とにかく四月からレポートに追われている
もう15本も書いてきた
たかが1600字がけっこうむずかしい
やっつけ仕事みたいにやってみたりもする
返却されて読み返してみると
へぇ こんなこと書いていたのか!なんて思ったり
なんかピントがずれて指摘されていたりする
でも一昨日 知的障碍者の方々のグループホームの慰安旅行に同行して
くたくたに疲れて帰宅して 届いていた返却レポートを見てびっくり!!
なんと! 精神保健学のレポートが 同封の冊子に掲載されていた
評は・・今回の一席です・・とのこと!! やったぁ!!
毎回模範レポートとして冊子に誰かのレポートが掲載されていて
いったいどういう人が書いているんだろうと思っていた
自分が載るなんて思ってもみなかったので 本当にうれしかった
でも 上には上がいて
来年実習を一緒にすることになった 新しい友人は
この号に模範レポートとして二つも載っていたのだ
私よりも10歳くらい若い方だけれど
とっても落ち着いていて素敵な女性だ
彼女との実習体験が今から楽しみである
私の書いたレポートは 得意分野の老人問題だ^^;
発達心理学?みたいなのを取り入れたところが
きっと 変わった視点だったから目立ったんだと思う
私はオコチャマなので 見て見て~~~って言いたくなってしまう
読んでいただければ これさいわいです
以下「老年期における精神保健の意義について述べよ」のお題から
「より良い老年期を過ごすために」 という副題をつけて書いたレポートの転載です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1. 老年期の狭義の意味での精神保健
精神保健とは精神的な健康を維持することであり、狭義的には精神疾患の予防、発症後の治療・リハビリテーションを意味する。老年期の精神疾患には、血管性認知症とアルツハイマー病型認知症の二大認知症がある。知的機能低下や高次皮質機能障害などの症状を呈する。前者は血管の病変に対処することで予防できるが、後者は末期には日常生活が送れない程の見当識障害が出る。投薬による進行遅延以外に治療法はない。
2.老年期の広義の意味での精神保健
認知症以外の老年期の精神疾患として、老年期うつ病が挙げられる。老年期うつ病は身体症状や心気症状を主訴とすることが多く、うつ病と診断されにくい。また妄想症状や認知障害などを伴うため、認知症と誤認しやすい。また自殺者の9割が直前にうつ状態にあるという統計もあり、老年期の自殺防止のためにも、老年期うつ病の早期の発見と治療が必要だろう。
老年期うつ病は広義の意味での精神保健が保てないことが原因となって発症すると考えられる。広義の意味での精神保健とは身体的・精神的・社会的に良い状態であること、つまり心が安定した状態であることを指している。では、老年期のこの三つの状態が良い状態でないとはどういうことだろう。
①身体的・・筋力や視力など体力の低下や、エピソード記憶力(個人的な出来事についての記憶力)や流動性知能(新しい知識を吸収したり新しい環境に順応する知能)の低下により、生活の行動面で自信を失う。
②精神的・・配偶者や旧知の知人の病気や死、それに伴う別れなどから喪失感にさいなまれたりする。
③社会的・・離職や家庭環境の変化により、それまでの社会との関係性が崩れ、孤立感を持ったり、生きがいを失うなど、孤独を感じやすくなる。
このような様々な変化によって老年期の人は、「こんなはずじゃなかった」と、自分の存在意義を見失ったり、思い描いていた豊かな老後とは程遠い現実に絶望したりして、不安定な精神状態に陥っていく。過去の自分や在りたい自分と現実の自分との落差から生じる不安や戸惑いを解消できれば、よりよい精神保健の維持ができるのではないだろうか。
3.ライフサイクルから見た老年期の葛藤
私たちは「老人は成熟した人である」というイメージを持ちがちであるが、エリクソンの「人はライフサイクルごとに葛藤を持ち、生涯にわたってその葛藤を克服し自己実現を達成しようとする存在である」とする発達論を視点とするなら、老年期にいる人もまた、葛藤を持ちながら発達する存在と捉えられる。過去の自分との落差を葛藤と捉え、現在の自分を新たな自分の発見への一歩と自覚できたなら、自信喪失や不安感は解消し、新たな生きがいを見つけ出せるだろう。
老年期の精神保健をよりよいものとするには、本人の意識のあり方が第一であるが、周囲の手助けも必要である。理解ある家族との関わり・老人会への参加・ディサービスの利用など、多くの人と関わることで老年期の人は、孤立を避けその心を柔軟にし、穏やかな心持ちの中で自分と向き合えるだろう。
4.おわりに
私は在宅ヘルパーをしている。昔の話や病状の吐露など、ご利用者様との何気ない会話が、孤独を遠ざけ不安を和らげていると感じる。人は人との関わりの中で安心感を得るのだろう。精神保健学を学んで、このような関わりが老年期の精神保健を支えることだと理解できた。そして私を待っていてくださるご利用者様の笑顔を楽しみにしている私もまた、ご利用者様に支えられていると実感している。精神保健は様々なライフサイクルにある人のより良い関わりの中で保っていけるのだと学んだ。
もう15本も書いてきた
たかが1600字がけっこうむずかしい
やっつけ仕事みたいにやってみたりもする
返却されて読み返してみると
へぇ こんなこと書いていたのか!なんて思ったり
なんかピントがずれて指摘されていたりする
でも一昨日 知的障碍者の方々のグループホームの慰安旅行に同行して
くたくたに疲れて帰宅して 届いていた返却レポートを見てびっくり!!
