おじいちゃんの病状は落ち着いてきた
結局 骨折の場所が悪いのと年齢により手術はできないとのこと
でもおじいちゃんが自分で痛くないような体位を取っているので
本人の痛さに対する負担は これ以上ないだろうとのことだ
ただ 三週間寝たきりだったので 嚥下機能がだいぶ衰えて
声を出したり 飲み込んだりする能力がかなり低下してしまった
今の主治医は これ以上の改善は望めないとの見解だ
そして 当院での医療行為は すでにすることがないので
施設に戻ることをお勧めすると言われてしまった
でも ADLつまり生活能力がずいぶんと低下してしまたったため
施設の方でも受け入れを躊躇している感じを受けて
私たちとしては どうしたものかと頭を悩ませてしまった
せっかちな私は こんなともあろうかと
近くの療養型の病院を探しはじめて いくつか見学していた
そして よさそうな病院にめぐり合うことができた
友人が介護スタッフとして働いている病院で
彼女に 入院についての相談をしたら いろいろ手配してくれて
先生同士の調査書のやり取りがうまくいけば
そしてベッドがうまく空きが出れば
入院できるかもしれないというところまで
話を進めることができた
ふむ 一安心・・・・
この三週間ですっかりやせてしまって
車椅子に座るのがやっとのようだけれど
つれあいや私が話しかければ なんとかわかるようで
特に 食べ物の話をすると どこかが覚醒するようで
表情が明るくなるのがわかる
私の頭の中でも 漠然とわかっていること
以前よりも おじいちゃんの道はうんと短くなったこと
でも 次の病院をさがしたりすることで そのことを避けている
なにより 私自身が95歳だしもうしかたないよねと
冷静(冷たく?)に受け止めてしまっているところがあった
寝たきりの人なんてたくさんしるし しかたないよねと
自分の中の何かを避けるように 自分自身を納得させていた
でも 昨日なぜだか 主治医の先生に改善の見込みはないと言われ
次の行き先は いわゆる寝たきりの方々の多い病院だろうと言われて
なんでだかわからないけれど 涙が止めどもなく出てきて
いつもなら用事をすませて どうせ寝ているからと病室をあとにするのだけれど
おじいちゃんのそばを去りがたく 結局半日おじいちゃんのそばでめそめそしていた
おじいちゃんとのいろんな場面が思い出されて それらの日々がいとしくなった
自分でもふしぎだった
もっと 割り切ってきるつもりだった
何でなんだよ・・・泣いている自分が不思議だった
いろんなことがあったけど やっぱり この人のこと好きなんだろうな
お義母さんやお義姉さんが亡くなって女手はわたしだけ・・・
そんなプレッシャーもあった
まったく!!!!!って思う事だってしばしばだった
(おじいちゃんとしても わたしに対して そう思ったろうけど^^;)
でもでも 20年ちかく一緒に暮らしたんだよね
考えたら私とおじいちゃんって 食べることでつながっていたんだよね
なんだかんだ思っても おじいちゃんの好きなお豆やお芋がいつも食卓に上がっていた
おじいちゃんは 喜んでたべてくれていたんだよね
ナニガタベタイノ と聞くと
昨日はウメボシと言って 今日はヨウカンと言った
両方とも おじいちゃんの大好きなものだね
昨日は 寝ちゃってお昼のゼリー状のご飯をほとんど食べなかったけれど
今日は 大豆ベースのプリンを一個食べることができた
看護婦さんについていてもらって 私がスプーンを運んだのだけれど
「やはり ご家族だといいんですねぇ」と言われてちょっと心が痛くなった
やっぱり 家に戻るのが一番のおじいちゃんの幸せなのかな
でも 私には自信がないな・・ゴメンネオジイチャン
車椅子でもうとうとが始まって 帰り際に顔を覗き込むように声をかけたら
かなりはっきりと アリガトウと言って こくっと頭を下げた
結局 骨折の場所が悪いのと年齢により手術はできないとのこと
でもおじいちゃんが自分で痛くないような体位を取っているので
本人の痛さに対する負担は これ以上ないだろうとのことだ
ただ 三週間寝たきりだったので 嚥下機能がだいぶ衰えて
声を出したり 飲み込んだりする能力がかなり低下してしまった
今の主治医は これ以上の改善は望めないとの見解だ
そして 当院での医療行為は すでにすることがないので
施設に戻ることをお勧めすると言われてしまった
でも ADLつまり生活能力がずいぶんと低下してしまたったため
施設の方でも受け入れを躊躇している感じを受けて
私たちとしては どうしたものかと頭を悩ませてしまった
せっかちな私は こんなともあろうかと
近くの療養型の病院を探しはじめて いくつか見学していた
そして よさそうな病院にめぐり合うことができた
友人が介護スタッフとして働いている病院で
彼女に 入院についての相談をしたら いろいろ手配してくれて
先生同士の調査書のやり取りがうまくいけば
そしてベッドがうまく空きが出れば
入院できるかもしれないというところまで
話を進めることができた
ふむ 一安心・・・・
この三週間ですっかりやせてしまって
