父親が手術のために東京医科歯科大学病院へ入院し、
その流れでアップして来たお茶の水界隈。
父親は無事退院し、今ではお茶の水に通う事もなくなりましたが、
以前に訪れたお茶の水界隈のネタがまだあるので、
ついでにこの機会にアップしようと思います。
鉄道ファンの間では有名な万世橋駅跡が、
お茶の水と秋葉原の間、万世橋のたもとにあります。
1912年(明治45年)に中央線の始発駅として造られるものの、
7年後に東京駅が完成、その後秋葉原駅や神田駅が造られ、
その存在意義を失って、戦中に休止になった幻の駅。
現在でもホームは残り、
中央線の車窓から見る事ができます。
また神田川沿いには幾本かの側線が残り、
こちらはホーム下の煉瓦アーチの施設も、
まだ残っている様です。
万世橋の付近にはかつての煉瓦遺構が残っていて、
その壮麗な造りから、かつての駅の面影を感じる事が出来ます。
万世橋駅は休止後、交通博物館の一部となり、
近年まで静かに眠り続けましたが、
2006年、老朽化により交通博物館は閉館。
画像は閉館後の交通博物館ですが、
現在では既に解体されてしまいました。
手前に写るレールにはかつて、
最初のひかり号の先頭車輛が野外展示されていました。
小学生の頃に訪れた時のわくわくした記憶も、
いまは幻と消えてしまいました。
その流れでアップして来たお茶の水界隈。
父親は無事退院し、今ではお茶の水に通う事もなくなりましたが、
以前に訪れたお茶の水界隈のネタがまだあるので、
ついでにこの機会にアップしようと思います。
鉄道ファンの間では有名な万世橋駅跡が、
お茶の水と秋葉原の間、万世橋のたもとにあります。
1912年(明治45年)に中央線の始発駅として造られるものの、
7年後に東京駅が完成、その後秋葉原駅や神田駅が造られ、
その存在意義を失って、戦中に休止になった幻の駅。
現在でもホームは残り、
中央線の車窓から見る事ができます。
また神田川沿いには幾本かの側線が残り、
こちらはホーム下の煉瓦アーチの施設も、
まだ残っている様です。
万世橋の付近にはかつての煉瓦遺構が残っていて、
その壮麗な造りから、かつての駅の面影を感じる事が出来ます。
万世橋駅は休止後、交通博物館の一部となり、
近年まで静かに眠り続けましたが、
2006年、老朽化により交通博物館は閉館。
画像は閉館後の交通博物館ですが、
現在では既に解体されてしまいました。
手前に写るレールにはかつて、
最初のひかり号の先頭車輛が野外展示されていました。
小学生の頃に訪れた時のわくわくした記憶も、
いまは幻と消えてしまいました。
交通博物館、モダンだったので、戦後の建物だとばかり思っていました。建築は昭和11年で、正面に軍人の巨大銅像があったそうです。
現在、万世橋駅のホーム(地上部です!)には、カフェが営業しています。
交通博物館の前にあった軍人の像というのは、萬世橋駅があった時代から戦後まであった、広瀬武夫中佐と杉野孫七兵曹長の銅像のことでしょうか。
ホームのカフェは、料理メニューが少ないので、まだ行ってませんが、いつか行ってみたいと思っています!