◆ リクエスト特集 都営上目黒アパート ◆
この特集は、コメントを頂いた R.H.さんのリクエストによりアップしています。
昭和二十三年 (1948) に建設された、
都営高輪アパートとともに、戦後最初期の都営アパートの一つ
都営上目黒アパート。
団塊の世代といわれた、
現在の日本を作って来た人たちが育った公営アパート。
それはまさに個よりは団が重要視された時代を反映するように、
画一的で規格的な住宅だったんではないかと思います。
今年に入って、
戸山アパート、角筈アパートに限らず、
都内各所の古い都営アパートが閉鎖されるのを沢山目にしますが、
それは同時に団塊の世代が定年を迎えた年でもあります。
平成になって20年近くたち、
今、完全に昭和がなくなろうとしているのかもしれません。
団塊の世代とともに生まれ、
団塊の世代とともに昭和を見渡して来た上目黒アパートは、
団塊の世代の定年とともに、
その役目を終えました。
◆ 都営上目黒アパート ◆
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この特集は、コメントを頂いた R.H.さんのリクエストによりアップしています。
昭和二十三年 (1948) に建設された、
都営高輪アパートとともに、戦後最初期の都営アパートの一つ
都営上目黒アパート。
団塊の世代といわれた、
現在の日本を作って来た人たちが育った公営アパート。
それはまさに個よりは団が重要視された時代を反映するように、
画一的で規格的な住宅だったんではないかと思います。
今年に入って、
戸山アパート、角筈アパートに限らず、
都内各所の古い都営アパートが閉鎖されるのを沢山目にしますが、
それは同時に団塊の世代が定年を迎えた年でもあります。
平成になって20年近くたち、
今、完全に昭和がなくなろうとしているのかもしれません。
団塊の世代とともに生まれ、
団塊の世代とともに昭和を見渡して来た上目黒アパートは、
団塊の世代の定年とともに、
その役目を終えました。
◆ 都営上目黒アパート ◆
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5/3に行って来たのですが、勇気が無かったので敷地内には入りませんでした。おかげさまで、上目黒アパートの見たかった所を全部見る事ができました。公園もあったのですね。ここの雰囲気は、本当に戸山アパートそっくりです。
生家の戸山アパートが壊される前には、それ程気にしていなかったのですが、無くなってみて初めてその存在の大きさに気付きました。以来、戸山アパートの記事を探してはため息をついていました。今年の2月に上目黒アパートが偶然にテレビに映り驚きました。戸山アパートにそっくりだったのです。
今回の特集記事で、やっと生家にお別れができそうです。(団地熱は続きそうですが)重ねて御礼申し上げます。
今はどうかわかりませんが、
訪れた時は一番端の門が空いていたので、
そのまま中へ入ってみました。
個人的に訪れていたら、さすがに部屋の中までは見なかったと思いますが、
せっかくR.H.さんからリクエストして頂いたので、
部屋の中もいくつか見てみました。
しかし、どの部屋もきれいさっぱり片付けられていたので、
1枚だけ、トップにアップしました。
私にとっても戸山アパートの方がはるかに馴染み深いのですが、
生憎殆ど撮影していないのが残念です。
植物園と言われた戸山の方が、
上目黒よりはるかに緑が深かったと思います。
> 今回の特集記事で、やっと生家にお別れができそうです
「生家の思い出に別れを告げる」というのは、
容易なことではないと思いますが、
この拙い記事でそう思って頂けたのなら、
アップした甲斐もあったと思います。
現在36歳の私ですが、父親が国鉄社員だったので中学1年まで(1978~1986頃までかな?)上の住所の国鉄アパートに住んでいました。
現在は福岡に住んでいます。
引越ししてからずーっと行くこともなく、でも楽しい子供時代を過ごした思い出のアパートなんです。
何年も前に取り壊しを聞いてあぁ行っておけばよかったなって後悔しました。
実は外観や部屋の間取りなど母と思い出して話をしたりしますが、もう記憶にはあまりはっきり残っていないのです。
でも、どうしても古くなったあの建物を一目見たかったと思います。
このお写真がもしそのアパートのものだったらとても嬉しいです。
アパートは全部で5棟くらい?
裏手には暗闇坂、それを上りきったら代官山。
その境に外人マンション。
1棟目の前には公園があり、大きな桜の木もあって。
そんなくらいの記憶しかないのですが。。。
この7日分の日記で拝見しても結局わかりませんでした(涙)
ちょっと確認したかったのでいきなりですがコメントを残させていただきました。
お邪魔しました。
残念ながらここは旧国鉄アパートではなくて、
都営住宅の上目黒アパートです。
上目黒の記事を全部ご覧になって頂いたようですが、
国鉄アパートに関しては、この次の記事で取り上げていました。
※この記事の最後、コメント欄の始まる前にの右はじに、
「次の記事へ」というリンクがありますが、
そこをクリックして頂くと、国鉄アパートに触れた記事をご覧になれます。
国鉄アパートはこの上目黒アパートのすぐ東隣にあったようです。
現在はもう建物はありませんが、
特に新しい建物が建設されているわけでもなく、
現在でも木々が生い茂る空地の状態だと思います。
国鉄アパートにお住まいだったら、
上目黒アパートもご覧になっているのではないかと思います。
やはり、もしかしてちょっと違うかなと思う部分もあったので
説明をいただいて納得!でした。
そうですよね。よく考えたら「都営」という名前からして違いますよね^^;
母と一緒に改めて拝見しましたが、二人ともこの上目黒アパートの記憶はほとんどありませんでした(笑)
でも、キングホームズ(あ~!!そんな名前だった!!笑)や空撮写真を見て懐かしい話に改めて花が咲きました。
建物はもうないのですね。
残念ですが、いつか機会を作って新しい建物ができる前に見に行きたいです。
ありがとうございました^^
この記事にアップしていたのは都営アパートでしたが、
屋上の形から判断するとおそらく国鉄アパートも、
階段の踊り場の両側に2部屋ずつ玄関があるという、
都営アパートと同じ様な造りだったんではないかと思います。
国鉄アパートの跡地は鬱蒼と木々が茂って、
代官山という場所からは想像がつかない雰囲気を出していますが、
もしいらっしゃったら、
なにか思い出のものが見つかるといいですね。