黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

普賢岳・大野木場小学校

2009-05-06 02:52:01 | 廃墟その他
シリーズ「長崎ひとりさるく」で長崎の話題をアップして来たので、
ついでに他の長崎の話もアップしようと思います。

1991年 (平成3年) 9月15日。
雲仙普賢岳の噴火による火砕流で、
麓の一帯が甚大な被害を受けたニュースはまだ記憶に新しい出来事でした。
火砕流によって被災した大野木場小学校は、
今も当時の姿のまま保存されています。



隣に建つ大野木場砂防未来館からみた小学校。
校舎の表側は火砕流の裏側にあたるので、
裏側よりは被害がややすくないように見えます。





裏側へ回ってみます。
アルミサッシュの窓枠が完全に湾曲し、
配水管のビニールパイプには焼けこげの跡が残っています。
もっと高温なら校舎もろとも跡形もなく消え去ったのでしょうが、
この中途半端な残り具合が、逆に被災の時を想像させます。



校舎を取り囲む鉄パイプの柵も、
画像の様に相当湾曲しています。






それでも校舎の裏側は思いのほか綺麗です。
保存に際してクリーニングをしたのか、
それとも16年の歳月が、相当すすけていただろう壁面を、
人の記憶から被災が薄らぐ様に、
洗い流していったのでしょうか。



画像をご覧になってもお分かりの様に、
完全に廃墟として保存してあります。

広島の原爆ドームもそうですが、
人は被災地を残す時に、
廃墟とというキーワードを思い出すようですね。



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