おはようございまつだです
今朝の妄想
ゆうちゃんおはよう
夕子ちゃんおはよう
ゆうちゃん早起きなので、もっと一緒にまったりしたいわ
そうやなぁ~…夕子ちゃんと、こんな事が出来る私は世界一幸せもんやわ~
もっと一緒にまったりしたいなぁ~
私もよゆうちゃん
現実世界に戻りますが、こんな事で来たら世界一幸せもんなんでしょうね。
それをしてるのが、今の旦那さん…交代してくれないでしょうか?w
こんな事毎日でも楽しいんでしょうね。
羨ましい限りです。
トークチェンジ
今年最後の聖子ちゃん
↓クリック
渚のバルコニー
作詞:松本隆
作曲:呉田軽穂(松任谷由実)
編曲:松任谷正隆
1982年4月21日にCBS・ソニーから発売された9枚目のシングル。規格品番:07SH 1148(レコード)1989年には8cmCD、2004年には紙ジャケット仕様の完全生産限定盤12cmCDとして再び発売されている。
松本隆さんは、人気絶頂のアイドルに「馬鹿ね」という挑発的な歌詞を歌わせる事でファンから苦情が来るのではないかと不安があったという。ここを上手く歌えるかが作品の肝になると考えて収録に臨んだが、聖子ちゃんは自然に「ばーかねぇ」と間を伸ばす柔らかいニュアンスの歌い方をしたため、松本さんの意図した通りの結果になったと、後年のテレビ番組などで語っている。
松任谷由実さんの貴重なデモテープ
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歌詞中の「缶コーラ」の「ラ」は聖子の本来の声域よりも低かったことに加え、明るく開放感を出すためにテレビで歌う際にはキーを上げて歌っていた。
ザ・ヤングベストテン
1981年10月6日から1982年9月21日までテレビ東京で放送されていた音楽番組である。放送時間は毎週火曜 19:00 - 19:54
シブがき隊と少年隊が司会を務めていた音楽ランキング番組。
番組は主に各週のベストテン入りした曲を10曲発表し、その合間に司会陣ならびに彼らと同世代のゲストアイドル歌手によるミニコントなどを行っていた。アイドル歌謡曲だけでなく演歌もランキングの対象にしていたが、歌手本人の出演は無かった。また、当時全盛であったニューミュージック系の曲は基本的にランキングに入れられず、仮に入っても演歌同様に歌手本人の出演は無かった。
司会陣は、シブがき隊の方は番組開始前の時点で「シブがきトリオ」というグループ名とメンバーそれぞれのニックネームが雑誌の一般公募で決定していたが、少年隊には番組開始後にもまだ正式なグループ名が無かった。そのため、少年隊のグループ名が正式に決まるまでの暫定措置として、釣り合いを取るためにシブがき隊は「Aチーム」、少年隊は「Bチーム」として活動していた。
Aチームのメンバーは、当時テレビドラマ『2年B組仙八先生』に出演中だった薬丸裕英、本木雅弘、布川敏和。
Bチームのメンバーは、錦織一清、植草克秀、松原康行。
1982年2月、「シブがきトリオ」が「シブがき隊」に改名。
1982年3月、Bチームのメンバーに「ジャニーズ少年隊」というグループ名が正式に付く。
同3月、ジャニーズ少年隊の松原康行が降板し、東山紀之とメンバーチェンジした。
番組の終了後、替わって土曜19:00枠で引き続きシブがき隊を起用した後継番組『レッツGOアイドル』がスタートした。
懐かしい番組ですね。
演歌番組からアイドル番組までこなしていた聖子ちゃん
当時寝る間もないというのも納得ですね。
ほぼ毎日どこかのチャンネルに出演していた聖子ちゃん
今みたいにDVDあるいはブルーレイがあればもっとたくさん録画出来ていたのでしょうね。
もっと録画しておくべきだったと後悔しておりますw
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↓復活シン聖子命You Tubeチャンネル登録お願いねめげませんw
ぴよっ