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京都散歩 ~南禅寺水路閣~

2016-03-09 | 旅行
南禅寺の方丈手前を南にちょっといくと、赤茶色のレンガでつくられたアーチ形の橋があります。これは「水路閣」と呼ばれる水道橋で、琵琶湖疏水の一部(厳密には疏水分線の一部)となっているものです。明治期の近代的な建造物ですが、ひっそりとした様は、南禅寺の景観に何の違和感もなく溶け込んでいます。

                        

琵琶湖疏水は、明治維新後の京都の復興を図り、産業振興を図るため計画された大事業でした。大津から京都の鴨川までの第1疎水の建設は、1885年(明治18年)に着工され1890年(明治23年)に完成をみています。
この間、水路閣は、南禅寺など東山の景観との調和を図るよう設計され、1888年(明治21年)に完成しています。

            

            

京都市上下水道局の「水路閣管理計画」(平成24年3月)には、「水路閣は,建設後120年以上を経過した現役の導水施設であるとともに,南禅寺境内の自然や建物となじんで素晴らしい景観を形成している。」と記されています。
つまり、今も京都市の水道の水源となっているというわけです。            

            

            

ところで水路閣という名称については、この「水路閣管理計画」によれば、次のような経緯があったことが記述されています。

『建設当時,疏水分線は主にかんがい用水や防火用水に利用されており,その水を渡す水路閣は単に「桟橋」と呼ばれていたが(琵琶湖疏水の設計者,田辺朔郎が残した完成図にも「南禅寺桟橋」記されている。),その堂々たる姿から「水路閣」と呼ばれるようになったと伝えられている(「琵琶湖疏水の100年〈叙述編〉」より)。』

            

            

            

            

確かに、長さ93㍍、高さ9㍍ 幅4㍍で、堂々たる感じがする橋です。
今も水が流れる様子は坂を上って導水路部分にいくとみることができます。
        
            

            

                    

            
            

ちなみに、琵琶湖疏水(第1疎水)は、インクラインや疏水分線の水路閣を含め、1996年(平成8年)に国の「史跡」として指定されています。

その解説(文化庁:国指定文化財等データベース)には、「琵琶湖疎水の開削工事は、西欧の近代的土木技術を学んだ日本人技術者の手になる初期の大規模土木工事であり、明治中期における日本の土木技術水準の到達点を示す土木史上画期的な事業であった。」とされ、さらに「京都の近代都市としての発展をもたらした点で、大きな意味をもつものであった。」とされています。

            

南禅寺の境内にはこうした我が国発展のドラマがあったのですね。そうなんですが、ここでも私はほとんどじっとしておりました。仕方ありませぬ。

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