なんと! 精神保健学のレポートが 同封の冊子に掲載されていた
評は・・今回の一席です・・とのこと!! やったぁ!!
毎回模範レポートとして冊子に誰かのレポートが掲載されていて
いったいどういう人が書いているんだろうと思っていた
自分が載るなんて思ってもみなかったので 本当にうれしかった
でも 上には上がいて
来年実習を一緒にすることになった 新しい友人は
この号に模範レポートとして二つも載っていたのだ
私よりも10歳くらい若い方だけれど
とっても落ち着いていて素敵な女性だ
彼女との実習体験が今から楽しみである
私の書いたレポートは 得意分野の老人問題だ^^;
発達心理学?みたいなのを取り入れたところが
きっと 変わった視点だったから目立ったんだと思う
私はオコチャマなので 見て見て~~~って言いたくなってしまう
読んでいただければ これさいわいです
以下「老年期における精神保健の意義について述べよ」のお題から
「より良い老年期を過ごすために」 という副題をつけて書いたレポートの転載です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1. 老年期の狭義の意味での精神保健
精神保健とは精神的な健康を維持することであり、狭義的には精神疾患の予防、発症後の治療・リハビリテーションを意味する。老年期の精神疾患には、血管性認知症とアルツハイマー病型認知症の二大認知症がある。知的機能低下や高次皮質機能障害などの症状を呈する。前者は血管の病変に対処することで予防できるが、後者は末期には日常生活が送れない程の見当識障害が出る。投薬による進行遅延以外に治療法はない。
2.老年期の広義の意味での精神保健
認知症以外の老年期の精神疾患として、老年期うつ病が挙げられる。老年期うつ病は身体症状や心気症状を主訴とすることが多く、うつ病と診断されにくい。また妄想症状や認知障害などを伴うため、認知症と誤認しやすい。また自殺者の9割が直前にうつ状態にあるという統計もあり、老年期の自殺防止のためにも、老年期うつ病の早期の発見と治療が必要だろう。
老年期うつ病は広義の意味での精神保健が保てないことが原因となって発症すると考えられる。広義の意味での精神保健とは身体的・精神的・社会的に良い状態であること、つまり心が安定した状態であることを指している。では、老年期のこの三つの状態が良い状態でないとはどういうことだろう。
①身体的・・筋力や視力など体力の低下や、エピソード記憶力(個人的な出来事についての記憶力)や流動性知能(新しい知識を吸収したり新しい環境に順応する知能)の低下により、生活の行動面で自信を失う。
②精神的・・配偶者や旧知の知人の病気や死、それに伴う別れなどから喪失感にさいなまれたりする。
③社会的・・離職や家庭環境の変化により、それまでの社会との関係性が崩れ、孤立感を持ったり、生きがいを失うなど、孤独を感じやすくなる。
このような様々な変化によって老年期の人は、「こんなはずじゃなかった」と、自分の存在意義を見失ったり、思い描いていた豊かな老後とは程遠い現実に絶望したりして、不安定な精神状態に陥っていく。過去の自分や在りたい自分と現実の自分との落差から生じる不安や戸惑いを解消できれば、よりよい精神保健の維持ができるのではないだろうか。
3.ライフサイクルから見た老年期の葛藤
私たちは「老人は成熟した人である」というイメージを持ちがちであるが、エリクソンの「人はライフサイクルごとに葛藤を持ち、生涯にわたってその葛藤を克服し自己実現を達成しようとする存在である」とする発達論を視点とするなら、老年期にいる人もまた、葛藤を持ちながら発達する存在と捉えられる。過去の自分との落差を葛藤と捉え、現在の自分を新たな自分の発見への一歩と自覚できたなら、自信喪失や不安感は解消し、新たな生きがいを見つけ出せるだろう。
老年期の精神保健をよりよいものとするには、本人の意識のあり方が第一であるが、周囲の手助けも必要である。理解ある家族との関わり・老人会への参加・ディサービスの利用など、多くの人と関わることで老年期の人は、孤立を避けその心を柔軟にし、穏やかな心持ちの中で自分と向き合えるだろう。
4.おわりに
私は在宅ヘルパーをしている。昔の話や病状の吐露など、ご利用者様との何気ない会話が、孤独を遠ざけ不安を和らげていると感じる。人は人との関わりの中で安心感を得るのだろう。精神保健学を学んで、このような関わりが老年期の精神保健を支えることだと理解できた。そして私を待っていてくださるご利用者様の笑顔を楽しみにしている私もまた、ご利用者様に支えられていると実感している。精神保健は様々なライフサイクルにある人のより良い関わりの中で保っていけるのだと学んだ。
冊子に載ったことはすごいです。
内容が簡潔で明瞭ですごいです。
お会いした時にお話を聞くのが
楽しみです。
そして納得。
肉体が衰え、日々死に近づくとしても、
心は何か新しいものに出会えるのでしょう。
それが生きてるっていうことなのかな?
楽しいような、実は、つらいような。
いろいろ考えさせられます。
楽しいひとときをありがとうございました
年末恒例になりましたね
足腰鍛えて(笑)来年もまた
元気に年末を迎えましょう
不惑とかいうじゃないですか
ところが 私ったらいくつになっても
青春時代のように 悩みや戸惑いばかりかかえ
思い描いていた大人にはほど遠いです
たぶん老人になってもこのままだと思う…
常にもがいている情けない自分を
エリクソンの発達論は肯定してくれてる感じがするんです