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金子みすゞのまなざし

2020-09-06 19:44:05 | 生活

この記事を読みました。

金子みすゞのまなざしの世紀

矢崎節夫さん:金子みすゞ記念館館長

 

丸ごと受け入れること

 

こだまでしょうか

 

「遊ぼう」っていうと

「遊ぼう」っていう。

 

「馬鹿」っていうと

「馬鹿」っていう。

 

「もう遊ばない」っていうと

「遊ばない」という。

 

そうして、あとで

さみしくなって、

 

「ごめんね」っていうと

「ごめんね」っていう。

 

こだまでしょうか、

いいえ、誰でも。

 

こだまとは、「ヤッホー」と言ったら「ヤッホー」と返ってくるように、

相手の存在を"丸ごとうけいれる"ことです。

子どもたちに「みんなが転んで痛い時、『痛いね』といわれるのと、

『痛くない』『我慢しなさい』といわれるのと、どちらの方がうれしい?」

と聞きます。全員が「『痛いね』といわれる方がうれしい」と答えます。

さらに「みんなのお父さん、お母さんは、どっちかな?」と聞くと、

多くの子どもたちが「『痛くない』『がまんしろ』って言う」と語るのです。

かって、私たちの周りにいてくれた大人たちは、こだましてくれる人たち

でした。転んで「痛い」と言った時、その痛さを丸ごと受け止めてくれ、

「痛いね」と返してくれました。

しかし、私たちは、いつしか自分のことで精いっぱいになり、

こだますることをしなくなりました。

本当に残念ですが、わが子さえ、"丸ごと受け入れる"ことが

難しい時代になってしまった。

「自分は自分」「他人は他人」と割り切って生きる時代に

なってしまった。

他者の存在が自分の心の中に存在しなくなったら、世知辛い世の中に

なるだけでなく、それは残酷なことではないでしょうか。

痛い時に「痛いね」、つらい時に「つらいね」とこだまし、

うなずくことが本当の優しさなのです。

相手を丸ごと受け入れ、こだましてあげることが「優しさ」なのです。

 

いてくれるだけでいい

 

大漁

 

朝焼小焼だ

大漁だ

大場鰮の 

大漁だ

浜はまつりのようだけど

海のなかでは

何万の

鰮のとむらい

するだろう

 

童謡は本来、子どもから高齢の人まで読むことができる「3世代の詩」です。

みすゞさんは「3世代の詩」を作った、最初で最後の詩人といって

いいでしょう。

「大漁」に出会うまで、僕はずっと「私と鰮」のまなざしでした。

僕が生きるためには、鰮は僕に食べられて当り前と思っていました。

それが完全に「鰮と私」のまなざしにひっくり返され、鰮の命は、

僕が生きるための命に変わってくれたと、心から感謝できたのです。

私たちを含め、地球上の全ての存在は、地球というお母さんから生れました。

地球のお母さんは、地球上に1つとして無用な存在はつくっていません。

地球上の全ての存在が、地球のお母さんの子どもとして共にいきているのです。

存在しているくれるだけで百点満点なのです。

にもかかわらず、人間だけが傲慢なことに、「これは役立つ」

「これは役にたたない」と自分中心に判断している。

だから、地球や自然を平気で傷つけることができるのです。

20世紀――私たち人間は「自分中心」「人間中心」で生きてきました。

このまなざいを変えられるかどうか。これが21世紀の勝負です。

だからこそ、みすゞさんは21世紀を前にしてよみがえったのです。

・・・

金子みすゞの作品は、英語、スペイン語、北京語など、

世界の13言語で翻訳されている。

 

私は金子みすゞの詩集を持っています

「丸ごと受け入れる」ことは、そんなに簡単ではないです。

そして一人ひとりが、みすゞさんの心を忘れないようにしたいと思います。

 

 

 

 


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