2015年5月イギリス王室
世界が注目するロイヤルファミリーイギリスでシャーロット王女が
誕生して祝福ムードに包まれた・・気になっていたので
共に喜ばせて頂きました・・日本の皇室とも親しい間柄
記憶に新しいニュースですが・・
その歴史には数々の血塗られたエピソード・・が・・
中でも16世紀には・・王女を生んだ為に斬首刑となった
悲劇の王妃がいた・・と・・
その王妃の名は アン・ブーリン・・
官職にあったブーリン家の次女として1507年頃に誕生した
幼い頃から才気煥発な少女・・やがて治世していたヘンリー8世の妹が
フランス王に嫁ぎその侍女としてフランスへ・・
当時 ヨーロッパの弱小国家だった英国と違い
フランスはエレガンスを秘めた華麗な宮廷文化を誇っていた・・
アンはそこでフランス風の感性・マナー・話術を身につけ・・
1522年に帰国したアンはヘンリー8世の王妃キャサリンの侍女として
英国宮廷にデビュー・・フランスで得た知識・スレンダーな容姿のアンは
一躍宮廷で注目の的・・そのアンに”恋の矢を射ぬかれた”のは
他でもないヘンリー8世・・愛人となるよう迫られるが
アンは「私は純潔を夫に捧げます」と拒否した・・
ヘンリーの恋の炎は燃え盛り・・ヘンリーもキャサリン妃と離婚する為
ローマ・カトリック教会と絶縁・・そして6月1日に王妃に・・
しかし9月7日産んだのは女の子{エリザベス)と名ずけられる・・
その後1536年1月アンは男の子を流産・・
ヘンリーは嘆き「私はそなたを王妃にしたなのに息子を殺した」・・
愛は怒りと増悪へと変わり反逆罪と姦通罪の濡れ衣きせられ
1536年5月19日アンは斬首刑に・・
その運命を静かに受け入れたと伝えられている・・
アンが娘に残した言葉「貴方が祈る時 私の事を思い出して」・・と
その胸中は如何ばかりだった事でしょう!・・
処刑から22年後 その娘はエリザベス1世となって君臨
そして強大な大英帝國へと導いて行くのです・・
女王の指にはめられたロケット付きの指輪には母と自分の
の肖像画が忍ばせてあったと今なお語り継がれているそうです・・
・・・国のあり方まで変えたアン・ブーリンに・・
・・・・・・思いよせて・・静かな時は流れる・・・・
・・・・・・・・
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世界が注目するロイヤルファミリーイギリスでシャーロット王女が
誕生して祝福ムードに包まれた・・気になっていたので
共に喜ばせて頂きました・・日本の皇室とも親しい間柄
記憶に新しいニュースですが・・
その歴史には数々の血塗られたエピソード・・が・・
中でも16世紀には・・王女を生んだ為に斬首刑となった
悲劇の王妃がいた・・と・・
その王妃の名は アン・ブーリン・・
官職にあったブーリン家の次女として1507年頃に誕生した
幼い頃から才気煥発な少女・・やがて治世していたヘンリー8世の妹が
フランス王に嫁ぎその侍女としてフランスへ・・
当時 ヨーロッパの弱小国家だった英国と違い
フランスはエレガンスを秘めた華麗な宮廷文化を誇っていた・・
アンはそこでフランス風の感性・マナー・話術を身につけ・・
1522年に帰国したアンはヘンリー8世の王妃キャサリンの侍女として
英国宮廷にデビュー・・フランスで得た知識・スレンダーな容姿のアンは
一躍宮廷で注目の的・・そのアンに”恋の矢を射ぬかれた”のは
他でもないヘンリー8世・・愛人となるよう迫られるが
アンは「私は純潔を夫に捧げます」と拒否した・・
ヘンリーの恋の炎は燃え盛り・・ヘンリーもキャサリン妃と離婚する為
ローマ・カトリック教会と絶縁・・そして6月1日に王妃に・・
しかし9月7日産んだのは女の子{エリザベス)と名ずけられる・・
その後1536年1月アンは男の子を流産・・
ヘンリーは嘆き「私はそなたを王妃にしたなのに息子を殺した」・・
愛は怒りと増悪へと変わり反逆罪と姦通罪の濡れ衣きせられ
1536年5月19日アンは斬首刑に・・
その運命を静かに受け入れたと伝えられている・・
アンが娘に残した言葉「貴方が祈る時 私の事を思い出して」・・と
その胸中は如何ばかりだった事でしょう!・・
処刑から22年後 その娘はエリザベス1世となって君臨
そして強大な大英帝國へと導いて行くのです・・
女王の指にはめられたロケット付きの指輪には母と自分の
の肖像画が忍ばせてあったと今なお語り継がれているそうです・・
・・・国のあり方まで変えたアン・ブーリンに・・
・・・・・・思いよせて・・静かな時は流れる・・・・
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