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【神社】社殿が荘厳な“足長神社”と、かつて屋根を荻で葺いていたと伝わる“諏訪神社上社下十三所  荻宮社”@長野県諏訪市四賀

2022-04-19 | 神社・仏閣
前回の投稿の続き。今回は足長神社と諏訪神社上社下十三所 荻宮社の紹介です。
【足長神社】
足長神社へは、手長神社より南東へ2.5㌔ほど。ここも丘陵の斜面に鎮座しているので、参道の途中よりの参拝となります。

駐車場は、最寄りの足長丘公園に駐車場がありますので、ここに停めて参拝する事になります。
公共交通機関利用だと最寄りは、茅野駅か上諏訪駅より路線バスで白狐入口停留所より徒歩10分ほどになります。
(☞関連リンク)

足長丘公園入口近くに祀られている夫婦岩(その容姿から勝手に銘々させて頂きました。)

一の鳥居は旧甲州街道沿いより続く参道石段の途中にあります。

足長神社一の鳥居 (補修した継ぎの跡が良くわかります。)
足長丘公園より参拝した場合は、こちらから(県道424号線(諏訪茅野線)沿い)の参拝となります。

杉の木を利用した注連縄鳥居 なかなかいい雰囲気です。

重厚な造りの舞屋(神楽殿)(この裏手より下の道路へと回り込めます。)

足長神社 拝殿 
各所に施された彫刻が見事です。
鳳凰のレリーフ 拝殿は、天保十三年(1842)の建立と伝わります。
本殿 祭祀:足(脚)摩乳命(アシナヅチノミコト)別名:足長彦神
由緒:
『諏訪史跡要項』によれば、桑原地域一帯が1つの郷であった頃は足長・手長の両神を合祭していた。
のちに上桑原・下桑原に分れた時、各地域住民の鎮守産土神として足長神を上桑原、手長神を下桑原に分祭したとされる。
しかし、足長神社の鎮座する地名は足長山であり、また『諏訪資料叢書集録』・『神長本諏方上社物忌令之事下十三所名帳』の地名と思しき箇所に手長・足長がある事など、先に地名があった所へ記紀神話の脚摩乳・手摩乳を持ち込んだ可能性もあり、合祭・分祭については不明確である。
社記の由緒の項には、大同年間、諏 訪神社大祝有員(上社大祝の始祖)が当社を崇敬し、広大な社殿を建築して自らも近接地に居住したため、 その地を御曾儀平(みそぎだいら)と呼ぴ、有員の廟墓もあると記されている。
 例祭は、古くは十月二十七日、現在は十一月二十七日で、当日、参拝者にみかんを配る。
 当社の口頭伝承によれば、足長神は手長神を背負って諏訪湖で貝や魚をとったといい、また大きな長 いわらじを奉納すれば足長神が旅の安全を守ってくれるという。かつて人々は当社にわらじを奉納して 旅の安全を祈った。
 なお、江戸時代、地元の上桑原村では、諏訪上社の御柱祭に「高島藩家老騎馬行列」を奉納していた が、明治四年の廃藩後、同五年からは足長神社に奉納するようになり、今日に至っている。旧村社。(引用:手長神社WIKI・玄松子の記憶より)
現地案内板  
由緒にもある様に、地区が上下に分断される以前はかつて、ここへ手長・足長の両神を祀っていたそうで社殿の造り込みなどを見るとかなり荘厳な神社だったことを伺い知る事が出来ます。
現在は、無人社で社務所も無く御朱印は、諏訪市小和田の八剱神社で出来ます。
   ここで注意したいのは、足長神社のWIKIページやここを解説している多くのサイトの記述に「古くは荻葺きの屋根であったため荻宮と称された」と書かれているのですが、しかしこれは、あきらかな間違えだそうです。
荻宮は「諏訪神社上社の下十三所の荻宮社」のことで、足長神社とは別の神社で関係がないそうです。
何でも明治期に行われた足長神社の由緒編纂時に、鎮座地の地名(足長)と神名(足長大明神)を混同したのが真相らしいです。
 また、前述の手長神社の州羽神系図にもあるように、テナヅチ、アシナヅチとも元々この地に坐していた神様ですので、由緒にもあるように、「先に地名があった所へ記紀神話の足摩乳・手摩乳を持ち込んだ可能性」もある事に留意が必要です。
詳しくは以下のリンクを参照ください。
【追記】
アシナヅチを祀る神社を調べていたら武蔵国一之宮鎮座「氷川神社」がヒットしました。なんで!?と、思って更に調べたところ…。
氷川神社摂社の「門客人神社」が実は、アシナヅチ・テナヅチを祀っているそうです。確かに、門客人神社は、元々アラハバキを祀っている話は有名でしたので、足繋がりの興味深いお話でした。

【諏訪大社上社下十三所 荻宮社】
続いて訪れたのが前述で登場した足長神社より北西へ170m行った所に鎮座する荻宮社です。何でも「菊の御紋」が扉についているという情報があって興味本位で訪れた次第です。
荻宮社 細身の黒木鳥居です。
社殿 何でもかつて近所の小学校にあってGHQの慣例により行き場がなくなった「奉安殿」 をここへ移築したものなんだそうです。
こちらが曰くありげな菊の御門 なぜここにあるのかは前述のとおり

お社の背後に石の祠。こちらが、従来よりあったお社の本殿です。

撮影角度が悪いのですが「荻で社殿の屋根を葺いた」 という故事に従い現在も屋根部分に情け程度ではありますが荻が葺かれていました。
諏訪大社上社の重要摂社とされる上・中・下十三所ずつの計三十九社の一社で、鎌倉時代末期の文献にその名が見られる古社なんだそうです。
※ 近くには、車を停めるスペースがありません。ご注意下さい。足長丘公園より歩くことをお勧めします。
【マップ】
(足長神社)
(荻宮社)


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