TOパパ
おつ。角田光代の「八日目の蝉」を読みました。なかなか読みごたえがありました。電車内で読み終える予定だったんだけど、やっぱりそれでは勿体なくて、家でラストを迎えるのが妥当だと判断し、「寸止め」したよ。そういう作品って、ない?
TO亮子
角田はいいよね!あります。昨日風呂で読んでいた きことわ も最後のページは机で読みました。
という往復書簡をメールで展開した。
父親に何の躊躇もなく「寸止め」というちょっと破廉恥な単語を使用する娘を父は大切に育ててくれた。今も。照れ屋なのでストレートな愛情表現はあまりなかったけれど、日曜日はどこかに連れていってくれたし、中学時代の三者面談にも積極的に来てくれた。悩みがあれば相談に乗ってくれるし、本も貸してくれる。
母も生まれてからずっと私を守ってくれている。「風邪引いてないか」「今日は仕事でミスをしなかったか」「ちゃんと食べているのか」…。
もしも、今、「あなたの親はこの人ではない。あなたの本当の親は他にいる」と宣告されても、私は困るし、そんなことを認めない。33年の私の人生がそれを認められない。
でも、4歳の私だったら…?
「八日目の蝉」
希和子の行動を私は最初、理解できなかった。駄目男である不倫相手とその妻との赤ん坊を誘拐して、どうすんの?と。
「理性をゆるがす愛」とかって、私、信じてないから…と。子供嫌いだし。
しかも、誘拐した赤ん坊と自身を怪しい宗教団体に匿ってもらうときに全財産を放棄しなければならなくて、希和子は父親から相続した4千万円を手放す。よ、4千万円だぜ?私の年収、何年分だよ?愚かな女だなあ~って傍観しながら、でも作品全体にある疾走感に私は次第に飲みこまれていった。
中盤で希和子が小豆島のフェリー乗り場で薫と引き離されるか否かのとき、頁を捲る指が汗ばむほど私は祈っていた。
「逃げて!お願い、逃げて!そしてどうか薫と二人、安らかに生きて」と。
4歳の薫は、偽母親の希和子と引き離されたあと、本当の両親に育てられる。
しかし、世間の好奇の目に晒された一家はもはや破綻していて、薫は影のある女の子に育つ。
19歳になった薫はこともあろうことか、不倫をしている。
自らの人生と希和子の人生を重ねて恐怖に戦く薫。
血は争えない。
でも希和子と薫には血の繋がりはない。
なぜ?
なぜ誘拐されたのが私だったのか?
なぜ私はあの女みたいに妻子ある人を好きになっちゃうのか?
そんな薫に、かつて同じ宗教団体にいた千草が訪ねてきて…。
薫は過去を再び見つめ直す。
恨みや憎しみだけでなく、そこには愛されていた確かな過去があったことを知る。
タイトルの八日目の蝉は、普通七日で死ぬとされているのに生き残って八日目を迎えた蝉の心情を、希和子と薫に重ねているんじゃないのだろうか。
「どうして私が」
という想いを孕んだ二人。
でも他の蝉たちより長生きした分、もっと違うものも観られる。
そんな状況を表現しているんだと思う。
犯罪であったとしても、
血がつながっていなくても、
愛し愛された共通の記憶の絆は途切れない。
ラストは、凄く良い!
涙を流すのを忘れてしまうぐらい。
瀬戸内海の海、日差し、空気、そして希望が、じわっと押し寄せてきて、呆気にとられてしまった。
寸止めした甲斐があった。
それにしても、父。
「角田はいいよね!」って、角田光代が自分の友達みたいじゃないか。
おつ。角田光代の「八日目の蝉」を読みました。なかなか読みごたえがありました。電車内で読み終える予定だったんだけど、やっぱりそれでは勿体なくて、家でラストを迎えるのが妥当だと判断し、「寸止め」したよ。そういう作品って、ない?
TO亮子
角田はいいよね!あります。昨日風呂で読んでいた きことわ も最後のページは机で読みました。
という往復書簡をメールで展開した。
父親に何の躊躇もなく「寸止め」というちょっと破廉恥な単語を使用する娘を父は大切に育ててくれた。今も。照れ屋なのでストレートな愛情表現はあまりなかったけれど、日曜日はどこかに連れていってくれたし、中学時代の三者面談にも積極的に来てくれた。悩みがあれば相談に乗ってくれるし、本も貸してくれる。
母も生まれてからずっと私を守ってくれている。「風邪引いてないか」「今日は仕事でミスをしなかったか」「ちゃんと食べているのか」…。
もしも、今、「あなたの親はこの人ではない。あなたの本当の親は他にいる」と宣告されても、私は困るし、そんなことを認めない。33年の私の人生がそれを認められない。
でも、4歳の私だったら…?
「八日目の蝉」
希和子の行動を私は最初、理解できなかった。駄目男である不倫相手とその妻との赤ん坊を誘拐して、どうすんの?と。
「理性をゆるがす愛」とかって、私、信じてないから…と。子供嫌いだし。
しかも、誘拐した赤ん坊と自身を怪しい宗教団体に匿ってもらうときに全財産を放棄しなければならなくて、希和子は父親から相続した4千万円を手放す。よ、4千万円だぜ?私の年収、何年分だよ?愚かな女だなあ~って傍観しながら、でも作品全体にある疾走感に私は次第に飲みこまれていった。
中盤で希和子が小豆島のフェリー乗り場で薫と引き離されるか否かのとき、頁を捲る指が汗ばむほど私は祈っていた。
「逃げて!お願い、逃げて!そしてどうか薫と二人、安らかに生きて」と。
4歳の薫は、偽母親の希和子と引き離されたあと、本当の両親に育てられる。
しかし、世間の好奇の目に晒された一家はもはや破綻していて、薫は影のある女の子に育つ。
19歳になった薫はこともあろうことか、不倫をしている。
自らの人生と希和子の人生を重ねて恐怖に戦く薫。
血は争えない。
でも希和子と薫には血の繋がりはない。
なぜ?
なぜ誘拐されたのが私だったのか?
なぜ私はあの女みたいに妻子ある人を好きになっちゃうのか?
そんな薫に、かつて同じ宗教団体にいた千草が訪ねてきて…。
薫は過去を再び見つめ直す。
恨みや憎しみだけでなく、そこには愛されていた確かな過去があったことを知る。
タイトルの八日目の蝉は、普通七日で死ぬとされているのに生き残って八日目を迎えた蝉の心情を、希和子と薫に重ねているんじゃないのだろうか。
「どうして私が」
という想いを孕んだ二人。
でも他の蝉たちより長生きした分、もっと違うものも観られる。
そんな状況を表現しているんだと思う。
犯罪であったとしても、
血がつながっていなくても、
愛し愛された共通の記憶の絆は途切れない。
ラストは、凄く良い!
涙を流すのを忘れてしまうぐらい。
瀬戸内海の海、日差し、空気、そして希望が、じわっと押し寄せてきて、呆気にとられてしまった。
寸止めした甲斐があった。
それにしても、父。
「角田はいいよね!」って、角田光代が自分の友達みたいじゃないか。