車椅子に座るのがやっとのようだけれど
つれあいや私が話しかければ なんとかわかるようで
特に 食べ物の話をすると どこかが覚醒するようで
表情が明るくなるのがわかる
私の頭の中でも 漠然とわかっていること
以前よりも おじいちゃんの道はうんと短くなったこと
でも 次の病院をさがしたりすることで そのことを避けている
なにより 私自身が95歳だしもうしかたないよねと
冷静(冷たく?)に受け止めてしまっているところがあった
寝たきりの人なんてたくさんしるし しかたないよねと
自分の中の何かを避けるように 自分自身を納得させていた
でも 昨日なぜだか 主治医の先生に改善の見込みはないと言われ
次の行き先は いわゆる寝たきりの方々の多い病院だろうと言われて
なんでだかわからないけれど 涙が止めどもなく出てきて
いつもなら用事をすませて どうせ寝ているからと病室をあとにするのだけれど
おじいちゃんのそばを去りがたく 結局半日おじいちゃんのそばでめそめそしていた
おじいちゃんとのいろんな場面が思い出されて それらの日々がいとしくなった
自分でもふしぎだった
もっと 割り切ってきるつもりだった
何でなんだよ・・・泣いている自分が不思議だった
いろんなことがあったけど やっぱり この人のこと好きなんだろうな
お義母さんやお義姉さんが亡くなって女手はわたしだけ・・・
そんなプレッシャーもあった
まったく!!!!!って思う事だってしばしばだった
(おじいちゃんとしても わたしに対して そう思ったろうけど^^;)
でもでも 20年ちかく一緒に暮らしたんだよね
考えたら私とおじいちゃんって 食べることでつながっていたんだよね
なんだかんだ思っても おじいちゃんの好きなお豆やお芋がいつも食卓に上がっていた
おじいちゃんは 喜んでたべてくれていたんだよね
ナニガタベタイノ と聞くと
昨日はウメボシと言って 今日はヨウカンと言った
両方とも おじいちゃんの大好きなものだね
昨日は 寝ちゃってお昼のゼリー状のご飯をほとんど食べなかったけれど
今日は 大豆ベースのプリンを一個食べることができた
看護婦さんについていてもらって 私がスプーンを運んだのだけれど
「やはり ご家族だといいんですねぇ」と言われてちょっと心が痛くなった
やっぱり 家に戻るのが一番のおじいちゃんの幸せなのかな
でも 私には自信がないな・・ゴメンネオジイチャン
車椅子でもうとうとが始まって 帰り際に顔を覗き込むように声をかけたら
かなりはっきりと アリガトウと言って こくっと頭を下げた
私も貴ブログを拝読していまして
あぁ 似た感じ・・と思っていました
私たちだって道は短くなってるけど
親の代のその確実性よりははばがありますよね^^;
うちのおじいちゃんは 飲み込めなくても
食べたいという欲求は強く 自分でスプーンを持ちます
でも 気持ちだけで 飲み込みは半分なんですね・・・
かわいそうに・・・
ユーリエンクさん
お義父さまのことで いろいろな思いを感じられたんですね
どうしたって嫁や娘のたちばになれば
親の最期と向き合うのは避けられないですね
いかに寄り添えるか なかなかむずかしいけれど
たぶん いるだけ・・で十分なのかもしれないですね
私も実父が胃がんの手術をした直後に
こっそり病院の屋上に連れて行って 煙草をすわせてあげました^^;
ほっとした顔が 今でもわすれられません^^;
風の発熱から入院して
3か月ごとに転院を勧められ
でもいつも間際に体調を崩して
入院延長
結局1年同じような状態で
普通の病院におりました
途中、やはり嚥下機能が下がり
自分の唾液でも誤嚥するようになり
気管切開に
歯も胃も丈夫だった義父には辛いことだったと思います
それでも
一時期調子のいい時には
切開した穴を閉めるところまで行きました
ちょうどそのころ田舎のお菓子をいただいたのです
そうしたら、どうしても食べると
薄いお餅に包まれたあんこ玉のようなお菓子
今から考えると暴挙ですが
看護婦さんの目を盗んで
あんこだけ少し食べてもらいました
そうしたら誤嚥もせず
上手に食べて「おいしかった」と・・
それが口から食べた最後のものになりました
もし何かあったらと思うと怖くもありますが
その時は食べてもらえてよかったな、という
気持ちでいっぱいでした
今は、飲み込みも歩く、食事に時間が長くかかる。
いずれ肺炎を起こすかも?と気がかりな状況になってきている。
言葉も大半が消え、喋らなくなり、ますます口の機能は衰えるばかり。
梅干かあ!
今度、お昼時に行ける時に、持参してみるわ!
少しは刺激になって、食べてくれるかしら?
それとも、不味いと食べないか?
絵本も読ませてみようかしら?
食べることに障害が出てくると、確実に持ち時間は減っているようで、、、
私も、母の道がいよいよ短くなった?と実感する日々です。。。
それでも、寝たきりでもいいから、存在していて欲しいのよね。
それは、愛もあるけれど、その後の手続きの煩わしさからの逃げもあり、、、
まあ、子供のエゴだな~とトホホでもあり。。。