土門拳の本を読むとは思わなかったのであるが
日本橋三越に行って 写真展をめぐってみて
改めて土門の写真のすばらしさにうなって
出口で売っていた僕の美学というエッセイを求めたのだった
様々な写真集によせた本人の文章が集められた本である
写真のように骨太の文章にすっかりほれ込んでしまった
飾り気のない実直なまっすぐな感じが心地いい
そして鋭い批判精神と人間愛と揺るがない思考が居座っている
そしてそれは写真や文章によって表された土門拳そのものなのだった
特に「ヒロシマ」に寄せた土門の思いに強く現れていると感じた
大好きな奈良についての本といえば やはり
亀井勝一郎の大和古寺風物誌だろう
当然昔にも読んだことがあるのだが その時少し違和感があったのは
寺々に寄せられた文章が書かれた時期が 戦争をまたいでいるからだろう
奈良の寺と天皇の系譜は切り離して考えられない
それに対する深い敬意の念がちりばめられている
橘三千代(光明皇后の母 藤原不比等の妻)をずいぶんと悪者に書いているのが
今の私にはおかしいくらいに感じてしまった
でも そういった独特の時代的な解釈はあるものの
美に対する思いや 自然や人の営みにないする真摯な思い
不可視なものに対する敬虔な思いなど
時代を超えた普遍的なものをしっかりと書き留めていて
それらが 私の奈良に対する思いとかなさる気がした
今はきらびやかに再建された薬師寺だが
私が娘の頃に浸っていたあの頃の風景を
この本の中で思い浮かべることができた
薬師寺から唐招提寺への道を 春に歩くのが大好きだった
そのことが書かれているのが本当にうれしかった
さて 小川洋子
彼女の小説は映画になった博士の愛した数式が有名だけれど
もっと不思議な感覚を描いた小説のほうに 彼女の持ち味が現れていると思う
海は短編集であるが そこに不思議な世界が潜んでいた
その中のバタフライ和文タイプ事務所は私の好きな小指の標本と同じにおいがした
これは 本当に品の良い官能小説だと思う
官能といってもエロチックな表現があるわけではないのだが
女性にしか感じることができないような微妙な感覚を
こういう形で表現してしまうのか・・・と感じ入ってしまうのである
単純な私は 本を読んでそのどこかに感動してしまうと
実生活の中でその本にあった感覚がよみがえってきてしまうことがある
今回は なんとヘルパーの病院同行で ある先生が
電子カルテに情報を打ち込む指先を見ていたら
その美しさに見入ってしまって 奇妙な気持ちになってしまった
すらっとした指はきれいな形の爪を備えていて
音もなくキーボードの上をやさしく流れるように
でも的確に画面に文字を紡ぎだしていく・・・
指だけがそれだけで生きている生き物のように見えてくる・・・
その先生は脳外科の先生で 手術が毎日の仕事のような方だ
このきれいな指が 薄いゴムの手袋をするにせよ
頭部を開き その中を探るように施術することを想像することは
その指に見とれている私には心地よい夢を見ているようだった
私って 変 ・・・ 爆
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