世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

夕凪の街 桜の国

2005年08月16日 | Weblog
広島から尾道まで1時間半。
その間、「夕凪の街 桜の国」を読んだ。
100ページあまりの短い作品。
尾道に着く頃に読み終えたのだが、電車内で涙が止まらなかった。
「読後、まだ名前のついていない感情が あなたの心の深い所を突き刺します。」という帯のとおり、この作品から得た感情が私の体内を循環し、まだ消化できないでいる。東京に帰った後も何度も読み返してしまう。

昭和30年。
灼熱の光線が放たれた時から10年。
ヒロシマを舞台に、一人の女性の魂が大きく大きく揺れた。

淡い装丁のような淡々とした物語の流れとは裏腹に、
原爆の光線を受けて生き残った人たちの苦悩がリアルに描かれていた。
「生き残って良かった」ではなく「生き残ってしまった」という被爆者の苦悩について、私はこの作品を読むまで考えたことも無かった。

「わかっているのは”死ねばいい”と誰かに思われたということ
思われたのに生き延びているということ」

復興中のヒロシマで、母と二人、頑張って生きる皆実。
時々「あの日」の惨事を思い出し、生き延びた自分を責めている。
傷跡は身体だけでなく、心にまでついている。深く深く。

同僚の打越への思い…。
その思いは通じるが、強烈な最期が皆実を待ち受けている。

残酷なシーンは出てこないが故、ストーリーの残酷さが浮き彫りになっていた。

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8月12日④

2005年08月16日 | Weblog
昨年も行った広島駅ビル内にあるお好み焼き屋さん「よっちゃん」へ。
縁あって昨年と同じカウンター席に座る。
無口で優しそうなおじさんも変わりない。
少し高倉健に似ているんである。むふふ。
健さんは職人技でお好み焼きを焼いてくれる。私の目の前で。
ジュージュー、音とソースの焦げる香りに涎が出そう。

ふと隣に目を向けると…昨年と同じ時間帯だったからであろうか、
…隣の客も去年と同じ。眼鏡をかけた太めのおじさん。運命を感じた。
ついチラチラ見てしまう。

お好み焼きはボリュームがあり、中にうどんが入っている。
おたふくソースのまろやかさと、ふっくらした生地がまさに最高のハーモニーは絶妙。

会計の時、女性の店員さんに「私、昨年の今頃もここに来たんです。この味が忘れられなくてまた来てしまいました。」と言ってみた。

おじさんと店員さんは「なんとなく覚えてますよ」「毎度ありがと」と言ってくれた。
嬉しかった。「また来年来ます」と言い残し、あとにした。

19時19分広島駅発で尾道へ。

電車内で、購入した「凪の街 桜の国」を読み始める。
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8月12日③

2005年08月16日 | Weblog
広島城へ。こじんまりとした城であったが、上品さが漂う城だった。

8月12日②

2005年08月16日 | Weblog
11時20分。広島着。
あまり知られていないが、島谷ひとみは広島県出身。

雨は止んだどころか、ピーカン。
街の人がみんな「はだしのゲン」のような言葉を使っている。
「じゃけん」「~だのう」「~かも分からんのう」
海外旅行で異国語を聞くより、国内旅行で方言を聞いたときの方が一層孤独を感じるのは私だけだろうか。

荷物を駅のコインロッカーに預け、路面電車で原爆ドームへ向かう。
原爆ドームは、静かに佇んでいた。
大くの残酷なものを見たこの建物は、
今のこの平和な世をどのように思いながら見ているのだろうか。
毎回この場所を訪れる度に足がすくむ。震える。
原爆ドームの足元には瓦礫がそのままになっていて、ここだけ60年前にタイムスリップしているみたいだ。
建物をここまで破壊する原爆の威力を知る。

続いて資料館へ。
前半は原爆の科学的説明。
よくわからん…。
「原子」「分子」…難しい。

後半は、…思わず目を背けたくなる原爆の被害の様子。

丸焦げになった滋君のお弁当箱を見る。
60年前のあの日、彼の胃袋で消化されるべきだった豆ご飯。
あの熱線で御飯は炭のようになってしまった。
発見されたとき、滋君はお弁当箱を抱えるようにしていたらしい。
「滋君が、天国でお腹一杯食べていますように」
手を合わせる。

原爆資料館には沢山の書物が販売されている。「はだしのゲン」の岩波ブックレット版と、こうの史代の漫画「夕凪の街 桜の国」を買った。
「夕凪の街 桜の国」は、手塚治虫文化賞を受賞したと聞いていたので気になっていた。

原爆資料館にはピースボランティアとよばれる人がいる。
何やら説明してくれるらしい。
黄色のシャツを着用しているから目立つ。
出入り口にご婦人ボランティアがいたのでカメラのシャッターを頼んだ。

広島について原爆について教えてもらった。
広島が戦争を商売にしていることを危惧すると共に、
これからの世代に戦争を伝えることの大切さを懸命に語っていた。

すると他のご婦人登場。
彼女はご婦人ボランティアと待ち合わせをしていたのだろうか。

「遅うなってすまんのう。ああ、暑くてかなわんわ~」
帽子を取ったご婦人の頭を見て絶句。
髪が局部的に無いのである。
原爆による被害だろうか。
放射能による被害で私が一番精神的ダメージを受けるだろう事象は脱毛である。
女性には堪らないことだ。
資料館にあるどんな資料より、私は彼女の頭が一番ショックだった。


あの60年前の出来事は、今もなお続いている。
栃木に生まれ、現在東京に住み、親戚や知り合いにあの惨状を知る人がいない私は、
そのことについて意識していなかった。
テレビで原爆の後遺症に苦しめられている人を見ても、どこか他人事であった。
しかし、実際に被害人を目の前にすると、痛みがリアルに伝わってくる。
そして、戦争の意味、原爆の落とされた理由がわからなくなってしまう。

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8月12日①

2005年08月16日 | Weblog
やはり私は雨女だ。
楽しみにしている行事には雨がもれなく付いてくる。
グリコのハズレのように。

5時、起床したらシトシト変な音が聞こえる。…雨だ。
新幹線で新横浜を出る頃には止んだが。

新幹線乗車は二度目の吉熊、大興奮。

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ただいま。

2005年08月16日 | Weblog
無事、帰還しました。

出発…東京は雨。
帰り…東京は雨。
さすが、雨女。

お土産話はのちほど。
…旅行バッグをまだ開けていないので…。
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