オタク生活二日目。
はだけたバスローブにボサボサの髪、すっぴん。
目の前には、ぷっかぷっか吸い続けた痕跡が灰皿の上で死体のように折り重なっている。
「朋ちゃん…」
呟く。
オタク生活二日目のテーマは華原朋美について。
彼女に関しての一人ブレーンストーミングの結果、以下のことが判明した。
やっぱり私は彼女が好きだ。
大好きである。
四年前のクリスマスの販売応援で錦糸町店に行き、販売業務終了後、錦糸町にある彼女の実家の前までタクシーで行ってしまうほど…好きだ。
鮮烈なデビューは1995年。
恋人は公私共に面倒を見てくれる名プロデューサー。
シンデレラストーリーという揺り篭の中で、彼女は栄光というおしゃぶりあてがわれていた。
1997年、櫻の季節。
真っ先に思い浮かぶプロモーションビデオは「Hate tell a lie」
「何から何まであなたが全て
私をどうにか輝かせるため
苦しんだり悩んだりして頑張ってる」
よく考えてみると凄い歌詞だ。
私はパートナーが稼いできたお金でスカートや化粧品を買うという行為が出来ない人間だ。
相手に負荷をかけるということは、自分が何かの形で相当のものを返さなくてはならない、また「貰う=債務が発生する」というふうにしか考えられない。
今の私の労働は、評価と賃金という二つの要素が欠かせない。
スカート一枚の価格を労働における賃金に換算した場合、どれぐらいのものを返すべきか?
そう考える時間も思考力ももったいない気がする。
また、私の返すものの質量が足りなくて、相手に悪く思われたり罵られたりしたら、私のプライドはズタズタになるだろう。考えるだけで鬱になる。
大抵、女性の場合は家事労働という形でお返しをするのが相場であり、それでバランスを保っている場合が多い。
嫌いな家事労働を強制されるならば、自分の力で稼いで好きなように気侭に生きたいと幼い頃から思っている。
独り暮らしでも家事労働は当然付きまとうが、その頻度や程度は自分の家事労働意識でいくらでも決められる。
他人にとやかく言われない自由な領域。
埃で死ぬ人はいないし。
やっぱり一人は楽である。
殿方に守られて育てられる、そういう人生を望んだことが無い…そう言ったら嘘になる。
「Hate tell a lie」がカネボウのCMソングに抜擢されて世間に流れていた頃の私にとって、まさに朋ちゃんの生き方は羨望に値するものであった。
今は「ああ、そういう人生もあるのね」という他人事にしか思えないのだが。
話が逸れた。
苦しんだり悩んだりして頑張ってくれた彼と別れ、朋ちゃんのシンデレラライフは終焉を迎えた。揺り篭もおしゃぶりも剥奪された。1999年。
自殺未遂、引退危機、…そう囁かれたこともあった。
そんなことを乗り越え、今の彼女はとても自然体に見える。
喜びも悲しみ悔しさも知り尽した彼女の顔は、菩薩のようであり、声は優しさという照りが加わったと思う。
庇護されるばかりが女の幸せとは限らない。
そうだよね?朋ちゃん。
そう呟きながら煙草を揉み消す、午後の昼下がりだった。
はだけたバスローブにボサボサの髪、すっぴん。
目の前には、ぷっかぷっか吸い続けた痕跡が灰皿の上で死体のように折り重なっている。
「朋ちゃん…」
呟く。
オタク生活二日目のテーマは華原朋美について。
彼女に関しての一人ブレーンストーミングの結果、以下のことが判明した。
やっぱり私は彼女が好きだ。
大好きである。
四年前のクリスマスの販売応援で錦糸町店に行き、販売業務終了後、錦糸町にある彼女の実家の前までタクシーで行ってしまうほど…好きだ。
鮮烈なデビューは1995年。
恋人は公私共に面倒を見てくれる名プロデューサー。
シンデレラストーリーという揺り篭の中で、彼女は栄光というおしゃぶりあてがわれていた。
1997年、櫻の季節。
真っ先に思い浮かぶプロモーションビデオは「Hate tell a lie」
「何から何まであなたが全て
私をどうにか輝かせるため
苦しんだり悩んだりして頑張ってる」
よく考えてみると凄い歌詞だ。
私はパートナーが稼いできたお金でスカートや化粧品を買うという行為が出来ない人間だ。
相手に負荷をかけるということは、自分が何かの形で相当のものを返さなくてはならない、また「貰う=債務が発生する」というふうにしか考えられない。
今の私の労働は、評価と賃金という二つの要素が欠かせない。
スカート一枚の価格を労働における賃金に換算した場合、どれぐらいのものを返すべきか?
そう考える時間も思考力ももったいない気がする。
また、私の返すものの質量が足りなくて、相手に悪く思われたり罵られたりしたら、私のプライドはズタズタになるだろう。考えるだけで鬱になる。
大抵、女性の場合は家事労働という形でお返しをするのが相場であり、それでバランスを保っている場合が多い。
嫌いな家事労働を強制されるならば、自分の力で稼いで好きなように気侭に生きたいと幼い頃から思っている。
独り暮らしでも家事労働は当然付きまとうが、その頻度や程度は自分の家事労働意識でいくらでも決められる。
他人にとやかく言われない自由な領域。
埃で死ぬ人はいないし。
やっぱり一人は楽である。
殿方に守られて育てられる、そういう人生を望んだことが無い…そう言ったら嘘になる。
「Hate tell a lie」がカネボウのCMソングに抜擢されて世間に流れていた頃の私にとって、まさに朋ちゃんの生き方は羨望に値するものであった。
今は「ああ、そういう人生もあるのね」という他人事にしか思えないのだが。
話が逸れた。
苦しんだり悩んだりして頑張ってくれた彼と別れ、朋ちゃんのシンデレラライフは終焉を迎えた。揺り篭もおしゃぶりも剥奪された。1999年。
自殺未遂、引退危機、…そう囁かれたこともあった。
そんなことを乗り越え、今の彼女はとても自然体に見える。
喜びも悲しみ悔しさも知り尽した彼女の顔は、菩薩のようであり、声は優しさという照りが加わったと思う。
庇護されるばかりが女の幸せとは限らない。
そうだよね?朋ちゃん。
そう呟きながら煙草を揉み消す、午後の昼下がりだった。