ
ヴァチカン美術館・ベルヴェデーレのトルソ(画像はクリックで拡大します)

歴史の教科書にも登場するベルヴェデーレのトルソ。
これがオリジナルなんですね、と感動。
ミケランジェロが感銘を受けた太マッチョなボディは、
インパクト大です。





ヴァチカン美術館・円形の間
ヴァチカン美術館・円形の間(画像はクリックで拡大します)

明らかにパンテオンを意識した天井の造りの円形の間。
壁面には歴代の皇帝像や神話の神々が立ち並びます。
中央の金色の像はヘラクレス。やはりこん棒を持っています。





ヴァチカン美術館・聖ヘレナの石棺
ヴァチカン美術館・聖ヘレナの石棺(画像はクリックで拡大します)

ギリシャ十字の間の聖ヘレナの石棺。
聖ヘレナは、これまでの記事でも何度も触れたコンスタンティヌス帝の母。
コンスタンティヌス帝は、ローマの首都をコンスタンティノープルへ遷都し、
またキリスト教を公認した、現代ヨーロッパ社会の根幹を作った皇帝として、
歴代ローマ皇帝の中でも、特筆すべき皇帝です。
ちなみに背後に写る像は、その風貌から、
初代アウグトゥスのオクタヴィアヌスではないかと思いますが、
よく覚えていません。





ヴァチカン美術館・聖ヘレナの石棺
ヴァチカン美術館・聖ヘレナの石棺(画像はクリックで拡大します)

聖ヘレナの石棺のレリーフ。
高級素材だった紫斑岩で作られた石棺には、
騎馬に踏まれる植民地の人々の様子が彫られています。





ヴァチカン美術館・コンスタンティアの石棺
ヴァチカン美術館・コンスタンティアの石棺(画像はクリックで拡大します)

コンスタンティヌス帝の娘、コンスタンティアの石棺。
聖ヘレナの石棺とほぼ同じ位の大きさです。




ヴァチカン美術館・コンスタンティアの石棺
ヴァチカン美術館・コンスタンティアの石棺(画像はクリックで拡大します)

こちらのレリーフは娘の石棺ということもあってか、
葡萄を積む天使の他、羊等も彫られていて、
とてもほのぼのとした印象です。

ピ・クレメンティーノ美術館を見終わると、
次は細長い宮殿の外周を利用した細長いギャラリーへと続きます。





ヴァチカン美術館・アルテミスの立像
ヴァチカン美術館・アルテミスの立像(画像はクリックで拡大します)

最初は2~3世紀のローマの彫刻を集めた大燭台のギャラリー。
画像はゼウスの娘でアポロンの兄弟のアルテミスの像。
もともと純潔の女神だったアルテミスが、
ペルシャ方面へ伝わるに従って自然信仰と融合し、
おっぱいの沢山ある豊穣の女神の姿に変化していったそうです。





ヴァチカン美術館・大燭台のギャラリー
ヴァチカン美術館・大燭台のギャラリー

酔いどれオヤジ風の彫像は、
ローマ神話のワインの神、バックスでしょうか。





ヴァチカン美術館・地図のギャラリー
ヴァチカン美術館・地図のギャラリー(画像はクリックで拡大します)

大燭台のギャラリーの次はタペストリーのギャラリーですが、
タペストリーというものに全く興味がないのですっ飛ばし、
その次の地図のギャラリーへ。
地図の間は16世紀に作られたイタリアの様々な地方を描いた、
何十枚にも及ぶ巨大な地図の展示コーナーです。
地図の精緻さにも驚かされますが、
それよりもこのギャラリーで目を引くのは天井です。





ヴァチカン美術館・地図のギャラリー
ヴァチカン美術館・地図のギャラリー(画像はクリックで拡大します)

地図のギャラリーの絢爛豪華極まりない天井。
その一部分を見ただけででも、
金色をベースに、レリーフ風の彫像と絵画、
その間を隙間無くびっしりと埋め尽くす装飾。
金閣寺や東照宮とかが足元にも及ばない、
あり得ない程のゴテゴテぶりです。

美術館などで絵画が展示される場合、壁はたいがい無機質で、
作品のウェイトが100パーセントですが、
ここは作品が7割、壁や部屋などが3割位の割合で、
作品と一体化している、いわばインスタレーション的な印象です。
そしてその最も顕著なのが、次回アップ予定のフレスコ画です。