大都会に残る時の止まった場所、
新宿ノーザンウエスト・シリーズです。
前回まで西新宿4丁目の歴史を見てきましたが、
これから現在の西新宿4丁目を見ていこうと思います。
最初にこの記事にこられた方は、
このページからNEXTで進んでご覧になる事をお進めします。
熊野神社から十二社通りを渡り西の方を見ると、
たいがい道は画像の様に下り坂になり、
その先が再び上り坂になっています。
十二社の池跡
Mapion:ポインターから西側をみた光景
この窪んだ付近が、かつて十二社の大池があったあたり。
池が小さかっただけに、周囲の高低差が急峻で、
窪地の様子がよくわかります。
坂道を下って、画像中央の交差点を右に曲がると、
明らかに民家とは違う造りの日本家屋が1軒建っています。
→Mapion
かつての割烹料亭の名残。
今はもう営業していないようですが、
かつて池の周りには、こういった料亭が軒を連ね、
賑わっていたんだと思います。
料亭跡の前を北へ進むとやがて行き止まりになり、
西方向を見ると、やはり急峻な上り坂になっています。
坂の中腹に茂みが見えたのでちょっと上ってみると、
こちらは旅館の様ですが、なんと現役です。
十二社 一直旅館
その造りからして、
明らかに大池の時代からあったと思われる一直旅館です。
現在ではファスト・インターナショナルという会社が経営しているようですが、
サイトを見ると、
「十二社と呼ばれていたかつての景勝地」や
「十二社池の畔に建つ料亭旅館」といったキャッチコピーと共に、
「(かつての花街の)歴史、今では一直旅館でしか味わうことができません。」
とか、
「今では池も埋め立てられましたが、かつての花街風情が残る旅館です。」
などと、
かなり花街の歴史を売りにしています。
イイですねぇ~!
十二社 旅館一直
かつては連れ込みとして使われていた時代もあったのかもしれませんが、
現在では素泊まりの旅行客や海外の泊まり客をターゲットにしているらしく、
玄関にはハングル語の表示もありました。
旅館一直を後にして再び坂を下り、
池跡周辺を散策すると、
今度は要塞のような民家があります。
→Mapion
十二社の池跡
この民家。一見解体の為の足場かとも思いますが、
少なくともここ6~7年はこの様子で佇んでいます。
ここを通るたびに、いつもちょっと驚かされます。
この付近はかつての十二社の2つの池のうち、
北寄りの小池があった付近ですが、
今では全く池の面影を見る事はできません。
しかし民家の目の前の道が西に向かって上り坂になり、
その先を見ると、
十二社 ホテル ニュー寿
石段の設置された、やはり急峻な坂道になっています。
この辺りが小池の畔だったんではないでしょうか。
階段坂の中腹には「ホテル ニュー寿」
十二社 ホテル ニュー寿
こちらは旅館一直ほど風情はありませんが、
目の前の階段坂の光景と相まって、
昭和の香りを伝えてくれる一角です。
一時期、閉店の張り紙が出されていた事がありましたが、
最近ここを通った時は、張り紙もなく、
また特に荒れた様子もなかったので、
再び営業を再開したのでしょうか。
約100軒の料亭に約300人の芸妓を抱えた、
大花街だった十二社の面影は、今は殆どありません。
それだけの規模にもかかわらず、
ウェブ上でも殆ど当時の写真を見つける事ができません。
かろうじて見つけたのが、
『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』
と
十二社の料亭で撮られた写真
くらいでしょうか。
『1960年代の東京~』は、写真の構図からして、
東から西方面を撮影したものかと思いますが、
今とはずいぶんと違う風情だったのだと思います。
◆ 消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ ◆
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★ ワンダーJAPAN ★
連載『新宿ノーザンウエスト~昭和と平成の交差点~』(vol.06~09)
vol.06 vol.07 vol.08 vol.09
新宿ノーザンウエスト・シリーズです。
前回まで西新宿4丁目の歴史を見てきましたが、
これから現在の西新宿4丁目を見ていこうと思います。
最初にこの記事にこられた方は、
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熊野神社から十二社通りを渡り西の方を見ると、
たいがい道は画像の様に下り坂になり、
その先が再び上り坂になっています。
十二社の池跡
Mapion:ポインターから西側をみた光景
この窪んだ付近が、かつて十二社の大池があったあたり。
池が小さかっただけに、周囲の高低差が急峻で、
窪地の様子がよくわかります。
坂道を下って、画像中央の交差点を右に曲がると、
明らかに民家とは違う造りの日本家屋が1軒建っています。
→Mapion
かつての割烹料亭の名残。
今はもう営業していないようですが、
かつて池の周りには、こういった料亭が軒を連ね、
賑わっていたんだと思います。
料亭跡の前を北へ進むとやがて行き止まりになり、
西方向を見ると、やはり急峻な上り坂になっています。
坂の中腹に茂みが見えたのでちょっと上ってみると、
こちらは旅館の様ですが、なんと現役です。
十二社 一直旅館
その造りからして、
明らかに大池の時代からあったと思われる一直旅館です。
現在ではファスト・インターナショナルという会社が経営しているようですが、
サイトを見ると、
「十二社と呼ばれていたかつての景勝地」や
「十二社池の畔に建つ料亭旅館」といったキャッチコピーと共に、
「(かつての花街の)歴史、今では一直旅館でしか味わうことができません。」
とか、
「今では池も埋め立てられましたが、かつての花街風情が残る旅館です。」
などと、
かなり花街の歴史を売りにしています。
イイですねぇ~!
十二社 旅館一直
かつては連れ込みとして使われていた時代もあったのかもしれませんが、
現在では素泊まりの旅行客や海外の泊まり客をターゲットにしているらしく、
玄関にはハングル語の表示もありました。
旅館一直を後にして再び坂を下り、
池跡周辺を散策すると、
今度は要塞のような民家があります。
→Mapion
十二社の池跡
この民家。一見解体の為の足場かとも思いますが、
少なくともここ6~7年はこの様子で佇んでいます。
ここを通るたびに、いつもちょっと驚かされます。
この付近はかつての十二社の2つの池のうち、
北寄りの小池があった付近ですが、
今では全く池の面影を見る事はできません。
しかし民家の目の前の道が西に向かって上り坂になり、
その先を見ると、
十二社 ホテル ニュー寿
石段の設置された、やはり急峻な坂道になっています。
この辺りが小池の畔だったんではないでしょうか。
階段坂の中腹には「ホテル ニュー寿」
十二社 ホテル ニュー寿
こちらは旅館一直ほど風情はありませんが、
目の前の階段坂の光景と相まって、
昭和の香りを伝えてくれる一角です。
一時期、閉店の張り紙が出されていた事がありましたが、
最近ここを通った時は、張り紙もなく、
また特に荒れた様子もなかったので、
再び営業を再開したのでしょうか。
約100軒の料亭に約300人の芸妓を抱えた、
大花街だった十二社の面影は、今は殆どありません。
それだけの規模にもかかわらず、
ウェブ上でも殆ど当時の写真を見つける事ができません。
かろうじて見つけたのが、
『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』
と
十二社の料亭で撮られた写真
くらいでしょうか。
『1960年代の東京~』は、写真の構図からして、
東から西方面を撮影したものかと思いますが、
今とはずいぶんと違う風情だったのだと思います。
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