よきサマリア人のたとえ

2010-11-20 10:23:54 | 日々思うこと
今大学で フランスのシャルトル大聖堂のステンドグラスの講義を受けている
ステンドグラスの製法技法 あるいはその制作年代などはイントロダクションであり
ステンドグラスの図像として なぜそのような図像が選ばれ
それらがどう解釈されていたかが講義のメインテーマである
そして そのような図像とは つまり聖書のビジュアル化である

はじめて ちゃんと?ヨハネの黙示録の聖書における位置づけを理解できた
(たぶん あまりにも大まかな私流の理解度でしかないけれど)

先週今週の講義で取り上げられたのは「よきサマリア人のたとえ」だった
キリスト教の教義の根幹である隣人愛を端的に表すたとえであるとのことだった

私は小学校の時からコウキョウヨウリという授業があって
聖書のお話を断片的に聞いていたから この話も当然知っていた
小さい時には単純に「困っている人を助けるのはいいこと」と理解したと思う
その理解に間違いはない

でも 今 このたとえ話が私のなかで大きく膨らんでいる

私が月に一回お手伝いをしている電話相談の相談員の座右の銘が
この「よきサマリア人のたとえ」であるのだ

たぶん小さい時にも そういう解説はいただいていたのだろうと思うのだけれど
私の頭では理解を超えていたことで 心にとどまっていなかったのだと思う
そういう解説・・・サマリア人とは 生活の地を失っていたユダヤ教の異教の民
つまり迫害 今でいえば差別を受けていた民族なのだった

キリストを私は神の子だと思っていない時点で 私は異教徒であるが
キリストが2000年前に生きていた人であったとは確信していて
その彼が このような説法を当時の識者にしていたということが
私が「キリスト教」に引き寄せられる一因であるかもしれないと思う

人が社会で生きていくうえで持ってしまった様々な虚飾を捨てたところに
本来の人と人とのつながりがあることを思い出させてくれる
生きていたキリストの素晴らしさは そこに光を当てたことだろう

そのような心を持っていれば 
神の国に行ける 永遠の命をいただけるというのは
方便であるように 私は感じる

いかに生きるか いかに納得のいく人生を過ごせるか
それをキリストは考えていた人なのだろうと思う

私は 倒れている隣人がだれであっても手を差し伸べられるだろうか
私は 周りに誰もいなければ 見て見ぬふりをするのではないだろうか

そのことが自分にとって不利か不利益かでなく
何も考えずに目の前の困っている人に手を差し伸べられること
ただ助けるために在る自分であること

そんな自分でありたいと思うけれど・・・・

弱いものを助けるという時の自己満足がぬぐえない私にとって
このたとえ話を いつも自分のいさめとして心にとどめておきたいと思うのである




『ルカによる福音書』第10章第26~37節  よきサマリア人のたとえ
  
ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った
「先生、わたしは何をすれば永遠の命を受け継げるのでしょうか」

イエスは彼に言った
「律法には何と書かれているか。あなたはそれをどう読んでいるのか」

彼は答えた
「あなたは、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、
思いを尽くして、あなたの神なる主を愛さなければならない
そして、隣人を自分自身のように愛さなければならない」

イエスは彼に言った
「あなたは正しく答えた。それを行ないなさい。そうすれば生きるだろう」

しかし彼は自分を正当化したいと思って イエスに答えた
「わたしの隣人とはだれですか」

イエスは答えた
「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗たちの手中に落ちた
彼らは彼の衣をはぎ、殴りつけ、半殺しにして去って行った
たまたまある祭司がその道を下って来た
彼を見ると、反対側を通って行ってしまった
同じように一人のレビ人も、その場所に来て、彼を見ると、反対側を通って行ってしまった
ところが、旅行していたあるサマリア人が、彼のところにやって来た
彼を見ると、哀れみに動かされ、彼に近づき
その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をしてやった
彼を自分の家畜に乗せて、宿屋に連れて行き、世話をした
次の日、出発するとき、2デナリオンを取り出してそこの主人に渡して、言った
『この人の世話をして欲しい。何でもこれ以外の出費があれば
わたしが戻って来たときに返金するから』
さて、あなたは、この三人のうちのだれが、
強盗たちの手中に落ちた人の隣人になったと思うか」

彼は言った
「その人にあわれみを示した者です」

するとイエスは彼に言った
「行って、同じようにしなさい」


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6 コメント

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難しいよねえ・・・ (hima)
2010-11-20 23:29:03
もし眼の前に倒れてる人が、凶悪犯だったりしたら、、、
私は絶対助けられない、無視するのが精一杯、
下手したら、ののしってしまいそうよ~~

「だって寿命ある人間なんだもん~~
永遠に生きるなんてそのほうが恐ろしいわ」

と、言い訳してみる。。。
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ですよね ()
2010-11-23 02:06:33
なかなか成人君主にはなりがたく…
まあ凡人は凡人なりに生きていきましょう
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Unknown (テクスケ)
2010-12-01 00:11:41
あわれみを示した相手があなたの隣人、とは。
隣人は隣にいる人じゃないんだ。
何度か読ませてもらいました。
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不思議な力 (ゆみ)
2010-12-03 03:40:55
テクスケさん
難しくない話なのに、難しいですよね。
隣人という言葉に魔法がかかっているみたい。
おっしゃるとおり、隣の人ではないのよね。
こんな綺麗事、なかなかあり得ない。
理想にして難題ですよね。

聖書のすごいところは、難しい言葉とかロジックでないことかなあ。
人の生き方の指針があるとして、
それを端的に、言い当てている感じがします。
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ふと思ったのですが、 (hima)
2010-12-07 23:53:54
キリストは神の子と言う考えなのですか?クリスチャンは。

でも、誰の子だとしても、キリストは人間であって神ではないのは確かよね?

だって神は見ているだけで、なーんもしやしない。
傷つけもしないが、助けもしない、それが神。

キリストは、助けてしまうから、、、やはり人間、神にはなれないだろう・・・
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Unknown ()
2010-12-08 06:51:18
父と子と聖霊のみなによって・・・ですものね
全能の神は わたしたちにイエスをおつかわしになったのでした
もうすぐ御降誕祭です

そう わからなくなる
イエスは 人の子であり神の子でもある

ターミネーターが科学の子でありながら
人の心を持ち合わせていく・・・のに似ているな
なんていったら ひんしゅくものですね ^^;

なんてたって わたしはキリスト教に包囲網を張られているんで^^; 爆


で 神はなにもしないのか・・・

ふむ 気がつかなかった・・・


PS 美術館でお会いできるのをたのしみにしていま~~す
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