世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

昨日から今日まで

2011年03月12日 | Weblog
昨日は東京国際フォーラムで開催されていた「東証IRフェスタ」の見学に行っていた。


吉熊上司に「これから帰社します」と電話をし、有楽町駅に向かう途中、揺れを感じた。
最初、眩暈だと思っていた。
ガタッ…ガタガタガタガタガタガタ…。
頭上に聳えている東京国際フォーラムのガラスの塔がブルブルと揺れているのを見て、地震だと判断。
逃げたいけれど立っていられない。思わず座り込む。腰が抜けるということを初めて体感。
有楽町駅前は騒然となっていた。


電車は止まってしまっている。


会社や実家に電話をしたい。でも携帯電話は使えない。
公衆電話の列に並ぶ。余震が起こる度に周囲の人と「今、揺れましたよね」とか述べ合う。目の前を消防車がけたたましくサイレンを鳴らしながら走っている。
会社と連絡が取れた。パートさんが出た。総務の人々は出払っているらしい。取りあえず自分の身を守ることだけを考えるように、という上司からの伝言を受け取る。実家とは電話がつながらない。心配だ。

電車が動かないので店で時間を潰そうとするが、どこも閉まっているか混んでいるかのどちらかだった。
途方に暮れる。駅前の交通会館に身を寄せる。ここだったら電車の復旧の情報も入りやすい。多くの人が難民の如く、床に座り込んでいた。私もIRフェスタでもらった新聞を敷いて、床に座る。携帯電話の充電が少なくなっていたのだが、つい心配で実家に電話を何回もかける。出ない。心配が募る。

16時。吉熊上司からのメール受信。「今日は帰ることだけを考えろ」とのこと。
続いて実家の母からのメールを受信。家族は無事とのことで安心。
電車は依然止まったまま。交通会館で本を読んだりIRフェスタの資料を読んだりして時間を潰す。

余震は続く。余震があるうちは電車は走らないだろう。長期戦になる、そう直感が走った。
インズの中にあるラーメン店「大勝軒」で醤油ラーメンを食べた。疲れた身に沁みた。

19時過ぎ。
「本日、JRは終日営業をしません」という放送を聞く。愕然とする。閉店前のビックカメラで携帯の充電をしてもらう。街を彷徨う。銀座小劇場の近くにコンビニがあるのを思い出し、歩く。コンビニにはもう食糧は殆どなく、お菓子とお茶だけを購入して店を出た。喫茶店ルノアールが開いているのを発見。駅でもらった号外を読みながらどうするか考える。

22時。
交通会館に戻るが閉まっていた。他に暖を取れるところはないか。…日中いた東京国際フォーラムはどうか。歩いてみる。ガラスの塔の地下が解放されていて避難所になっているのを知る。IRフェスタの隣の部屋だ。新聞紙を引き、腰を下ろす。足がガクガク。隣には学ランを着た高校生が不安そうな面持ちで座っていた。何も敷くものを持っていないらしいので私の新聞紙を分けてあげた。彼は千葉に帰りたいらしい。



22時半。
館内放送。私鉄のいくつかは何とか動いているらしい。頭の中で路線図を展開。もしや帰れる?自宅から2番目に近い駅に。
「私、帰れるかも」と高校生に言い、立ちあがる。「これ使って」と自分が敷いていた新聞紙を彼に渡した。
銀座線へ向かう途中、耳が不自由な人に声をかけられた。「この辺に避難所があるというんだけれども」とのこと。さっきまで私がいたところだ。彼女の持っているメモに「この地下にありますよ」と詳細を記載し教えて差し上げた。

23時。
大混雑の地下鉄の駅に到着。いくつか乗り継ぎをする。車内はぎゅうぎゅう詰め。窒息しそう。自分が降りる駅に到着。でも人が多くてなかなか降りられない。「お…降ります」と声をあげると、近くにいたおばちゃんが「何?降りるの?皆さん!この子、降りるって!!道を開けてください!」と大声で言って手を引いてくれた。涙が出そうだった。

24時すぎ。
20分ほど歩き、帰宅。部屋は散乱。もともと汚い部屋だったのだが。カオスと化していた。吉熊を握る。怖かったね。
実家と妹に連絡。妹も途中まで私鉄で帰り、途中から歩いて帰ったそう。余震があり、怖くてお風呂に入れなかった。そのまま化粧だけ落として寝たものの、怖くて眠れない。睡眠導入剤マイスリーはお休み。


今日は一日中、テレビやネットで情報を収集。
緊急地震速報が入る度にドキドキする。
コンビニで食糧を調達しようとするも、殆ど売っていなかった。

宮城県の惨状を観て、恐怖に慄いた。
一人でも多く、助かればいい。
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ただいま

2011年03月12日 | Weblog
地下鉄を乗り継ぎ、零時すぎに帰宅。 部屋の中、ひっちゃかめっちゃか。 吉熊、他のクマたちも、とりあえず無事。
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