私が生まれたころ ビキニ環礁あたりで水爆実験が行われていた
まだ 広島や長崎のことが歴史ではなく
母の戦争体験を同時代的に追体験していた子供時代
年に一度 恐ろしい光景の映像が流れて
太平洋から雲に乗って死の灰がやってくると聞いて
目に見えないものに ずっと恐怖を感じてきた
知識のない(今だってあるとは言えないけど^^;)子供の私は
夜も寝られないくらい怖く感じていた日があったのを
今 思い出している
時は経て 娘を産んだ年
たぶん 主人が出張だったのか
一人で川越のうちでテレビを見ていた
牛がバタバタ倒れているチェルノブイリの映像が流れていた
少し前にあったスリーマイルの原発事故なんか
問題にならないくらいのすごいことが起きたと思った
全部対岸の火事だったけれど
今 すごく身近に原発という怪物が制御不能で
私たちの生活の前に立ちはだかっている
ゆたかな東京の暮らしを支えてくれているはずだったものが
今 牙をむいて私たちを脅かし続けている
運がいいのよね なんてたかをくくって生きてきた
いいことばかりじゃないって わかってるはずなのにね
私の存在なんてちっぽけで
大きな歴史のうねりの中で
もがいているだけだ
だから
やっぱり 目の前の事を
こつこつと 毎日のように
繰り返していくことしか
私にはできない
まだ 広島や長崎のことが歴史ではなく
母の戦争体験を同時代的に追体験していた子供時代
年に一度 恐ろしい光景の映像が流れて
太平洋から雲に乗って死の灰がやってくると聞いて
目に見えないものに ずっと恐怖を感じてきた
知識のない(今だってあるとは言えないけど^^;)子供の私は
夜も寝られないくらい怖く感じていた日があったのを
今 思い出している
時は経て 娘を産んだ年
たぶん 主人が出張だったのか
一人で川越のうちでテレビを見ていた
牛がバタバタ倒れているチェルノブイリの映像が流れていた
少し前にあったスリーマイルの原発事故なんか
問題にならないくらいのすごいことが起きたと思った
全部対岸の火事だったけれど
今 すごく身近に原発という怪物が制御不能で
私たちの生活の前に立ちはだかっている
ゆたかな東京の暮らしを支えてくれているはずだったものが
今 牙をむいて私たちを脅かし続けている
運がいいのよね なんてたかをくくって生きてきた
いいことばかりじゃないって わかってるはずなのにね
私の存在なんてちっぽけで
大きな歴史のうねりの中で
もがいているだけだ
だから
やっぱり 目の前の事を
こつこつと 毎日のように
繰り返していくことしか
私にはできない
まだ今のレベルなら、海外旅行の際の被爆を考えれば、そう危険な値ではないだろう。
全国民日本脱出なんて事態にならない限り、今の生活を続けることでしょう。
ご一緒に暮らしてまいりましょう♪
私の一番怖いもの 放射能におびえた一週間でした
必要以上におびえました・・お恥ずかしい限り・・
おっしゃる通り!
一緒に暮らしてまいりましょう♪
でもでも今は腹が決まりました。
この歳の私が普通の生活をして、今まで通り食事して、何年したら癌になるのか、検体実験にしてもいいかな・・とね。
何百年後かに、又このような惨事があった時の参考になれば、その時代を生きている人たちが動揺しないだろうから。
そんな事を考えていたら、私の生きている意味があるかな?って思えています。
ケセラセラで生きていくのが、やはり私には似合っているようです。
私もそのお爺様、好きになっちゃいました(笑)
明るく前向きなパワーが
何かから 私たちを救ってくれますよね!