市谷駐屯地から防衛省になり立派な作りになって
内部を市谷台ツアーと称して見学できることは以前から知っていた
最近知り合った友人たちと すっかり三島談義に花が咲いて
一緒に 聖地(爆)に行ってみようという話になったのだった
市谷のこの地は江戸の時代から伊達政宗が要所としてこの地を賜ったり
明治になってからは 陸軍の本拠地となり
様々な戦争の大本営として 多くの建物が建てられていった
敗戦後 一時アメリカ軍の管轄下となり 大講堂は東京裁判の舞台となった
その後自衛隊が駐屯地として使用してきたわけだが
かように 軍事的な目的で使われてきたのは
都内で二番目に高い土地であることに由来するということを
今回のツアーで初めて知ることができた
また 三島の自決をした元の中心の建物は移築されて
市谷記念館として 今のさまざまな日本の歴史を語り継いでいる
とまぁ そんな歴史はともかくとして
私はなんとしても やはり三島の最期の地を確かめたいという思いが
ここを訪れたい最大の理由であったのだけれど・・・
きれいに整列させられた^^;ツアー参加者たちは
防衛省の様々な施設の説明を受けた後
移築された記念館の前に案内された
何回も映像や写真で見た でも三島のいないそのベランダを見上げた時
なんともいえない感慨?興奮? なんだろう
本当になんともいえない感情がこみ上げてきた
記念館の一階は大講堂になっていて異様なほどクーラーがきいていた
東京裁判の行われた様子を細かく案内の人が説明してくださった
その後 市谷台の歴史をつづったDVDを寒さに震えながら鑑賞した
あまりの寒さに 友人が「これって 霊気じゃないよね?」と
半ばマジな顔をして言ったけれど・・う~~ん 違うんじゃない?
でも 内部に詳しい人の話によれば夜にはなにやらうごめく影があるとかで・・・
講堂の一角に展示されている軍服や多くの遺留品を見学した後
いよいよ二階のバルコニーのある部屋に案内された
当時自衛隊員と楯の会の会員によるもみ合いのときにできた刀傷というのが
重厚な木製の扉にがっつりついていて その時の様子を伝えていた
バルコニーに出られるような扉はなく
おそらく背の低い窓から 三島はバルコニーに出て
あの檄文をたらし 乾いた声でむなしい演説をしたのだろう
天皇の来訪の際に使われたといわれる部屋をよけるように
三島の自決は行われたようだった・・・
その室内で 案内の女性に「写真でよく見るあの首のは・・」
と聞いたら こともなげに「そのあたりでございます」と
私たちの足元を指し示したのだった
思わず 飛びのいてしまったけれど・・・笑
なんとなく その部屋にまだいたかったけれど
時間厳守のツアーの流れに飲み込まれてあっという間に退室となった
その後 防衛省館内に案内され 売店でグッズを買った後 笑
国防が以下に大事かというビデオを拝見して
二時間のツアーは終わった
家に帰っても興奮冷めやらず
自決後一週間で発行されたアサヒグラフを取り出して
「この首の転がっているところに立ったのよ」と
家族に興奮して話したのだけれど
なんだか しらっとした顔をされてしまった 笑
その夜は 澁澤の三島由紀夫おぼえがきと読んで
独特な でも変に心地のよい異空間をさまよったのだった
内部を市谷台ツアーと称して見学できることは以前から知っていた
最近知り合った友人たちと すっかり三島談義に花が咲いて
一緒に 聖地(爆)に行ってみようという話になったのだった
市谷のこの地は江戸の時代から伊達政宗が要所としてこの地を賜ったり
明治になってからは 陸軍の本拠地となり
様々な戦争の大本営として 多くの建物が建てられていった
敗戦後 一時アメリカ軍の管轄下となり 大講堂は東京裁判の舞台となった
その後自衛隊が駐屯地として使用してきたわけだが
かように 軍事的な目的で使われてきたのは
都内で二番目に高い土地であることに由来するということを
今回のツアーで初めて知ることができた
また 三島の自決をした元の中心の建物は移築されて
市谷記念館として 今のさまざまな日本の歴史を語り継いでいる
とまぁ そんな歴史はともかくとして
私はなんとしても やはり三島の最期の地を確かめたいという思いが
ここを訪れたい最大の理由であったのだけれど・・・
きれいに整列させられた^^;ツアー参加者たちは
防衛省の様々な施設の説明を受けた後
移築された記念館の前に案内された
何回も映像や写真で見た でも三島のいないそのベランダを見上げた時
なんともいえない感慨?興奮? なんだろう
本当になんともいえない感情がこみ上げてきた
記念館の一階は大講堂になっていて異様なほどクーラーがきいていた
東京裁判の行われた様子を細かく案内の人が説明してくださった
その後 市谷台の歴史をつづったDVDを寒さに震えながら鑑賞した
あまりの寒さに 友人が「これって 霊気じゃないよね?」と
半ばマジな顔をして言ったけれど・・う~~ん 違うんじゃない?
でも 内部に詳しい人の話によれば夜にはなにやらうごめく影があるとかで・・・
講堂の一角に展示されている軍服や多くの遺留品を見学した後
いよいよ二階のバルコニーのある部屋に案内された
当時自衛隊員と楯の会の会員によるもみ合いのときにできた刀傷というのが
重厚な木製の扉にがっつりついていて その時の様子を伝えていた
バルコニーに出られるような扉はなく
おそらく背の低い窓から 三島はバルコニーに出て
あの檄文をたらし 乾いた声でむなしい演説をしたのだろう
天皇の来訪の際に使われたといわれる部屋をよけるように
三島の自決は行われたようだった・・・
その室内で 案内の女性に「写真でよく見るあの首のは・・」
と聞いたら こともなげに「そのあたりでございます」と
私たちの足元を指し示したのだった
思わず 飛びのいてしまったけれど・・・笑
なんとなく その部屋にまだいたかったけれど
時間厳守のツアーの流れに飲み込まれてあっという間に退室となった
その後 防衛省館内に案内され 売店でグッズを買った後 笑
国防が以下に大事かというビデオを拝見して
二時間のツアーは終わった
家に帰っても興奮冷めやらず
自決後一週間で発行されたアサヒグラフを取り出して
「この首の転がっているところに立ったのよ」と
家族に興奮して話したのだけれど
なんだか しらっとした顔をされてしまった 笑
その夜は 澁澤の三島由紀夫おぼえがきと読んで
独特な でも変に心地のよい異空間をさまよったのだった
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